第17話 サクラを探せ

 トオカ村が騒ぎになっていた。

 ミュゼオン教団の見習いが行方不明になってしまったのだ。


「ユウキ殿! よかった、探しましたよ」


 マイティたちと一緒に、村の外れから戻ってきたユウキをピーターが抱きかかえた。

 サクラが行方知れずになった……なんだか、嫌な予感がする。

 嫌な予感というか。

 首筋が、ちりちりするというか。

 子どもの第六感、というのだろうか。

 ユウキはきょろきょろと周囲をうかがう。

 自分の感覚を大切にしろ。嫌な予感があるときには、何か異変があるはずだ──それがルーシーの


「もしかして、一仕事終えて帰っちまったのかねぇ……マイティのお友達の髭のおちびも見当たらないし」

「あの子は、黙ってどこかに行くような子じゃないわよ」


 アキノがカリッと親指をかむ。

 何か手がかりがあれば追いかけられるのだろうが、サクラの足跡などわかるはずもない。

 どうしたものかな、とユウキが腕組みをしていると。


「なあ、あれはなんだ?」


 村人のひとりが山の方を指差した。

 山の向こう側から、煙があがっている。


「や、山火事か!?」

「ちがう、あれは……」


 見覚えがある煙の色だった。

 何本も、山の中から立ち上っている。


「いぶりだしだ! まじゅうをやまからおいだすやつ!」


 魔獣たちが嫌がる匂い──今回、ユウキが考案したアカキバボアよけの仕掛けに使ったポチの糞みたいなものを、山の中で焚く。

 すると、どうなるか。

 他の魔獣たちが山から一気に出て行くのだ。


 あの山は瘴気溜まりになっていて、アカキバボアが大量発生しているわけで。この次に起きることは──山からこの村に向けてアカキバボアの群れが駆け下りてくる、大惨事だ。

 隠れている魔獣を誘き出す方法としてルーシーから習ったことがあるが、その際に念押しされていた。

 絶対に、人里の近くでは使うなと。


「だれがこんなことしてるの!?」


 やばい、やばいって。

 絶対にこの状況はマズいし、もっとマズいのはこれが山の中にいる悪い奴らによって人為的に起こされていることだ。


「うわ、燃え広がったぞ!?」

「違う、あれ……土埃だ、魔獣がこっちにくる!」


 悲鳴があがる。

 スティンキーがすがるように言った。

 ユウキはゆっくり首を横に振る。

 はぐれて村に降りてきたアカキバボアが畑に侵入しないように追い返したり、寄せ付けないようにしたりするのに柵もネットも有用なはずだ。

 けれど、大群の、しかも興奮したアカキバボアに突撃されたらひとたまりもない。そんなのをはじき返せるのは、ユウキの知る限りはオリンピアがルーシーと大喧嘩したときに小屋のまわりに張り巡らせた結界くらいだろう。

 なにせ、あのルーシーの猛突進をはじき返したほど強固なものなのだ。

 マイティが雄叫びを上げて、村にある武器を手に取った。

 トオカ村青年会魔獣対策チームの若い男たち、血気盛んな女たちがマイティに続いた。


「い、今から少しでも罠と柵を補修できないかな!?」

「少しなら資材が残ってる、すぐに補修できるようにしよう!」


 作業の早いスティンキーの呼びかけに、アキノが応えた。


「くそ、魔獣狩りはまだ到着しないのかよ!」

「こんなときに!」


 パニックを起こしかけている村人たちにピーターが声をかけて、少しでも安全な場所に避難を誘導する。

 子どもたちを荷馬車に乗せて少しでも遠くに避難させる段取りをつけたようだった。

 みんな、さすがだ。

 ユウキは頭をフル回転させる。


(ど、どうにかしないと……っていうか、こんな状況でサクラさんはどこに!?)


 そのとき。

 わふ、とポチが鳴いた。

 ただ、鳴いただけではない。喉を整えるような咳払いだ。

 わふわふと鳴きながら、ユウキに視線を送ってくる。


「な、なに……?」


 キラキラと光る瞳。

 今こそ、俺の出番だといわんばかりの圧を発している。


「……わんっ」


 そのとき。

 ユウキの頭の中に、ポチの言葉が響いた。

 こいつ、飼い主の脳内に直接語りかけている。

 ──本気、出していいですか?


