第19話 お母さんは大精霊

 サクラが夢見るような表情で空を眺めている。

 さきほど目にした光景が、忘れられないのだ。


「なんというか、頭も心も追いつきません。ユウキ様を育てられたのが、あの伝説の英雄グラナダス様と……大精霊オリンピアだなんて」

「あ、はは……」


 大精霊オリンピア。

 かつて魔王時代の終焉に、グラナダスを守護していたとされる。

 やがては精霊女王として万物を統べる霊位に昇るかもしれない、非常に重要で偉大な高位精霊であり──ミュゼオン教団が崇める信仰対象のうちの一柱でもあるのだ。

 サクラが夢見心地なのも無理はない。

 自分が崇めている存在であるオリンピアが、正確に言えばオリンピアの分霊が目の前に現れて、喋って、サクラを苦しめていたミュゼオン教団の幹部に裁きを下したのだから。

 その奇跡が起きたのは、数刻前のことだった──。


 ◆


 なんだか申し訳ない状態だな、とユウキは思った。

 支部の最高責任者である司教が、真っ赤になったり真っ青になったりしながら目の前の人物を見つめている。

 教団関係者しか入ってくることができない、教会の中心部にある聖水の間までルーシーは一切のためらいなくあがりこんだのだ。


「司教殿。話があるのだが、少し時間はよろしいか?」

「あ、あああの!? ルーシー様、何をされるおつもりですか!」


 何も知らされずに、ルーシーに教団まで送り届けられたサクラがおろおろとしている。ルーシーはサクラには応えずに、自分よりも背の低い司教をじろりと睨み付けつづけている。

 眼光鋭い狩人が、子どもを抱っこしたままでやってきた異常事態に、司教や彼をとりまく周囲の人間は騒然としていた。

 多くの教団関係者にとりかこまれて歩いていた司教の肩をひっつかんで、逃げようとするのを引き留める。周りにいた聖女たちは、状況がよく飲み込めずに訝しげな顔をしていた。

 中には、「またサクラと、あのチビが騒ぎを起こしている」と渋い顔をして敵意を剥き出しにしている者もいる。


「な、な……」


 じり、じり、と距離を詰めるルーシーから逃れるように後ずさる司教──その後ろには、豪華な噴水があった。

 円形に整えられた噴水の真ん中には、美しい精霊の彫刻が立っている。

 精霊が持っている壺から注がれている水からは、オリンピアの結界内に湧いている泉と同じような気配を感じる。

 彫刻がミュゼオン教団の進行する「大精霊」と呼ばれる存在のようだ。

 どことなく、オリンピアの面影があるような、ないような。


(これ、聖水……ってやつかな?)


 トオカ村を離れる前に、サクラは「瘴気溜まりを浄化する」といって瘴気の濃く吹きだまっているところに聖水を振りかけていた。

 さらには、瘴気酔いをする人が出た場合に備えて……とトオカ村に瓶詰めの聖水とやらをいくつか売り渡していた。

 あの聖水もサクラが教団から買い取って、それを転売している形らしい。よく聞くと、かなりの高額商品だが利ざやはほとんど出ないようにしているとか──見習いや聖女職についている人よって、聖水を売る価格はまちまちなのが現状らしい。

 それもこれも、教団が所属している人間たちから金を吸い上げるだけ吸い上げるような油まみれの歯車が回っているためだ。


「オトナ、汚すぎる……」


 震える司教に、ルーシーが言った。


「証拠は揃っているんだ、過剰に巻き上げた上納金を返却しろ」

「う、うるさい! 我々の働きは失われた精霊様たちの御心を継ぐものだ! グラナダスとかいう傲慢な勇者気取りが魔王を倒した余波で、こんな世の中になってしまった今、我らこそ地上の光……トワノライトという、エヴァニウム算出の拠点を守るには費用もかかる、口出しをするな」


 ものすごい早口のおじさんである。

 見習いのサクラを送り届けてきた謎の子連れ女──彼女がくだんのグラナダスなのだが──ルーシーに睨み付けられて、司教はすっかり萎縮しつつも染みついた傲慢さを隠さずにいる。


「な、なんですかあれ……見習いのサクラが引き入れたの?」

「貴族様はやりたい放題ね、ほんとに」

「誰か呼びましょう、追い出さないと」


 周囲の人たちが徐々に自我を取り戻し、騒ぎ始めた。


(うわ、なんか……やばいんじゃ……)


