第7話 かわいい子には旅をさせよ
ユウキが六才になる頃。
ルーシーとの修行も順調で、オリンピアの結界も万全。
種類は少ないけれども、ハーブや調味料なんかを育てたり仕入れたりするようになって、毎日の食事もそれなりに美味しいものが食べられるようになった。
ルーシーを悩ませていたコオリオオカミたちの大量発生も、その親玉であるフェンリルを手懐けることで解決した。
そんな平穏なある日のこと。
泉で水を汲んでいるユウキのところに、神妙な顔をしたルーシーがやってきた。
「ユウキ。そろそろ、この家を出てもらおうと思う」
「えっ」
「ワンッ」
ユウキの足元でポチが鳴いた。
真っ白い毛並みの子犬──に見えるが、ユウキに懐いたフェンリルである。
色々あって、魔獣の王とも呼ばれたフェンリルを飼い犬にすることになったのだが……今は、それどころではない。
「でていくって……師匠? ぼく、まだ子どもなのでは?」
「我が一族は子の齢が六つになれば、親元を離れて生活をさせることになっている。私もそうだった」
「えええ……」
爆弾発言にもほどがある。
なんとかルーシーとの修行にはついていけるようになって、野山を駆ける身のこなしも、棒きれを使った剣術の稽古も、少しは自信がついてきたところなのに。けれど、まだルーシーには及ばない。
それなのにまさかの、ここで
この世界でいっちょまえのオトナとして生きていくには、まだまだ馬力が足りないのではないか。生きていけないのだろうか。
「師匠、それかあさんは知ってる?」
「オリンピアには……まだ話してない」
「ひぇっ」
これは荒れるぞ。
思わず足元のポチに視線をやると、ポチも困り顔で「くぅん」と唸っていた。これから訪れるであろう嵐は、さすがのポチも避けたいところなのだろう。
それにしても困った。
ユウキは頭を抱える。
「おれが……おうちをでていく……」
「一応、昔の仲間にお前を預けたいと思っている。近頃大きくなってきた新しい街だ」
「うぅ……ふあんだあ」
「問題ないだろう……むしろ、ここにいてお前に教えられることはもうないというか」
ルーシーはごにょごにょと付け足した。
なるほど、オトナになるタイミングがもとの世界とは違うだろうと思っていたが、ユウキが想像していたよりもずっと早かったようだ。
「十五か十六にもなれば独り立ちする者も多いが、私の家では六才になったら、一族以外の師匠を見つけたり、働き先を見つけたり、学問を究めたり、自らの成すべきことを探しはじめるんだ」
「わかりました……」
それならば、仕方ない。
ユウキは腹をくくった。
「くぅん」
「ポチはつれていっても、いいですか?」
「むっ」
ルーシーが一瞬、難色を示す。
ユウキはポチのことを「とても大人しいコオリオオカミの幼体」と説明していた。まさか、ルーシーが危険視していたフェンリルだとは言えない。とても言えない。
ポチの正体が知れてしまえば、某国民的アニメ映画よろしくポチを後ろに隠しながら「来ないで!」とするしかなくなってしまう。
とりあえず、ポチのビジュアルがキング・オブ・虫さんといった感じではないことだけが救いだ。
もふもふのしっぽに、温かくて丸いお腹。
背中からは、結界の中に降り注ぐお日様の匂いがする。
ルーシーはじっとポチを見つめている。
「そうだな、問題ないだろう……実際、魔獣を飼い慣らして使い魔とする、テイマーという職種もある。そいつはユウキ以外にはイマイチ懐かないようだし」
「よ、よかった」
「わんっ!」
事実、ポチはユウキにとても懐いている。
理由はいまひとつわからないのだけれど、人里に降りたからといって急に暴れ始めることもないだろう。
そういえば、あの金髪ロリ女神が「我のコントロールできない、前世の徳ポイントによる能力は生まれてみてのお楽しみである!」とか言っていた。
もしかしたら、あれが関係あるのかもしれない。
ポチの頭をぽんぽんと撫でて、ユウキは周囲を見回す。
(そうだよなぁ、いつまでもここにいるわけにもいかないし)
一度も雨が降ったことのない晴れ渡った空。
それなのに、いつでも瑞々しく青い葉を茂らせている植物たち。
オリンピアが望めばいつでも、甘くておいしい果実が実る木々。
清らかな水が渾々と湧き出る、結界の中心にある泉。
──外の世界には、たぶん存在しないものだ。
(思えば、恵まれてたよなぁ……)
ユウキはこれから体験するであろう苦労を想像して、くぅっと唇を噛む。
と、同時に。
なんだか心躍るような、ウズウズするような。
今すぐ走り出したいような、不思議な感覚に襲われる。
(俺、どれくらい通用するんだろう……?)
