第20話 魔術師リルカ

 大型の魔獣の出没情報があったということで、ルーシーは早々にトワノライトを発っていった。まったくもって、嵐のような人だ。

 トオカ村から帰ってきたピーターとアキノに教団でのことを話したところ、二人とも大笑いをしていた。

 アキノの淹れたハーブティーを飲みながらの、一仕事を終えた語らいの時間だ。


「そりゃあ、痛快だったわね!」

「あっはは、あの人たちは昔から変わらないなぁ」

「むかしから、あのかんじだったの!?」

「ああ。グラナダス伝説なんて言われて、けっこうシリアスに語られてるが、魔王との戦いとは思えないくらいにハチャメチャだったよ」


 ピーターは多くは語りたがらないのだけれど、おそらく相当に愉快な旅だったらしい。……それにしても。

 「伝説」とまで呼ばれており、自分の銅像まで建っている街に澄んでいて、ほとんど正体を知られずに暮らしているのだからピーターの凡人オーラには驚かされる。

 だからこそ、忘れがちだったけれど。

 この世界でわからないことがあればピーターはなんでも教えてくれる、酸いも甘いも知り尽くした大人なのである。


「そうだ、ピーターさん。ひとつ、ききたいことがあります」

「うん?」


 鉱山の街トワノライトは、エヴァニウムのおかげでかなり現代的な道具が揃っているけれど……精霊がいて、魔獣がいて、魔力がある世界なのだ。

 それなのに、今まで「アレ」を見ていない。

 オリンピアが現し身を使って山奥の結界域からトワノライトまで転移をしてきたのを目の当たりにして、やっと思い出した。


「このせかいには、まほうはあるの?」

「……え?」


 ピーターとアキノが顔を見合わせた。


「もちろんあるよ。魔術と呼ばれることが多いけれど」

「あー……瘴気酔いも知らなかったもんね。なんというか……知ってることと知らないことの差が激しいと、こういうこともあるか」

「それもそうか……ルーシー殿は武術の人、オリンピア殿は魔術なんぞ使わなくとも精霊の力を振るうしなぁ……」

「トワノライトがこんな大都市になれたのは、産出される精霊石エヴァニウムのおかげ。で、そのエヴァニウムが重要視されるのは、魔力を持つ人間が魔術で操るような現象が誰にでも起こせるからなの」

「ふむっ」


 要するに、魔術というのはこの世界ではかなり限られた人間しか使えないものだそうだ。

 生まれつき魔力を多く体内で生成して貯め込める体質で、かつ、魔術師としての修練を積む機会に恵まれて、ようやく魔術を使えるらしい。


「今は魔力を持っている人の多くはミュゼオン教団か魔獣狩りギルドに入ってしまうから、魔術は廃れているよ」

「なるほど」


 ふむぅ、とユウキは考え込んでしまった。

 というのも、オリンピアの行ったように別の空間に転移するような魔法がないだろうか……と気になってしまったのだ。


「あの、ぼくもまじゅつをならえますか?」


 ユウキの質問に、黙り込んだピーターはしばらく考え込んでから返答した。


「魔術師の知り合いは、一人しかいないんだ」

「え、父さん。それって……」

「うん、グラナダス隊にいたリルカ殿なんだが……」


 何か問題がありそうな口ぶりだ。

 口の重くなってしまったピーターのかわりに、アキノが教えてくれた。


「魔術師リルカといえば、父さんなんて比べものにならないくらいの伝説的な人物よ……なにせ、数百年前に魔王出現を予言した人なんだから」

「すうひゃくねん!」


 それって、あれだ。

 魔法をあやつる長命種族……いわゆるエルフ的なやつだ。

 イメージ通りの魔術師像に、ユウキは思わず興奮した。


「ただの魔術師じゃなくて、未来を見通す『眼』を持っているのよね」

「まあ、あの人が有名なのはそれだけじゃなくて……引きこもりの中の引きこもりなんだよ」


 リルカなる魔術師は長いこと少女の姿を保ったまま、「図書館の塔」と呼ばれている自宅に引きこもって過ごしていて、どんなに偉い人物の招聘にも応じないし、来客を招き入れることもほとんどない。