「もちろんっ! ポチ、たのむっ」

「ワゥ」


 キラッ、とポチの瞳が光った。

 そして、大きく息を吸い込むと──地平線まで響き渡るような遠吠えが響いた。


「ウォオォーーーッ」

「わっ」


 びりびりびり、と鼓膜が音を立てるほどの遠吠え。

 ユウキは思わず耳を塞いで、目をつぶる。

 何度も遠吠えがあがる。


「な、どうしたんだよ、ぽち……?」


 発情か、発情なのか?

 今、このタイミングで?

 戸惑いつつ、至近距離での大音量に耐える。

 何度目かの遠吠えが終わり、しん……と静寂が訪れて、ユウキはおそるおそる目を開けた。

 目の前が、真っ白だった。

 なんとなくひんやりとした、空気──生まれ育った魔の山の空気を感じる。


「ゆき?」


 目の前の白いふわふわに、手を触れる。


「ワフッ」

「えっ、ポチ!?」


 ユウキの視界いっぱいを白く染めていたのは、ポチの毛皮だった。

 見上げてみると、巨大な獣がそこにいた。

 ヒグマぐらいある、大きくて白くて、かっこいいオオカミ──魔獣の王フェンリルだった。


「うわああ、ポチ! かっこいいじゃんっ」

「わふっわふっ!」


 ユウキの歓声に巨大なフェンリルが喜んでぐるぐるとその場で回る。

 こわい、こわすぎる。

 ポチでなければ泣き叫んでいるところだった。


「乗れって……?」


 お座りの姿勢になったポチが、ぐるると唸って頷いた。

 ちょっと躊躇いつつ、ユウキは地面を蹴る。

 お座りをしているとはいえ、ユウキの身長よりもはるかに高い座高のポチだった。跨がるにはちょっと本気のジャンプが必要だ。


「おおお……みはらしがいい」


 マイティの肩に乗っていたときよりも、まだ視点が高い。

 なかなか気分がいいものだが……山からアカキバボアの群れが駆け下りてきて、一目散にこちらに向かってくるのがよく見えてしまった。


「ウォオオオーーーッ!」


 またひとつ、ポチが遠吠えをする。

 ポチがくるりと山に背を向けた。

 反対側に広がっているのは、トワノライトへと続く道──の奥に広がる平原だ。馬車で一昼夜走ったもっと先には、ユウキの育った山がある。

 その平原に黒い影がみえる。

 馬車を襲撃する、運送組合の悩みの種。


「……ブラックウルフ!」


 山にいたコオリオオカミたちと比べると、かなり小さい。ユウキが知るオオカミと同じような体躯をしているが、獰猛さでは引けを取らない魔獣だ。

 その群れがこちらに向かって走ってくる。


「い、いやいやいや!」


 絶体絶命すぎる。

 前門の虎後門の狼ならぬ、前から突進してくるアカキバボア後ろから猛攻してくるブラックウルフである。最悪だ、こんな状況。

 ブラックウルフは風のように駆け、人や家畜を襲う──獰猛さ以上に、その素早さに注意をするべき魔獣である。師匠であるルーシーからは、そう聞いている。

 あっというまに村に迫ったブラックウルフたちに気がついた村人たちが悲鳴をあげた。アカキバボアだけでも、決死の覚悟で追い払おうとしていたのに。

 なんで、今このタイミングで……と、思ったところで。

 ユウキは気がついてしまった。


「ポチ、おまえか!?」

「わふっ」


 さっきの遠吠えで、ポチがブラックウルフを呼び寄せたのだ。

 ブラックウルフたちは、トオカ村をスルーしてアカキバボアたちの群れに突っ込んでいく。

 魔獣と魔獣のぶつかり合い。

 簡単に決着がつくはずもなく──アカキバボアの前線が崩れた。

 トオカ村から歓声があがる。


「白い狼……あれはユウキ殿が手なずけてる魔獣なのか?」

