第9話 路地裏の聖女

 路地裏に戻ると、ポチがお行儀よく待っていた。

 石畳に倒れ込んでいる少女にぴったりと寄り添って、モフモフの毛皮で温めてくれていたようだ。


「よくやった」

「わんっ!」


 頭を撫でてやると、嬉しそうに尻尾を振る。

 ユウキは床に倒れている少女を助け起こした。

 白い修道服のようなものを着ている。

 近くに落ちている木の枝みたいなものは、


「うぅ……」

「だ、だいじょぶ?」


 うっすらと目を開けた少女の瞳は、綺麗な若草色だ。

 結構な美形なんじゃないだろうか。


「ここは……?」

「えぇっと、トワノライトのろじうらで……」


 ここはどこって、こっちが聞きたい。


「ろじうら……って、わたし、また……魔力切れを……おぇっ」

「わっ!」


 美少女が口からキラキラエフェクトを噴射しはじめた。

 といっても、ほとんど何も食べていなかったようなので、吐くに吐けないみたいだ。けっこう辛い状態だろう。


(さっき、髭の人も『魔力切れか空腹』って言ってたな……?)


 もらったパンは今のところは出番がなさそうだ。

 といっても、魔力切れには何をしてあげたらいいんだろう?


「た、たてますか?」


 とりあえず、他の人に助けを求めた方がよさそうだ。

 もし立てなかったら……ポチの力を借りれば運べるかもしれない。

 ユウキは女の子に手を差し伸べる。

 真っ青な顔で、とても申し訳なさそうに手を取ってくれた。


「す、すみませんです……こんなゴミみたいな駄目人間を……たすけてくださって……」

「ご、ごみって」

「あなた様のような子どもにまで迷惑をかけるなんて、これでは聖女の人助けではなくて人の足引っ張り業、いえ、迷惑屋……屋号を名乗るなんて、あまりにも傲慢ですね。やはり、私はゴミです、ゴミ……うぅっ」

「きゅうに、よくしゃべる!」


 自虐になった途端に、スイッチが入ったように喋りまくる人だった。

 目も据わっているし。変な人だ、この子。

 ユウキは少女を助け起こしながら、ちょっと引いた。

 でも、こんなところで行き倒れになっているのは放ってはおけない。


「おねえさん、こっち」

「はい……って、あれ?」


 少しでも元気になれ、と思いながら握った手が……なんだか、光っているような。


「な、魔力が……流れ込んで……?」


 青白かった少女の顔色がよくなっている。

 と、同時に独り言も加速した。


「う、嘘でしょう。他者に魔力を分け与える『治癒者ヒーラー』の技能をお持ちで……? ミュゼオン教団の秘儀ですよ、これ。私なんか入団してから習得まで半年もかかったんです……あ、いや、私などと比べるなんて失礼極まりないですが。体内に溜められる魔力の量がちょっと多いというだけで拾われたゴミクズですし。見たところあなたは男児……ですよね?」

「いちおう、そうです」


 トイレとお風呂で毎日ちゃんと確認はしております。はい。

 いつしか少女は、ユウキのことを尊敬の眼差しで見つめている。


「本当にありがとうございます。もう魔力は十分に分けて頂きました! これでも魔力量だけは市井の方の二倍か三倍はあると言われているのですが……その、こんなに魔力を分けて頂いて、あなた様は大丈夫なのですか?」

