第18話 お母さんは大英雄

 ユウキが木の陰にサクラを避難させる。

 左足をわずかに引いたルーシーが、腰を落としている。

 本当に小さなモーションだが、臨戦態勢だ──と弟子であり息子でもあるユウキにはわかった。


(な、なんか変だと思ってたんだよ!)


 一撃で地面を吹っ飛ばしたり、単身で魔獣を狩ったり。

 強力な魔獣が現れるたびに、あちこちから招聘されて戦っているというわりに、一度として大きな怪我をすることなく帰ってくる母親。

 変だ、変だとは思っていた。

 まさか──まさか人類最強と呼ばれている、伝説の英雄グラナダスがルーシーその人だったとは。


「あー、ユウキ」

「ふぁい」

「もう少し離れて……目と耳を塞いでおけ」


 こくこく、とユウキは頷いた。

 サクラを抱えて待避する。


「ブルックスよ、お前は変わらんなぁ……傭兵王だなんだと言われていたが、自分を大きく見せることに必死なつまらん男だよ」

「う、うるさい! 俺は弱くねぇぞ」

「強くもないさ。本当に強い奴らは、魔王時代に死んでいった」

「ぐっ……」

「お前がしてたことといえば人間同士のくだらない内輪揉めにクビを突っ込んで、くだらん組織をデカく見せることだけだろう」


 相当に険悪な仲……というか、ルーシーがブルックスを軽蔑していることがはっきりとわかる。


「今も変わらんなぁ……おおかた、ミュゼオン教団内の嫉妬やらやっかみやらで標的になった見習いを陥れる算段に手を貸したか?」

「う、うるさい! 黙れ!」

「時間も流れて……今まともな奴で生きてるのは、魔術狂いのリルカくらいか」


 ルーシーが一歩、また一歩とブルックスに歩み寄る。

 気圧されるようにブルックスが後ずさる。


「……隠居して表舞台に出てこなくなった奴が、どうして今更俺の前に現れる」

「舞台に表も裏もあるものかよ」


 ルーシーが吐き捨てる。

 気配が動いたのを察して、ユウキは言われたとおりに耳を塞いだ。


「お前たちの噂は聞いていたよ……魔獣狩りすらも徒党を組んで、高い報酬をむしり取らんとやっていけないとはなぁ」


 報酬も受け取らず。

 自らのフルネームを名乗ることもなく。

 さすらいの魔獣狩り《マタギ》として、多くの修羅場をくぐり、絶望に陥った人間たちの活路を切り拓いてきたルーシーが吐き捨てる。


「──反吐が出る」


 目をつぶって、耳を塞いでいるユウキにもわかった。

 ブルックスや彼に付き従って甘い汁を啜ってきたらしい人間たちが情けない叫び声をあげている。魔獣狩りは対等な命のやりとりだけれど、今行われているのは一方的な暴力だ。

 ルーシーとしては、あまりに教育に悪いので愛弟子であり息子であるユウキには見せたくないものなのだろう。


(うちの母が……すみません)


 心の中で呟いた。

 けれど、別にルーシーは何一つ悪いことをしていない。

 悪いのは──ブルックスたちの運だろう。

 手を出した相手も、タイミングも、何もかもが悪かった。

 木々の切れ間から、目下に広がる光景を薄めて確認する。

 アカキバボアたちは、ほとんど狩り尽くされたようだ。生き残った個体はほうほうのていで逃げ出している。

 弱肉強食。瘴気溜まりによって増えすぎた魔獣の数を減らすことは、人間の生活を守るうえで大切だ。

 ポチの号令で駆り出されたブラックウルフたちは子どもたちの待つ根城へとご馳走──アカキバボアを引きずって運んでいる。

 トオカ村には、大きな被害は出なかったらしい。




「待たせたな、帰るぞ」


 ぽん、と肩を叩かれる。

 ユウキとサクラを両腕に抱えて、ルーシーは悠々と歩き出す。


(これ、振り返らない方がいいんだろうな……)


 背後で明らかにボコボコにされた人間たちのうめき声が聞こえてくる。

 とりあえず、生きてはいるようでよかった。

 息子にエグい光景は見せないようにしようというルーシーの心遣いを無駄にしないように、ユウキはそっと目を閉じた。


 ◆


 サクラの無事の帰還とアカキバボアの駆除成功に、トオカ村沸き立っていた。ほとんどのアカキバボアは、ブラックウルフたちのご馳走になったけれど──人間たちにも、ご馳走が残された。

 お祝いの宴だ。

 今回のお手柄であるユウキとポチ、そして無事の帰還を祝われているサクラは村人たちに取り囲まれて口々に褒めそやされていた。


「ユウキ様は、本当に……私の恩人です。ご迷惑をかけてばかりで、ごめんなさい」

「きにすることない。わるいやつらのせいだから」

「わふっ!」


 残ったアカキバボアたちが急に増殖することもなさそうだし、もしも山から下りてきたとしても村に張り巡らせた柵やネットなどの施設で対応ができるだろう。


「ほら、ちびっこたち! どんどん食べなさい、遠慮は逆に失礼だよ!」


 トオカ村で栽培した麦を使ったビール片手に料理をしているアキノが陽気に声を上げた。

 アカキバボアの丸焼きが宴のメインディッシュだ。

 こんがりと新鮮な肉を焼き上げた、正真正銘のご馳走だった。

 そぎ落とされた肉にかぶりつく。


(メイラード反応、溢れる肉汁……うまい!)