「すごい! あんな年齢で魔獣使いなんて!」


 どやぁ、とポチが胸を張る。

 子分にしたブラックウルフたちにアカキバボアを任せて、ポチがふんふんと鼻を鳴らしながら駆けだした。

 何かの匂いをたどっているようだ。


「あっ、もしかして、サクラさんを探してくれてる?」

「わふっ!」


 ポチは迷わず、山へと駆け出す。

 魔獣たちを山から追い出すほどの臭気を発する煙幕をものともせずに、ポチは駆けていく。つよい犬だ。

 アカキバボアとブラックウルフの乱闘をすり抜けて、山に近づいていく。

 振り返ると、トオカ村のほうではブラックウルフの牙をすりぬけて到達してきたアカキバボアが罠によってきちんと無力化されているようだった。

 弱ったところを、マイティ率いる村の青年会魔獣対策チームたちがきっちりと捕らえている。いいチームワークだ。


(よかった……あれなら大丈夫そうだね!)


 乱暴者で困った奴として有名だったというマイティだけれど、こういう活躍の場が用意されたときにはこの上なく頼もしい奴だったわけだ。

 サクラの匂いを追跡するポチの走る速度が上がっていく。


 ◆


 山の中に分け入っていくと、ポチがぜぇぜぇと息苦しそうにしはじめた。

 魔獣の王といえども、燻り出しの煙は辛いようだ。


「むりしないで、ぽち」

「わうぅ……」

「かなり深く分け入ってきちゃったもんな……」


 燻り出しは山の向こう側で焚かれている。煙の匂いがユウキにも分かるくらいに濃くなってきて、迷わずに進んでいたポチの足取りが重くなってきた。

 サクラの匂いを追うのが難しくなってきたらしい。

 ……本気になれば、フェンリルにこんな煙幕は通用しない。

 コオリオオカミやブラックウルフたちを眷属として使役する、咆吼ひとつですべてを凍てつかせ、破壊する魔獣の王だ。

 だが、本気を出せばこの山は氷漬けになってしまう。

 連れ去られ、この山のどこかにいるであろうサクラもカチンコチンだ。

 むしろ瘴気もアカキバボアも乗り越えた畑すら氷漬けになってしまうかもしれない。そうなれば、収穫どころではなくなってしまう。

 だからこそ、ポチは本気をだせないでいるのだろう。


(っていうか、視界も悪くなってきたな……降りたほうがいいかも)


 ユウキはポチの背中から飛び降りる。

 位置が低くなったことで、多少は視界がよくなった。


「わうっ」


 ポチがじっと一点を見つめて吠える。


「あっちにサクラさんがいるんだね」


 ポチに「まて」を命じて、ユウキは山を登り始める。すでにもう頂上近い。

 煙幕の向こう側に、人影が見えた。

 ととと、と山の斜面を駆け上がる。うん、懐かしい感覚だ。

 平地や石畳を歩くよりも、走りにくい山の斜面のほうがずっと楽に走れるのだから変な話である。


「サクラさん、そこにいるの?」


 何度かサクラの名前を呼ぶと、小さなうめき声が聞こえた。

 間違いなくサクラの声だ。

 それと同時に、低いしわがれ声も聞こえてきた。


「なんでこんなところに、ガキがいる?」

「え、っと」


 目をこらす。

 煙幕の向こう側から、やたらと立派な鎧をつけた男が現れた。

 身なりは小綺麗だし、口元には薄笑いを浮かべている。

 けれど、とても嫌な感じがする。


「あの、そこにいるひと、たぶん……ぼくのともだちで……」

「この見習いさんか?」


 男が足先で蹴ったのは、気を失っているサクラだった。

 うう、と小さく唸っている。

 なんてことを、と驚いた。


(まわりにも手下みたいな人がいるし……嫌だな……)