「もんだいないです」


 実際、何も異変は感じない。

 もしかして、普通の人よりも魔力が多いのかもしれない──とユウキは自分の手を見つめた。

 転生してくるときに会った、金髪幼女な女神様を思い出す。

 色々と特典を付けてくれるって言っていたけれど、やたらとポチに懐かれていることや魔力の量が多いらしいことも、その「特典」なのだろうか。


「なんと……そのようにお小さいのに、すでに大器を備えていらっしゃる! さぞや高名な一族のご出身なのでは……?」

「いや、ぜんぜん……やまおくからきたので」

「山奥?」


 頭上にはてなマークを浮かべている少女を、なんとか表通りに連れ出した。

 さっきの騒ぎは沈静化したようだ。

 ユウキとポチは、少女に連れられて歩き出す。

 なんと御礼をしたらいいか、とすっかり恐縮しきっている少女に道案内をお願いしてみたのだ。


「銅像といえば、おそらくはこの街の礎を築かれたピーター氏の銅像でしょうね。ご案内いたしますよ」


 すっかり元気になった少女が、上機嫌に道案内をしてくれる。


「といっても、ここは街の東のはずれで……銅像は中央広場にあるのでかなり歩くのですが」

「ええ……」


 それならば、結構時間がかかってしまいそうだ。

 待ち合わせ相手が業を煮やして帰ってしまっていなければいいけれど。


「なるべく、ちかみちをおねがします。えっと……」


 ここにきて、お互いの名前を知らないことを思い出した。


「申し遅れました……サクラでございます。恥ずかしながら家名を賜っている生まれでございまして、サクラ・ハルシオンと申します」

「ユウキです。ユウキ・カンザキ」

「なんと!」


 サクラが目を見開いて、ユウキを見つめた。

 そんなに驚くような名前なのだろうか。

 一応、前世の名前を名乗っただけなのだが。


「カンザキ……様? 申し訳ございません、家名を存じ上げず……な、なんという失態! 帝国貴族の端くれとして、他の貴族の家名や家格を失念など……我ながら恥ずべき愚者っぷり……」

「いやいや、きぞくじゃないですっ!」

「……? 家名があるということは、貴族なのでは」

「えっ?」

「はい?」


 家名があれば貴族。

 なるほど、少なくともこの国ではそういうルールになっているらしい。


「ユウキカンザキまで、ぜんぶなまえ! です!」

「なんと! それでは愛称がユウキ様ですね」


 こくこく、と頷くと、なんとか納得してもらえたようだった。


「ご年齢のわりに強大な魔力をお持ちですし、一人旅をされているし、俗世とは一線を画しているご様子ですし……てっきり、かなり深いご事情のある方かと思ってしまいました」

「す、すみません……やまおくから、きたので……」


 どうにかなれ!

 ……という気持ちで、ユウキは隣を歩くサクラを見上げた。


「か、かわっ」


 途端に、サクラの口元が緩む。


「……こほん。そ、そうですね。まだお小さいので、世の中のことをご存じなくても仕方ありません……失礼しました」


 ぐぅううぅう、と切ない音が響く。


「おなか、すいたんですか?」

「うっ、申し訳ございません! お恥ずかしい、役立たずのくせに食欲があるなんて……っ!」

「だれでもおなかはすくよ」


 はい、とユウキは紙袋を差し出す。

 さきほど、アベルに押しつけられたパンの入った紙袋だ。

 ユウキは保存食を持っているし、上手くすれば待ち合わせ相手と合流できる。サクラが食べるほうがいいだろう。


「うぅ、ありがとうございます……っ」

「たりなければ、くだものもあるからね」


 オリンピアの持たせてくれた果物だ。あまり長持ちはしないだろうから、お裾分けしておいた。

 自分と同じくらいに大きな背嚢リュックを背負ったちびっこが、モフモフの犬をつれて年上の美少女に連れられているという図は、かなり注目を集めている。

 とことこ歩いていると、やがて向こうに銅像が見えてきた。


「トワノライトで銅像といえば、あれです。この街を発展させ、魔王時代後にこの地方が発展する礎を築いた『鉱山王』ピーター卿の像です」


 おや、とユウキは首をかしげた。


(ピーター……って、どこかで聞いた気がするな?)