 今の状況は、明らかにルーシーが悪者だ。

 いくら汚職の証拠を掴んでいるからと言って、あまりにも性急すぎるのではないかしら……とユウキは震えた。

 まわりに人が集まり初めて調子を取り戻した司教が、勝ち誇ったように吐き捨てる。


「大精霊様が、こんな狼藉を許すと思うのか?」

「ほお、大精霊様が」


 ルーシーがにやりと口の端をつり上げる。

 これはもう、勝ちを確信しているときの表情だ。オリンピアと口喧嘩をしているときに、時折浮かべるこの表情に見覚えがある。

 大きく息を吸い込んで、ルーシーは大司教……の後ろの噴水に向かって問いかけた。


「……どうなんだ、大精霊様?」

「は?」


 ルーシーの言葉から一瞬の間があって、キンという甲高い音が耳をついた。

 キィン、キィンと共鳴しながら音がどんどん大きくなる。


「うわ、うるさっ」


 ユウキは思わず耳を塞いだ。

 頭が痛くなりそうな音だ。

 様子を見守っていた下級聖女や見習いたちも同じように顔を歪めて耳を塞いでいる。


「……?」


 だが、司教や年かさの教団関係者たちはきょとんとして何が起こっているのかわかっていないようだった。


(これ、あれだ! モスキート音だ……)


 一定の年齢を超えると聞こえなくなってくる、高周波音だ。パチンコ屋の前を通りかかったときに、いつの間にか聞こえなくなってしまったときには自分の加齢を痛感したものだ。

 キンキンと、重なり合いながらどんどん大きくなる音に耐えていると噴水が光り始める。

 その光が人の形をとった。

 空中になびく長い髪、豊満な曲線を描く体、頭上に輝く光の輪。




『──……ああ、なんという、なんということでしょう』




 芝居がかった声にも、聞き覚えがあった。


(か、かあさん!)


 どこからどう見てもオリンピアだった。

 だが体は半透明。響き渡る声もラジオを通したように、ちょっとノイズが乗っている。

 実体ではない、ホログラムのような存在のようだ。


『精霊たちの名を騙り、人の欲を満たそうとは……ああ、これはとびきり嘆かわしい!』


 光り輝きながら威厳ある喋り方をしているオリンピアだが……ユウキとルーシーに小さく手を振っているので台無しである。

 そういうところですよ、かあさん。

 授業参観にはしゃいだ母親がやってきてしまったような、なんともいえないうれし恥ずかしい気持ちである。

 あちゃあ、とユウキは目をそらした。

 どちらかというと、母親を参観している形だし。


「こ、これは……っ! 大精霊様が降臨なされた……魔王時代以降、その兆候もなかったというのに……」


 わなわなと震えて、オリンピアの前にひざまずく司教によりいっそう気まずい気持ちになるのであった。

 ルーシーは生暖かい目でオリンピアを見守っているので、おそらくコレが起きることは織り込み済みだったのだろう。

 やや強引にユウキをつれてここまでやってきたことも含めて、彼女の台本通りだったのでは。

 抱っこされたままで、ユウキはルーシーにそっと尋ねてみる。


「ししょう、あれってどういう……?」

「オリンピアがどーーーーしてもお前の顔を見たいと言ってきかなくてな……オリンピアに縁のある泉であれば『現し身』を送れるからというので……」

(え、じゃあこれって……俺に会いにきてるかんじ?)


 過保護にもほどがある。唖然とするユウキであった。


「ついでだから、母のいいところを見せたいというから……ピーターが前々から教団の不正については少々気にしていたもので、協力してもらったわけだ」

「ええ……」


 そっちがついでなんだ。

 サクラが救われそうな方向に話が進みそうだし、いいんだけれど。

 むしろ好都合なのだろうけれど……手放しで喜べない。


「お、お許しください! 大精霊様……」

『ええ、ええ……子どもたちに慈愛を。特に……私の愛しい子のお友達にはとりわけ親切におねがいします』

「……は?」


 オリンピアの言葉に大騒ぎ状態だった聖水広間が、しんと静まりかえる。

 うるさいほどの沈黙だ。


「大精霊様の愛し子……ですと」

『ええ、それはもう。とびっきり愛しい子です』

「な、ななっ」

『そして……何やらそこの娘は、我が愛しい息子と仲良くしていただいているようですね……』


 話しかけられたサクラが、目にいっぱい涙を浮かべて震えだした。


「は、はわ……大精霊様が、わ、わ、私なんかに語りかけて……!? というか、ユウキ様はやっぱり、すごい人だったのですね……」

『ええ……うちの子を今後ともよろしく』


 ぺこり、と一礼をするオリンピア。 


(か、かあさん……キャラがブレてる!)


 ユウキの心配をもとに、大精霊の降臨に教団側は萎縮しっぱなしのようだ。

 気持ちよくお説教をし終えたオリンピアが、にこやかにユウキたちに手を振りながら消えていくのを見送ったころには、ユウキとサクラの扱いがまったくもって変わっていた。


 トップアイドルよろしく、崇拝と尊敬をない交ぜにしたような眼差しを一身に受けたユウキは、オリンピアの姿に夢見心地になっているサクラを連れて逃げ出したのだった。


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