恋の鯉口切られたり



        ■



『ううううう、こ、この度はとんだ御無礼をば……』

「いやいやいや! 居合切りみたいなナイス判断、おかげで私この通り!」


 本堂前の階段に腰掛けた愛里咲の首には今しがた頭を拭いたタオルがかかり、彼女は安心を促すようにポーズを決める。六月放課後の陽気は濡れ鼠をぽかぽか乾かし、傍らに置かれた、刀銃朗差し入れのスポドリペットボトルがまたひとすじの汗をかく。


 なお、厳しい日光の影になるよう、刀銃朗はその大きな侍甲冑をもって日陰を作っているのだった。


「助かっちゃった、ありがとう! でっかい甲冑イカしてる! ゴツいバディに優しいハート、ううう……男の子の好きなもん全部乗せじゃん! ときめき!」

『——その。貴方様』

「有坂愛里咲です! よろしくね!」

『……有坂様。拙者のこの姿、何故にお分かりで? 我が真態しんたい斬鬼甲冑ざんきかっちゅうの着装姿は術にて秘され、余人には認識できぬはずなのですが』


 刀銃朗の疑問に、愛里咲は「えっとね」と答える。


「親友がマユツバしてくれたからだと思います! しかしそっか、そうだよねー! 日向くんの周りがオオゴトだって、オオヤケだったらオオサワギだもんね! 隠すやつをしてたからかー!」


 返答になっているか怪しかったが、刀銃朗は納得したふうだった。


『おお。有坂様も、主人殿に関わりあるお方でしたか。なれば、あらゆる不思議は是、問うも虚し。刀銃朗めも、散々常識揺らがされ、もうこうなればどのような非常識とて受け入れるより他ないと承知を済ませておりますれば』


 一般社会からすれば十二分に非常識に属する侍甲冑がしみじみ言うほど、日向の周囲では運命がもつれにもつれているのだろう。


『ええ、ええ。その慣れが告げております。こうしたで来る女子おなご、これすなわち、の参戦に他ならぬ、と』

「…………いやー、へへ。その……はい。恥ずかしながら、惚れております」


 わなわな巨体が震える。無理もない、恋敵の増加をそうそう手放しで喜べるものなど……。


『——喜ばしやっ!』

「……え?」

『主君への好意を喜ばぬ家臣が一体何処におりましょう! 主人殿の人徳、功績、また新たなる史を刻む! 歓迎いたしますぞ有坂殿、我らが郎党へよくぞ参られました! 共に側室ならぬ正妻を目指す同志として、精進致しましょう!』

「せいさい……正妻っ!? お、お嫁さん!? そそ、それは流石に気が早いっていうか、いや将来的には確かにそうなりたいんだけど私たちってやっぱりまだまだ高校生で、でゅふ、にゅふふふふ」

『ただひとつ』


 蝉の声が、止んだ。

 一瞬前までの談笑が、夢か幻のように消え去った。

 首筋に添えられた刃、額に突きつけられた銃口、そのどちらも、そうされた瞬間を愛里咲は感じられていない。

 自分の意の及ばぬところで、生殺与奪を握られている。


『貴方が何方どちら様であれ、肝心要を弁えて頂きたい。——主人殿へ向ける好意、選ばれる結願、抱くは良し。なれどくれぐれも、卑劣なる抜け駆け、選ばれぬに焦りて主人殿を脅かす、これらの法度、断じて犯されませぬよう。あの方との恋成就させるは、この鬼斬鬼刀銃朗において他に許されませぬことを、何卒御理解下さいませ』

 

 隙間なき鎧の内より漏れ出る感情の波。

 新たに増えた恋敵に対する鞘当て……というには、あまりにも鬼気迫りし警告の威圧。


「そっか」


 冗談の一切ない本気、掛け値のない命の危機を真正面に受けながら、有坂愛里咲は微笑んだ。


「刀銃朗ちゃんは、本当に、日向くんが大好きなんだねえ。他の人たちも、みんなみんな好きの気持ちに嘘はなかったのに……ぜんぜんちっとも、ひるんでないや」

『当然。我こそが郎党雁首揃えて抜群、あの方の心の臓を抉り奪うと思うております』 

 

 そう。きっと誰もが思っている。

 それが恋だ。たった一つの席を奪いあう、合戦だ。

 臨む兵として、刀銃朗は覚悟している——自分を阻む何者も、是、殲滅せん事を。

 そうせねばならぬという必死さを、彼女は、侍甲冑の上から堅固に纏っていた。


「ねえ。刀銃朗ちゃんは、どうしてそんなに……日向くんに恋してるの?」


 そうして、本題が始まる。

 有坂愛里咲が、六月の炎天下を走り回ってここへ来た訳。

 親友から教えられた、【たとえば、或る恋の理由】の仔細が、本人の口から語られる。


『……弾は一発、剣は一振り。しかしてあの場で、討つべきは——』


 こうして、ごく平凡な少女は知る。

 その恋が、成就されねばならぬ理由を。

 自分以外、百八人の恋敵が全員等しく持ち合わせる……特別でも唯一でもない、ありふれた動機を。



 自分が、本当に大切だったものを守れなかった日のことを。


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