前世では、とにかく弟や妹のためにと遠慮して生きていた。
何かにチャレンジすることなく、安牌を切り続ける人生だった気がする──波風をたてず、身の丈を知る。そんな風に生きてきた。
だから、だろうか。
自分の実力を、これから広い世界で試せるのだと思うと、なんだかこそばゆいような気持ちになる。
「……オトナとおなじとはいかないだろうけど……ちょっと、たのしみかも」
とりあえず目の前にある問題は、ルーシーとオリンピアの大バトルだろう。
嵐が過ぎ去るまでは、ポチと一緒に小屋の外で待っていようと決意したユウキなのだった。
ユウキが行く街は、トワノライトというらしい。
まずはルーシーの知人の家に居候をすることになる。
ルーシーの知人であるピーターという男が営んでいる『手伝い屋』の手伝いをするように、とのことだった。
まずもって、冗談みたいにのんびりした商売だし、手伝い屋の手伝いって。
街に出て働くことが修行って……なんだか、某アニメの魔女っ子宅配事業者みたいなことになってしまった。
──ルーシーが言うには、「そんな子がいるなら、ぜひとも預かりたい」と前のめりだったそうだけれど。
こんな子どもを預かって、何か得があるのだろうか。
ルーシーの知人でなければ、それこそ人身売買とか人攫いとかを疑ってしまうところである。
まあ、そんなこと口が裂けても言えないけれど。
心配性のオリンピアが卒倒してしまう。
◆
「うぅ~……ユウキさん、今からでも考え直さない?」
出発の日。
まだ東の空が白んできてすぐの早朝に、ユウキは結界の端──修行の場にしていた崖のところにやってきた。
しおしおに落ち込んで俯いているオリンピアが泣き言を漏らしている。
その横にはルーシーがげっそりとやつれた顔で腕を組んでいた。
話し合いは大荒れだった。
大人同士の話だから、ユウキは寝ていなさい──とルーシーが絞り出すようにユウキに言ってから数日の間、ルーシーとオリンピアの間では大論争が行われていた。
とかくオリンピアは心配性なのである。
最終的にオリンピアとルーシーによるちょっとしたバトル(物理)が繰り広げられ、一応の決着がついたようだ。
──精霊と素手でやりあうとは、やっぱりこの世界のオトナはすごい。いや、オリンピアがかなり手加減していたのか……というか、精霊だからといって強いかどうかすら、ユウキにはわからない。
「ユウキさん、何か持っていくものは……うう、ここから動けない自分がとびっきり憎いですぅ」
「かあさん、ぐるじい」
「わ、ごめんなさいっ」
感極まったオリンピアに抱きしめられて、ユウキはごほごほと咳き込んだ。
オレンジにそっくりの果物で、それなりに日持ちがしそうだ。
「紹介状は持ったな?」
「はいっ」
「地図はすぐに取り出せる位置か?」
「はいっ」
「地図も紹介状も、それから手持ちの金も、乗合馬車の中では絶対に他の人間に見せないこと。置き引きが狙っているぞ」
「はいっ」
「荷物は基本的に目を離さない……いや、手元から離さないように」
「はいっ」
「それから、これが一番大事なことだ」
「はい……?」
「襲われたとしても、絶対に本気で戦わないこと」
どういうことだ、とユウキは首を捻る。
子どもの自分が、オトナに襲われて……ああ、なるほど。
(戦おうとせずに、逃げろってことか)
ルーシーのように魔獣をバカスカ倒しまくるのがこの世界のオトナだとしたら、今のユウキが太刀打ちできるとは思えない。
「忘れ物はないですか、ユウキさん」
「はいっ」
ユウキは元気よく頷いた。
あまりオリンピアに心配をかけたくない。
「では、ユウキ……これは私からの餞別だ」
「師匠……?」
手渡されたのは、ルーシーが愛用している短刀だった。
よく修行中にくたくたなったユウキにオリンピアの持たせてくれた果実を剥いてくれた。ただし、直前にコオリオオカミの毛皮を剥いでいたのが同じ毛布ではないことを祈るばかりだったわけだが。
「私が家を出るときに、父の引き出しから拝借してきたものだ」
「はいしゃく」
「ああ。女にくれてやる剣は、父は持ち合わせていなかったらしいからな。勝手に拝借したんだ」
剣ではなくて、ナイフだけれど。
ルーシーにとって大切なものであることは、その一言で痛いほどにわかった。
「よいしょっ」
巨大な
あれこれを詰め込んだため、ユウキを後ろから見ると
ユウキは結界の外へと一歩踏み出す。
「いってきます!」
「わうっ!」
立ち止まり、ルーシーとオリンピアに手を振る。
二人が手を振り返した。
ぽろぽろと涙を流しているオリンピアと、弟子を安心させるように大きく頷いて見せるルーシーに、ユウキは思う。
