第8話 鉱山都市トワノライト
鉱山都市トワノライトが見えてきた頃、東の空が白みはじめてきた。
ポチ──魔獣の王との異名をとったこともあるフェンリルは、大好きなご主人との二人旅に、大変はりきっていた。
ポチがまだ魔獣の王と呼ばれていた頃、ポチのご主人は魔王と呼ばれる人だった。とても意識が高く、彼が個人的な事情で憎んでいたニンゲンという種族をえこひいきする精霊たちを敵視していた。
当時のポチ──フェンリルに与えられた仕事は、人間たちを追いかけ回したり、あまり賢くない同族たちを従えて凶暴な人間たちに立ち向かったりすることだった。
それなりに誇りを持って取り組んでいたが、やたらと強い人間に虐められて、ほうほうのていで逃げだし傷を癒やしている間に、元ご主人である魔王は倒されてしまった。
それで、瘴気とかいうものがいたるところにばら撒かれた。
フェンリルにとっては悪いことではなかったが、瘴気というのは鼻が曲がるほどに臭いので気が滅入ってしまった。
怖い顔をして襲ってきたり、痛い思いをさせてくるやつらにフェンリルはうんざりしていた。
うざかった。
せっかく主人の居ない野良フェンリルになったのだから、と野山を駆けまわるという夢を叶えることにした。
そして、長い時間が経ったのち。
フェンリルは今の主人、ユウキに出会ったのだ。
あの忌々しい凶暴な人間とそのツレの精霊が結界の奥でのうのうと暮らしていることに気づいたフェンリルは、ちょっと脅かしてやろうと眷属を連れて結界破りをしようとした。
当然、忌々しい凶暴な人間は怒ってフェンリルを追いかけてきた。
一撃を食らって、またフェンリルは手負いになった。
まただ。あの人間は、強すぎる。
あの人間のメスは、年齢を重ねても老いて衰えるどころか、より洗練された強さを手に入れていた。
まったく、忌々しい。
眷属のコオリオオカミたちも、散り散りになってしまった。
苛立ちながら、隠れていたところに……ユウキがやってきたのだ。
だが、このユウキという小さな人間は少し普通と違ったのだ。
フェンリルを殺そうとも、追い出そうともしなかった。
「……あのさ、おなかすいてるんじゃない? これたべる?」
凶暴な人間と別れて、ユウキはたった一人でやってきた。
はじめは、腹いせに食ってやろうかと思った。
だが、差し出してきた干し肉を食べて驚いた。
今まで食ったどの肉よりも美味かった。
どうしたことか、とフェンリルが戸惑っていると、
「なんか……おまえ、ほかのまじゅーとちがって、ちょっとはなしがつうじてるかんじがしてさ。むかしひろえなかった、いぬのこと、おもいだした」
と、昔話をはじめた。
小さい人間には、以前に生きた別の人生があるのだという。その頃に、とても賢そうな捨て犬を家庭の事情で拾えなかったことを今でも少し後悔しているのだという。
気がつくとフェンリルは、ぐるぐると唸るのをやめていた。
そして、フェンリルに向かって笑って、頭を撫でたのだ。
長い魔獣生で、人間に……いや、他の生き物に微笑みかけられたのは初めての経験だった。なんだか尻尾を振りたい気持ちになった。
なんだか、この小さな人間に名前を呼ばれたい気持ちになってしまった。
「ポチってなまえにしたかったんだよなぁ……犬を拾えたら」
ポチ。
フェンリルはその名前を、すっかり気に入ってしまった。
その名前を、自分のものにしたい。
ポチ──そう名乗るには、図体がデカすぎる。顔が怖すぎる。
名前にふさわしい体にならなくては!