 極めて数少ない例外が、英雄グラナダスとの旅だと言われている。


「まあ、それも最後の数日だけで……旅のほとんどは遠隔参加だったんだけれどもね」


 魔王討伐に遠隔参加とは。どういうことだろう。

 テレワークなんだ、そこが。


「だからさ、魔術師リルカに会うのは難しいと思う。他にツテのある魔術師もいないのよ」

「そうなのか……じゃあ、まほうをおぼえるのはむずかしいのかな」


 ちょっと残念に思っていると、ピーターがそっとハーブティーのカップを持ち上げて言った。


「心配ないよ。こんな風にあの人を話題にしてると、たぶんそろそろ……」

「え……?」


 そのとき。

 カタカタ、と家が揺れ始めた。


「わ、何コレ!? お父さん!?」

「落ち着いて。ユウキ殿、アキノ、カップを押さえて」

「んえ……?」


 ダイニングの大きなテーブルが揺れて、さまざまな図形が組み合わせられた魔法陣が浮き上がって、光り始めた。

 グルル……とポチが唸る。

 何かが近くにいる時の反応だ。たとえば大型の魔獣とか。


「な、なにこれぇ!?」

「このテーブルは、リルカ殿からの開業祝いでね……こういう『仕掛け』なんだ」

「やたら大きいって思ってたけど……ぎゃああ!」


 アキノが絶叫する。

 絶叫して、隣にいたユウキに抱きついた。

 抱きつくのにいい感じの大きさと、ぷにぷにのほっぺた。アキノにしてもサクラにしても、そしてたまにピーターにしても、おちびのユウキを抱きしめることで精神安定を図っているときがある。

 別にいいんだけれども、力が強すぎてちょと苦しい。

 だが、今回ばかりは仕方ない。

 目の前に出現したモノが、あまりにも異質だったのだ。


「な、な、何コレぇええぇ」

「うぎゃあああ!」


 生首だ。魔法陣の真ん中に、生首が鎮座していた。

 切りそろえられた銀色の髪の、女の子の首だ。


『やあ、はじめまして』


 しかも、生首が喋った。可愛い声だ。

 アキノが言葉を失っていると、ひょいっと生首から下が魔法陣から出現した。テーブルの上にあぐらをかいている美少女をピーターがたしなめた。


「……リルカ殿。あまりうちの娘を怖がらせないでください」

『そりゃ失礼、異世界からの旅人くんにインパクトを残したくての』


 リルカが愉快そうにクツクツと笑った。

 見た目は美少女、仕草はおっさん、口調は老人。なるほど、これが長命種か……とユウキは少し感心してしまった。

 彼女がこの世界で最上級の魔術師か……どことなくユウキをこの世界に転生させた金髪ロリ女神に似ている気がする。人間を超越した存在というのは、こういうルックスなのだろうか。

 ずい、とリルカが身を乗り出して、ユウキを見つめる。

 あまりにも至近距離なので、そっと手を伸ばしてリルカの顔面に触れてみると……触れて、しまった。


「わっ」

『むぐ、レディの顔面に何をするのじゃ』

「さ、さわれた!?」

『いやいや、驚いた……たしかに私はここに「いる」けれど、そちら側から干渉できるのは、紛れもなく君の力じゃよ、少年』

「ど、どうも」


 この人、二人称が「少年」だ……と謎の感動をしてしまった。

 リルカの体は半透明ではなくて、きちんと実体があるように見える。

 オリンピアが自分の現し身を送ってきたのとは違うものなのだろうか、あれは向こう側の景色が透けていたはずだ。


『魔術を習得したいというのは少年だね?』

「は、はい」

『いいね、魔力量も膨大だし、魂も知能も十分……そして少年が成し遂げたいことは』


 今度はリルカがユウキに手を伸ばしてきた。

 伸びてきた指先が眼に触れそうに近づいてきたのに驚いて、ぎゅっと目をつぶる。

「……?」

『はは、なるほど……これは鍛え甲斐がありそうだ』


 愉快そうな声に、目を開ける。

 身構えていたけれど、いつまで経っても触れられる様子がなかった。

 おそらく手をかざして何かを読み取ったのだろうか、目の前にはニマニマと笑っている顔がある。


(いやいや、成し遂げたいっていうか……)