 煙が充満している。今はポチを頼ることもできなさそうだ。

 自分がオトナだったならな、とユウキは思う。

 そうしたら、もっと安心してサクラを助けられるのに。


「いやあ……こんなガキを相手にさせられるとは、俺も落ちたもんだ……グラナダスを追い詰めた男、ブルックスともあろうものが──ぐえっ」


 だす、と鈍い音がする。

 上手くいった。

 鎧の男──ブルックスが尻餅をついた。

 煙幕の奥にいる手下たちから悲鳴があがる。


「は!?」

「ボスに土が……はぁ!?」

「どんな魔獣相手でも膝をつかない、不倒のブルックス」

「っていうか、すね当てが変形してる……どんな馬鹿力だよ」

「うぐ……な、なんだ今のは?」


 ユウキが身長の小ささを活かして、すね当てをつけた足に思い切りタックルをかましたのだ。山の下から迫っていったことで、上手く死角に入り込むことができたようだ。


「なっ、あの見習いはどこだ!?」

「え? 今さっきまでそこに……」


 忽然と消えたサクラに、さらにざわめきが大きくなる。

 誰の目も届かないはずのところで魔獣を操っているという優位性に酔っていたブルックスたちの表情が凍り付いていく。

 魔獣たちの一撃は人間の命を簡単に奪ってしまう。

 つまり、命運を分けるは素早さだ。

 ルーシーからは攻撃方法の何倍も徹底的に、身のこなしと回避方法を教わっている。ユウキは小さな体を活かして、すでにサクラを救出していた。


「よいっしょっ! サクラさん、ごめんねっ!」


 両腕でサクラを抱きかかえて、引きずるようにして撤退する。


(くそー、お姫様抱っこみたいにできたら……いや、むりだよね)


 とにかく、ポチのいるところまで逃げよう。

 ──揉め事が起きても、本気で戦ってはいけない。

 ユウキを鍛えてくれたルーシーの教えだ。

 まだまだ子どものユウキには、リスクが高いから。たぶん。

 煙幕にまかれながら逃げる。


「はぁ、はぁ……」


 あっという間に、足どりがよたよたとヨレはじめる。

 ユウキひとりであれば、瞬間的にパワーを発揮したり、相手の目にもとまらぬ動きで不意をついたり、ルーシーに鍛えられた身のこなしで魔獣を狩ったり……子どもにしては、悪くない動きができる。


(だ、だめだ……重い! サクラさんには絶対言えないけど!)


 けれど、子どもの限界がここにあった。

 酷く痩せているとはいえ、自分よりも大きな人間を引きずって動くとなれば動きに限りが出てしまう。

 ポチが待ってくれている場所までが遠い。

 いつものポチならば、きっとユウキのいるところまで駆けてきてくれるはすだ。けれど、この煙幕の中では目も鼻も利かずに動けないのだろう。

 逃げ切らなくちゃいけないけれど──。


「わっ」


 とん、と背中が何かに当たった。

 木ではない。生物だ。

 だが、毛皮は感じない。ポチでもアカキバボアでもないはずだ。


(ってか、全然、後ろにいるのがわからなかった……)


 それなりに危機回避を叩き込まれているはずなのに。


「……やあ。活躍してるみたいだな、ユウキ」

「えっ?」


 恐る恐る振り返ると同時に、とても懐かしい声が振ってきた。

 乾いていて、温かくて、頼もしい声。


「し、ししょう!」

「少し背が伸びたか、弟子よ」

「な、なんでここに」

「ん、オリンピアがどうしてもお前の様子を見てこいとな……」


 だが、とルーシーが向こうを睨む。


「まさか、懐かしいバカをこんなところで見かけるとは」


 ずさずさと鼻息荒く迫ってくる一団。

 ブルックスの姿が煙幕の向こうから浮き上がってくる。


「おやおや、保護者の登場か? あまり乱暴はしたくない、が……」

「久しぶりだな、ブルックス」

「……は?」


 ルーシーの声に、ブルックスが顔をひきつらせた。

 みるみる青ざめていく。


「な……なぜお前がここにいる、ルーシー……」


 ブルックスの狼狽えている姿に、手下たちが動揺している。


「ルーシー・グラナダス!」


 なんだ、知り合いなのか……ん?

 母親代わりであり、師匠でもあるルーシー。この世界では限られた身分の者しか持っていない姓を持っていたとは、知らなかった。

 ……というか。


「ぐら、なだす?」


 その名は、世情に疎いお子様であるユウキすら何度も聞いたことある。

 魔王を滅し、時代を塗り替えた。

 最強の戦士、伝説の英雄。


「し、ししょうが……ぐらなだす?」


 母親が、大英雄。

 うそでしょ、とユウキは思わず呟いた。


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