「……え?」
「わふっ!」
気がつくと、フェンリルは──ポチは善良な子犬の姿になっていた。
主人であるユウキの足元を駆け回るのにふさわしい、ふさふさの犬に。
「な、なにこれ!?」
「わふわふっ」
こうしてフェンリルは、忠犬ポチとしてユウキの相棒となったのだ。
忌々しい凶暴な人間には、たまに牙を剥いてぐるぐる唸ったりもしたけれど、おおむね良好な関係を築いてきた。
だがポチは、忠犬としてもっとご主人の役に立ちたいと常々思っていたわけである。結界の中は退屈すぎた。
そういうわけで。
ポチはこの旅に出るにあたって、とても張り切っていたのである。
草原にかなりの数が繁殖しているブラック・ウルフの群れを魔獣たちの王としてのオーラで牽制し、弱いニンゲンのオスごときが大切なご主人に危害を加えないように(ごく穏便に)ちょっとだけ脅してやったわけだ。
仕事をやりきったポチは、とても清々しい気持ちで熟睡しているユウキを前足でゆさゆさと揺り起こした。
……このユウキに備わっている能力こそが金髪ロリ女神にも感知できない、前世の得により獲得した能力のひとつ「テイムEX」だとわかるのは、もっと後になってからである。
◆
というわけで、ユウキとポチはトワノライトに到着した。
街の外周が高い城壁に囲まれているのは、魔獣対策だそうだ。
なお、到着した瞬間にはユウキは爆睡していたので、外観はほとんどわからない。遠目で街の全貌を見ていれば、大まかな広さなどがわかったかもしれないのだけれど。
ぺろぺろと顔を舐めてポチが起こしてくれたときには、すでに他の客はいなくなっており客席を圧迫していた荷物も運び出されている。
どれだけ爆睡していたのか。
我ながら図太い神経である。夜行バスでもぐっすり眠れるタイプなのは、お
子ちゃまになっても変わっていないようだった。いや、むしろさらによく眠れ
るというか。
「よっと」
一日ぶりに馬車から降りて、地面を踏みしめる。
ずっとガタガタ揺れていたからか、なんだか平衡感覚がおかしかった。
「坊ちゃん、乗り心地はどうだった?」
「ふわ……ずっとねちゃってたので、おもったよりだいじょうぶかも」
「そうかい。いつも悪さする野郎どもを完封とは、恐れ入ったなあ」
「……?」
「ブラック・ウルフどもとのチェイスもなかったし、毎日でも乗ってほしいく
らいだぁ! これ、運賃ちょっとオマケしてやるよぉ」
御者がいやに上機嫌だった。
無事に目的地に到着した際に支払う到着報酬を受け取ってもらえず、ユウキ
は逆に怖くなってしまった。
(俺……別に何もしてないのに……?)
同じ馬車に乗っていた三人組は支払いを済ませるやいなや、挨拶もそこそこにそそくさと人混みに紛れていってしまった。
なんだか、ユウキに怯えていたみたいだけれど……?
「わんっ」
なぜか誇らしげにしているポチの頭を撫でてやった。
街に入る際には簡単な手荷物検査があった。
トワノライトで採掘される鉱石エヴァニウムが密輸されたりや盗難されたり
することを恐れているみたいだ。
ユウキはきょろきょろとあたりを見回す。
すごい人、見たことのない道具、食べ物の屋台。
着ている服からして、まるでファンタジー系のオンラインゲームの中に入り込んでしまったみたいだ。
「ここが……都会……っ!」
精霊や魔獣というある意味ファンタジー要素ではあるけれど、どちらかというと自然に囲まれて育ったユウキにとって、はじめての「街」だった。
明け方の街に、LEDや電気ではない明かりがちらほらと見える。
まだ日が昇りきっていないというのに、かなりの人出だ。
ユウキと同じく、トワノライトに到着したばかりの人たちが眠たげに歩いている。忙しなくどこかへ向かっていく人たちも多い。
身長の小さいユウキのことが視界に入らないらしく、何度かぶつかりそうになってしまう。
ユウキと同じ背格好の子どもは、まったく見当たらない。
正直、とても場違いだ。
(とりあえず、師匠にもらったメモを……ピーターさんとの待ち合わせ場所はどこだろう)
トワノライトではルーシーの知人の家に居候することになっている。
ピーターという人の営む『手伝い屋』の手伝いをするのが、この街でのユウキの仕事になるらしい。
仕事を得るのは、オトナとしての大きな一歩だ。
といっても、まだ六才なのだけれども。
(えぇっと……銅像前? いや、銅像ってそんなふんわりと……)
明け方の街を、手元のメモを見ながら歩く。
ルーシーが簡単な地図を書いてくれたが……まったくもって、意味がわからない。地図を書くのが下手なのか、もしかして、ルーシー自身が方向音痴なのか。目印となるランドマークがまったく描き込まれていないので、現在地がどこなのかもわからないし、目指すべき銅像がどこなのかもわからない。
「とりあえず、あるくか」
六歳児とはいえ、雑踏を歩くくらいのことはできるだろう。
毎日くたくたになりながら都心とベッドタウンを往復していた身である、雑
踏を歩くのは苦手じゃない。いや、むしろ得意分野といってもいい。任せてくれ──と、思ったのだけれど。
「ひっく……ねえ、見て。鞄が歩いてる」
「やだ、飲み過ぎじゃないの?」
「ほんとだってば~……ほら、あれ」
「本当に鞄が歩いてるじゃないの、かわいいっ!