『こういうことが、したいのじゃろ?』


 とん、と。

 ユウキの目の前に、何かが置かれた。


『……こうやって、異界のものを取り寄せたいのだろ?』

「え? え、えええ!」


 魔法だ。

 まごうことなく、魔法だ。

 だってこれは、ユウキが欲しいと思っていた──。


「しょうゆだ!」 


 はるか遠い場所に干渉ができるなら、ユウキが元いた世界から少しだけモノを拝借できないかしら……と思っただけなのだ。

 この世界にあるもので、味噌や醤油とか作れそうもないし。


『少年の記憶から引き出させてもらったよ……他にも色々とあったけれど、こいつが一番鮮明に刻まれていたからね』

「にほんのこころなのでっ……」


 外国人が日本の航空機に乗ると、ショウユのスメルがするとかいう噂がまことしやかに囁かれている。

 大豆のことを英語でソイビーンズと呼ぶけれど、もともとはソイ……すなわち日本語の「ショウユ」の原料になる豆ということでそのネーミングになったらしい。諸説ありだけれど。


 とにもかくにも、醤油がなくてははじまらないのだ。

 逆に言えば、醤油があれば「はじまる」のだ。

 感動に打ち震えていると、リルカの衝撃的な登場の衝撃から立ち直ってきたアキノが訝しげに尋ねる。


「なに、それ? 黒い水……瘴気に汚染されてない?」


 とんでもない。

 ユウキにとっては聖水よりも重要なものだ。


『ふふ……魔法陣ごしに私に触れることができるうえに、実体化に耐えうるほどの想像力や記憶も持っている……魔力量といい、少年は天才的に筋がいいようだな』


 嬉しそうにしているリルカの体が少しずつ透けていく。

 時間切れか、と名残惜しそうに呟くリルカは、ユウキにむかってひらひらと手を振った。


『単刀直入に言おう。魔術を学びたいという意思があるのなら、君の記憶にある世界からあんなものやこんなものを取り寄せることも可能じゃよ……それどころか、人の心を操ったり、死んだ人を蘇らせたり、意志のない動物を生み出したり……魔術というのはなんでもできるのじゃよ?』

「ちょっと! リルカ殿!」


 明らかに悪い顔で勧誘をしてくるリルカに、ピーターが割り込んだ。


「それ、禁忌になっている古代魔法でしょう! また図書館の塔でろくでもない文献を掘り出して……」

『ほほほ、バレたか。ほれほれ、最近ハマっている古文書がこれじゃよ?』


 どこからともなく、古びた本を取り出した。

 周囲に転がっているモノを拾い上げるような動作をしている。

 テーブルの上に描かれた魔法陣の中にリルカの実体があるように見えるけれど、やはり肉体は別の場所にあるようだ。

 引きこもりというのは、嘘ではなさそうだ。

 一方的に自分の言いたいことをまくし立てるコミュニケーションにも癖があるし、普段はあまり人と話したりしないのだろう。

 今目の前にあるのは、いわば、やたらと存在感のあるホログラムのようなものだろうか。

 大精霊のオリンピアでも映像を送ってくるのが精一杯だったのを考えると、リルカがかなり強大な魔術師であることがわかる。


『弟子入りしたくなったらいつでも塔を尋ねておいで……ピーター、案内は頼んだぞ?』


 ぱち、とウィンクを飛ばしてくるリルカ。


『神域に至った我が姉君から、イキのいい奴が来たと聞いて楽しみにしておったが……んっふふ、しばらくは退屈しなさそうじゃの!』

「やっぱり、めがみさまのかんけいしゃ!」


 他人のそら似ではなかったようだ。

 色々と問い詰めたいことがあるのだけれど、その瞬間にリルカもテーブルの上に展開していた魔法陣もかき消えていた。


「はぁ……驚いただろう。昔から、ああいう人なんだよ」

「お父さんが謝る必要はないんじゃない……っていうか、本物のエルフって初めて見たわよ。耳が長いって本当なのね」


 イヤリングをぶら下げ放題ね、というとぼけた感想を零すアキノ。


「なんか……あらしのようなひとだね」

「もし本気で魔術を志すなら、あれほど頼れる師匠もいないさ。今や王立学園の魔術科主任だからね……まあ、ほとんど自分の研究をしているだけみたいだけれどね」

「かんがえておきます」


 ユウキは手の中に残された醤油を見つめて返事をした。

 本当ならば、今すぐにでも弟子入りしたいくらいだけれど……今は、こいつが先だ。この世界に来てから、ずっと憧れていた味の濃いおかずにありつけそうなのだから。


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