 ユウキは唸った。

 念願の肉。大きな肉。かぶりつける肉。


(……けど……やっぱり、ちょっと味が薄い!)


 塩味がやや薄く、ちょっと味も単調なのだ。

 こってりしたジャンクな味付けの、甘辛い肉を、どうにか食べたい──ユウキは次の目標を新たにした。

 イノシシ肉のバーベキューは村中に振る舞われている。

 本当の主役である村人たちから少し離れたところで、ピーターとルーシーが旧交を温めていた。


「あっはは、どうです。うちの娘は……俺なんかにゃもったいないくらいによくできてるでしょう」

「ああ、お前の若い頃にそっくりだ……強運が滲み出てる。将来、あの子もデカい鉱山を見つけてもおかしくないな。街づくりの立役者二世だ」

「立役者なんてやめてくださいよぉ……俺は運がいいだけですから、今回だってユウキ殿を預からせてもらって……なんです、あの麒麟児は?」

「ん……あの子については、私も驚いているよ。異世界からの旅人ってのは、あれだけ規格外なものかとね」


 ルーシーがビールを一気にあおり、ピーターもそれにならった。


「それにしても、隊長とまた酒が飲めるなんてなぁ!」

「隊長はやめてくれ、もう解散した隊だ」

「ひっく、隊長はいつまでも隊長ですって!」


 にへら、と破顔するピーター。

 普段は大人ぶっているが、憧れのルーシーの前ではまるで青年時代に戻ったように頼りなくなってしまう。

 ユウキはそんな二人を微笑ましく思いながら、声をかけた。


「ししょう、ピーターさん。おみずちゃんとのんでますか?」

 アキノに「あの酔っ払いに釘をさしてきて」と言われて、水を飲ませるという使命を帯びて派遣されたのだ。


「おお、ありがとう。ユウキ殿」

「これくらいで酔わないがな」

「隊長、俺らも歳ですからね」


 苦笑するピーターに、ルーシーがちょっと罰が悪そうに唇をとがらせた。

 普段オリンピアと接している時間が長いルーシーは、たまに自分の年齢を忘れがちなところがある。


「そうだ、ユウキ。少し一緒に話さないか?」

「はい?」

「よい、しょ」


 ルーシーはユウキを抱き上げて自分の膝に座らせる。

 酔っ払ったルーシーというのは初めてだ。

 特に何かテンションが上がり下がりするわけではないが、普段はユウキを抱っこすることはないルーシーの膝に座るのは新鮮な気持ちだった。


「……ピーター、ミュゼオン教団のトワノライト支部についての調査は進んでいるか?」

「ああ、例の件ですね」


 改まった様子でルーシーが切り出した。

 驚いた。

 ルーシーからピーターに、ミュゼオン教団について調べ事を依頼していたらしい。内容はといえば──上納金の着服についてだった。


「ここ数回のサクラさんとの取引を通じて、ミュゼオン教団の上納金の実態がわかりました」


 先程までの酔っ払いとは別人のようにピーターが理路整然と話し始める。

 ピーターの調査によると、ミュゼオン教団が定めている金額にかなりの額を上乗せして見習いや下級聖女たちから上納金を巻き上げているようだった。


「なるほどな……思った通りだ」

「実際、ほかの支部よりも足抜けした者も多いと聞くし、女であるということ事態を隠して義賊じみた盗人をやっている者もいるとか」

「わかった、ありがとう」

「いいえー。隊長……じゃなかった、ルーシー殿の頼みですから」


 ピーターがへにゃっと笑った。

 能ある鷹は爪隠す、を地で行く人だ。やっぱりかっこいい。

 ルーシーも「ふぅ」と脱力した溜息をついて、夜空にぽっかりと浮かんだ月を見上げた。


「ユウキ、少し付き合ってもらえるか?」

「なににつきあうの」

「うん、オリンピアがお前に会いたがってるからな……明日にでも、ミュゼオン教団の支部にな」

「かあさんが……?」

 まあ、オリンピアがユウキに会いたがってしょぼくれているであろうことは想像に難くない。子離れというのはいつの時代も苦労するものらしい。

 でも、それとミュゼオン教団に何か関係があるのだろうか。


「ついでに、あの見習いも送っていくよ」

「お願いします。俺とアキノはトオカ村の件で精算などがあるので」

 固いイノシシ肉のバーベキューを囓りながら、ユウキは話を聞いていたのだが──。

「ふぁ……」


 急激に眠くなってしまう。

 まだ日が沈んで間もないのに、情けないことだ。

 まあ、六才児なのだから寝られるだけ眠ったほういいのだけれど。


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