くすくす、という笑い声に振り返る。
歩く鞄、というのはどうやらユウキのことらしかった。
思わず振り返ると、胸元や太ももをハデに露出したお姉さんが二人、ユウキに向かって手を振っていた。
とろんとした表情。
あれは、明らかにオールで飲み過ぎた翌日というテンションである。
……というか、とんでもなく化粧が濃い。
夜の飲み屋の照明ではちょうどいい具合でも、朝日に照らされると部族同士の戦いに赴く戦士の戦化粧といった感じだ。
強そうにもほどがある。
顔面が屈強なお姉さんが、ひらひらと手招きをした。
「ねえ、鞄さん。よかったらお姉さんたちと一緒に寝ない?」
「ひ、ひぇっ」
ユウキは後ずさりをして、慌てて駆け出した。
子どもをからかっちゃいけません!
きょろきょろとあたりを見回しながら歩くが、「銅像」っぽいものは見当たらない。
かなり広い街だ。誰かに尋ねればいいのだろうが、さきほどのお姉さんたちの様子を見るに、あまり治安の良くない区域に迷い込んでしまったようなので誰かに声をかけるのも憚られる。
早足、といっても六才児なりの早足でトコトコ歩いていると。
どこからか、うめき声が聞こえた。
「……?」
耳を澄ます。
ユウキでは音がどこからするのかはわからなかった。
困った、というか、迷った。
聞かなかったフリをするべきか、それとも──。
「わうっ」
ユウキの迷いを察したらしいポチが、「俺についてこい!」とばかりに鳴いた。親切で可愛くて頼りになる魔獣の王フェンリル(ミニサイズ)である。
(ここ……?)
ポチが連れてきてくれたのは、明らかに怪しい路地裏だった。
そっと覗き込むと、見るからに怪しげな人影が。
やたらとガタイのいいスキンヘッドの男と、とんがり帽子のキョドキョドしている細身の男……見覚えが、ある。
「なあ、マイティ。やっぱりマズいって……この人、ミュゼオン教団の聖女さんだよ?」
「ちげぇよ、まだ聖女にもなってない見習いだろうが」
「でもよぉ……こんな女の子から身ぐるみ剥ぐなんて」
「だから、だろ。教団の見習いが奉仕活動中に襲われたなんて話、それこそ掃いて捨てるほどあるんだ……バレやしねぇよ」
「でもよぉ……アベルは女は狙うなって」
「あいつの言いなりなんて反吐が出るぜ!」
明らかに苛立っているマイティと、それを諫めようとしているスティンキーの足元に倒れている人影を見て、ユウキは息を呑んだ。
女の子だ。十二才くらいだろうか。
ぐったりとしていて、意識不明の重体。
もしかして、彼らに乱暴をされたのだろうか。
師匠であるルーシーの言いつけ──本気で戦ったりしてはいけない、というルールが頭によぎる。
(いや、ムリだわ)
師匠、ごめんなさい。
かあさん、怒らないでね。
ユウキは心の中で育てのママと母に謝罪しつつ、一歩を踏み出した。
明らかに困っている人を見捨てるなんて、できない。
「ねえ、おじさんたち何してるの?」
正義のヒーローみたいな決め台詞だと思って放った言葉は、六才の声帯のせいで体は子ども頭脳は大人なメガネの小学生探偵みたいな「あれれ~?」感が出てしまった。
「げっ、馬車のガキ」
ユウキとポチは、倒れている少女に駆け寄った。
かろうじて息はあるようだ。
ユウキはほっと胸をなで下ろす。
だが、病院なんてあるのかもわからないし、スリ二人組に囲まれていることは変わらない。状況は悪いのだ。
「ち、違うんだ……俺は止めようと」
「ガキ相手にビビるやつがいるか、どけ!」
スティンキーをマイティが大きな手をユウキに伸ばしてくる。
「うわっ」
首根っこを掴まれて、ユウキの身体が宙に浮く。
ポチがぐるる、と唸った。
その目が妖しい青に光ったのを見て、ユウキは慌てて制止する。
もし今、ポチが
やたらとユウキに懐いていることでウヤムヤになっているが、ポチの正体はフェンリルである。絶対にこの場で、化けの皮が剥がれてはいけないのだ。
(ポチ、まて! まてっ!)