「さあ、付きました。あれがピーター卿の銅像です」


 サクラが指をさした銅像。

 凜々しい顔つきの男性だ。年齢は四十代くらい。

 立派な服に身を包み、右手にツルハシを持っていて、左手はよくわからないが斜め前方向を指差している。銅像にありがちなポーズだ。

 意外と普通の顔立ちというか、言われなければそんな重要人物には見えない

銅像だ。服装と顔つきとポーズと持ち物がすべてちぐはぐで、ちょっとオモシロになってしまっている。


「えっと、まちあわせ……」


 ユウキたちがキョロキョロしていると、銅像の前に立っていた男性が片手をあげた。


「やあ、おはようございます」

「えっ」


 ユウキは驚いて思わず声をあげた。

 和やかに声をかけてくれた男は、銅像そっくりだったのだ。

 男の方が少しばかり歳をくっているし服装がラフ……というか麦わら帽子に白シャツというラフさだが、眉毛から鼻から口から、顔のパーツが何もかもがそっくりだ。人懐こそうな、右の口端を持ち上げる笑い方まで完コピである。

 もしかして、ファンの人かな?


「やはり君が、ユウキ殿かな?」


 英雄完コピおじさんが、ユウキににっこりと微笑みかけてきた。

 念のため、きょろきょろとあたりを見回すが、周囲にユウキと同じ背格好の人間はいない。


「やっぱりそうだ。はじめまして、僕はピーター。ルーシー殿から話は聞かせてもらっています、トワノライトへようこそ!」


 大きな手を差し伸べられて、思わず握手をした。

 片膝をついて、目線を背の低いユウキにあわせてくれている。


「ぴーたー……」


 やっぱり、さっきサクラから聞いた名前だ。

 このトワノライトを発展させた張本人で、貴重な鉱石であるエヴァニウムの鉱脈を見つけた偉人だという。

 目の前の壮年の男は、とても人がよさそうな笑みを浮かべている。

 麦わら帽子とか被ってるし。とても、偉い人には見えない。

 サクラが、震える声で叫ぶ。


「な、な、待ち合わせをしている相手って、ピーター卿だったのですかっ!?」

「え、あ、たしかに、めもにピーターってかいてある……かも」

「な、なんと……っ!」

「おや、そっちのお嬢さんは……木製の素杖に白衣ってことはミュゼオンの見習いさんかな?」

「は、はい。サクラ・ハルシオンです」

「ユウキくんを助けてくださったのか、さすがは将来の聖女様だねぇ! こちらは少ないですが、喜捨でございます」


 ピーターがポケットから取り出したコインを恭しくサクラに差し出した。


「わっ!?」


 ぴき、とサクラは固まってしまった。

 受け取ったコインを握りしめたまま、ふるふると震えている。


「サクラさん、だいじょうぶ?」

「だ、だ、大丈夫なわけありません……ピーター卿ですよぉぉっ!? ユウキ様、あなた一体何者なのですかっ!?」


 何者と言われてもなぁ、とユウキは思わずポチと顔を見合わせた。

 恐縮して赤くなったり青くなったりしているサクラに、ピーターが照れ笑いをする。


「いや、そんな大層な者じゃないんだよ」

「何をおっしゃるのですか、この街を作ったといっても過言ではないです……なんの役にも立たない歪んだ鍋のふたみたいな私が生きていられるのも、このトワノライトが豊かな街だからです……もはや、ピーター卿は私の恩人! ですっ!」

「そのピーター卿ってのやめておくれよ、照れるって……」


 ピーターが、見た目に似合わずモジモジと身体をよじる。

 熱弁モードに入ったサクラは止まらなかった。


「そもそもトワノライトは、もとは草木の生えない不毛の地と呼ばれていた場所……その原因究明に乗り出したのが、最強と名高いかの救国の英雄グラナダスの隊に属していたピーター卿です。当時は下働きとして隊を支え、魔王撃破後にグラナダス隊が解体となった後も、の瘴気放出によって衰えた国力復興のために尽力されたとか! そして、この場所に古代精霊の力を蓄えた貴重な鉱物エヴァライトが大量に埋まっていることを突き止めたのです!」


 饒舌だ。もはやミュージカルのノリである。

 いつの間にか近くに人だかりができている。

 ピーターは麦わら帽子を目深に被って、


「こうして『鉱山卿』ピーターにより、トワノライトの街が大発展しただけではなく、人類の発展にも大きく貢献しています。精霊の力が大きく弱まってしまった瘴気放出以降の世界において、精霊石エヴァニウムの鉱脈が発見されなければ文明は衰退していたに違いありません──ピーター卿こそ、偉大なる伝説のひとりなのですっ!」


 大演説が終わると、集まってきた聴衆から拍手が漏れた。

 小さなコインがぽいぽいと投げ込まれる。

 コインがこつんとおでこに当たったサクラが、我に返って顔を赤らめる。


「はっ! こ、これは見世物ではございません……」

「えっと、俺も……一応追加で渡しておくねぇ……」


 ピーターも茹で蛸のように赤くなってしまっている。

 コインを手渡されたサクラが、ぴたっと動きを止める。


「……ありがとうございます」


 震える声で、サクラは頭を下げた。

 なんだかそれがあまりに切実で、ユウキは首をかしげた。

 ピーターが穏やかな声色で言った。


「見習いさんということは、教団への上納金なんかも大変でしょう」

「は、はい……私、恥ずかしいことなのですが、こんなにたくさんの喜捨をいただいたこと、なくて……ダメなゴミなので、ずっと実家から持ち出した色々な物を売って、司祭様にノルマを……」


 そこまで言って、サクラはハッと口をつぐんだ。


「すみません、こちらの事情を……」

「いえ、聖女見習い様に精霊のご加護のあらんことを」

「……ありがとうございます、ピーター卿。ああ……それにしても、まさか、ピーター卿から喜捨をいただけるなんて……今も市井に紛れて暮らしていらっしゃるとは聞いていましたが……気取らないお人柄、偉ぶらないご人徳。想像を遙かに超える方でした」


 くるり、とサクラはユウキに向き合った。


「それから、ユウキ様も。助けてくださって、ありがとうございます。その……ユウキ様のご身分は内密にいたしますので」

「みぶん?」

「その……やはり、高貴なお方とお見受けいたしましたのでっ」


 何か勘違いがあるようだけれど……変に訂正すると、余計にそれらしく感じさせてしまうかもしれない。今は黙っておこう。


「ううん、こちらこそっ! あんないしてくれて、ありがとう」

「わうっ!」


 とりあえず、ユウキはピースサインをしてみせる。

 なんだか大変そうなので、「がんばれ」の気持ちと「いけるよ」の気持ちを込めて。サクラは不思議そうにユウキを見つめる。


「……? それは何かの呪いですか」

「のろいじゃないよ!?」

「そうでしたか、ハンドサインで呪術を行う流派もいると聞いたので」

「えっと、ぼくのこきょうの、げんきになる……おいのり? です」

「なるほど!」


 サクラは、見よう見まねでピースしてみせた。


「こう、でしょうか」


 はにかんだ微笑みが、とても可愛らしかった。

 サクラを見送ると、ピーターがひょいっとユウキを抱き上げてくれた。

 自分で歩けるとはいえ、昼近くになって行き交う人も多くなってきたので


「では、ユウキ殿。行きましょうか」

「はいっ」


 ピーターに抱っこされて歩く。

 ポチはすんすんと鼻を鳴らしながらピーターの足元をくるくると回ると尻尾を振ってピーターのあとをぴたりとついてきた。

 ユウキ以外には懐かないポチが友好的な態度を示している。

 もうひとつ、不思議なことに気がついた。


「だれも、ピーターさんのことをみない……?」


 サクラの様子を見るに、ピーターはかなりの有名人のはずだ。

 それが誰ひとりとして、ユウキを抱いて歩いているピーターに気がつかない……まるで、本当に「見えていない」ようだ。


(師匠が魔獣から姿を隠してるときみたいな……)


 ルーシーが意図的に自分の気配を消しているときに、すぐ鼻先をあるいていた魔獣がルーシーに気がつかないという光景を見たことがある。

 まさしく、あの時と同じ現象だ。


「あれ、ユウキ殿は気づいていらっしゃるのか。さすがは異世界からの旅人だな……昔から、悪目立ちしないのだけが取り柄でね。魔王を倒す英雄の旅に同行しただなんて言われているけど、粛々と買い出しやら宿の手配やらしてたのが俺なんだ」


 英雄グラナダスと共に旅していた

 やはり、この世界のオトナというのはすさまじい。

 ユウキは身を引き締めた。

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