必死のアイコンタクトでポチを制止する。
とりあえず、ここから離れなくては。
路地裏の人目のない場所で、倒れている少女とチンピラ二人。
六才児には荷が重すぎる。場所を変えたい。
「その子のそばにいて、ポチ」
「わんっ」
ポチに少女を任せて、ユウキはぽてぽてと走り出す。
頭に血が上っているマイティは、血相を変えて追いかけてきた。
何度か追いつかせては、空振りさせる。
意外と動きが遅いのは、長旅で疲れているのだろうか。
よかった、六才で。若いって素晴らしい。
「やめろって、マイティ!」
スティンキーが慌てて追いかけてくる。
ユウキはひょいひょいと掴みかかってくるマイティの腕を避けながら、人目のある場所を目指す。
早朝の街だからだろうか、明らかなトラブルなのに道行く人々が立ち止まることはない。通勤ラッシュの駅のホームと同じだ。人が落ちても知らんぷり。
「お、おねーさんたち! たすけてっ」
とっさに助けを求めたのは、さっきユウキにメロメロになっていたケバいお姉さんたちだった。
「あら、さっきの子!」
「どうしたのー?」
「きゃっ、あの人……たまに来る、クソ客のハゲじゃない?」
「あ、マジじゃん」
マイティを指差してクスクスと笑う酒場で働いているらしきお姉さんたち。
いやいや、クソ客って口にでちゃってますけれど。
ユウキは苦笑いした。
なんというか、勤務時間外の女性というのは容赦がない。マイティにもそれが聞こえたのかショックを受けた表情をしていた。
「く、くそおぉお! 馬鹿にしやがって!」
「うわ、わっ! ぼくはかんけいないのではっ!」
結果として、八つ当たり先がユウキになったのは想定外だった。
「くっ、このガキ!」
ゆで蛸みたいになったマイティが吠えた、その時だった。
「何してる?」
ひょい、とユウキを抱き上げる手があった。急に足が地面から離れてびっくりしていると、目の前には口ひげが出現した。
「げっ、アベル!」
口ひげの小男──三人組のリーダー、アベルがマイティを睨み付けていた。
ぴたり、とマイティの動きが止まる。
「マイティ、スティンキー。勝手に何をしてる?」
迫力。
とても不機嫌そうなアベルの様子を一言で表すと、ド迫力だった。自分よりもずっと大柄なマイティを圧倒している。
けれど不思議なことに、アベルの迫力はユウキにとっては嫌な感じはしないのだ。
「坊主、悪かったな。乗合馬車に引き続き、うちの馬鹿どもが」
ぼそぼそと喋るアベルが、ユウキを地面に下ろしてくれる。
とんがり帽子をとって、スティンキーもユウキに向かってぺこりと頭を下げてくれた。乱暴者のマイティ以外は、実は良い人なのかもしれない。
「……あっ!」
とりあえず、うやむやのうちに場が収まったところで、ユウキは倒れていた少女のことを思い出す。
あの子のところに戻らなくては、と回れ右をした。
「待て、この状況はなんなんだ……その坊主と、どうしてまたつるんでる?」
「そ、それはマイティが……その、ミュゼオン教団の聖女見習いを……」
スティンキーがアベルにしどろもどろで説明をしている。
それを聞いていたアベルの表情が、一気に曇った。
「ミュゼオンの少女に手を出したのか?」
「ご、ごめん。俺は止めたんだ」
「……いや、もういい」
マイティは不機嫌を隠そうともしなかった。
(なんか、事情がよくわからないけど……もう行っていいのかな)
ユウキはそっとその場を離れようとする。
「待て、坊主」
「は、はいっ!?」
アベルに声をかけられて、飛び上がる。
「ミュゼオン教団の聖女見習いが倒れていたのなら、腹が減っているか魔力切れかのどちらかだ……これ持ってけ」
手渡されたのは、パンの入った紙袋だった。
まだほんのりと温かい。
「俺たちの朝飯用に買ったパンだが、まだ手はつけてない……ほら、とっとと行けよ」
「えっと、ありがとう……?」
ミュゼオン教団だとか、聖女見習いだとか、聞き慣れない単語ばかりだ。
ルーシーは身体を鍛える以外のことは最低限しか教えてくれなかったし、オリンピアに至っては精霊だ。人間のことは極めて疎い。
とりあえず、倒れていた子を助けにいかないと。
ポチがいるとはいえ、殺気の路地裏にまた悪い奴が寄ってきたら大変だ。
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