(不思議だな……寂しいや)
とてとて、と歩く。
魔の山と呼ばれている結界の外だけれど、この数年でユウキにとっては「狩り場」となった。
ルーシーと一緒という条件付きではあるけれど、枯れ木と雪にまみれた山の中で魔獣狩りをしていたのだ。それがユウキの修行だった。
いただいた命は無駄にならないように、ルーシーが色々と教えてくれた。
高く売れる毛皮や、薬になる肝など……きっと、これからの生活でも役に立ってくれるはずの知識ばかりだ。
ユウキの側を歩いていたポチが、くんくんと鼻をひくつかせた。
近くに何かがいる気配を察したのか。
「……シモフリリュウモドキ!」
しかも、複数。
本体はスライムのような不定形の魔獣だとわかってはいても、凍り付いたドラゴンの姿というのは迫力がある。実際の強さはさほどでもないことだけが救いだ。
擬態した生物の知能をあるていど模倣するらしく、ルーシーの不在を明らかにねらっているのだろう。
ほかにもシモフリリュウモドキが集まってきた。
ちょうど、十匹くらいだろうか。
だが、ユウキには構っている暇はないのだ。
「ばしゃのじかんにおくれちゃう」
山を下りて、半日歩いた先にある乗合馬車の駅に急がなくてはいけない。
三日に一本の馬車だから、これを逃したらいったん引き返してオリンピアの小屋で待たなくてはいけない。
先程の感動の別れをした手前、さすがに帰りにくいのだ。
普段の修行では木の棒を使って戦っていたけれど、今はそうもいかない。
ルーシーからもらったナイフを取り出す。
もふもふの犬の姿のままで、ポチが唸った──本当はヒグマくらい大きな狼の姿なのだから、本気を出してほしいとユウキは思う。
「どいてね!」
ユウキは、たんっと地面を蹴った。
すべて倒す必要はないだろう。何匹か倒して、氷核はいったん放置した。ルーシーがどうにかしてくれるだろう。
ビビったシモフリリュウモドキたちがドラゴンの姿を保てなくなったところで走った。
六歳児のダッシュだから限界はあるけれど、逃げ切るには十分だった。
◆
ユウキとポチが乗合馬車の駅につくと同時に、馬車がやってきた。
馬車とはいえ、荷台を引っ張っているのは馬とラクダを足して割らなかったような不思議な動物が引いている。
(唾飛ばしてきたりしないよな……?)
ラクダ馬にビビりながらも、ユウキは煙草をふかしている御者に話しかけてみる。
「あの、このばしゃは……トワノライトにいきますか?」
「あん?」
ユウキを見て、御者が怪訝な顔であごひげを撫でた。
「行くには行くが……坊主、一人かい?」
「はい」
「ふぅん……手荷物は背嚢と犬だけか」
「のれますか?」
もし満員で乗れない、なんてことになったら目も当てられない。
見たところ、客はほとんどいないようだ。
駅といっても馬の手入れをしつつ保存食を売っている、住み込みの駅員らしき人がいるだけだった。
「心配すんな。こんな僻地からの客なんて、ほとんどいねぇよ……グラナダス様のために走らせてる便だからな」
「ぐらなだす?」
「知らねえのかよ、魔王を倒した大英雄様だ。たまにこのあたりからの乗合馬車を使ってるつーんで、廃便にしちゃいけねぇって王国から圧力がかかってんだ」
おかげで赤字路線を運行し続けないといけない、と御者はぶつぶつと文句を零している。煙草の煙を漏らしながら愚痴っている姿は、いかにも労働者というかんじだった。
うーん、オトナだ。
ユウキは久々に感じるプロレタリアートな空気感に背筋を伸ばした。
「一騎当千の大英雄……たったひとりで魔獣の群れを蹴散らす強さ。誇張してあるんだろうが、話を聞くだけでおったまげるよ」
「つよいひとなんだ」
「ああ。仮面を被ってた謎の戦士ってのも、男心をくすぐるよな。どこからともなく現れて、仲間とともにあっというまに魔王時代を終わらせたんだ!」
「へええ!」
浮世から離れて育ったことを、ユウキはあらためて思い知る。
オリンピアはあの通りの天然系精霊だし、ルーシーも不在がちなうえに寡黙なマタギだ。世間の噂話などからはほど遠い。
「だがなぁ」
御者は短くなった紙巻き煙草をぽいっと投げ捨てた。
「魔王を倒してくれたってぇのはありがたいが、おかげでそこらじゅう瘴気まみれだ……グラナダス様のせいじゃねぇっつっても……」
瘴気。
かつて美しい山だったというオリンピアの住処が、魔獣がうじゃうじゃうろつく雪に閉ざされた山になってしまった原因も、瘴気による影響だという。
この御者はグラナダスという人に対して、複雑な感情を抱いているらしい。たぶん同じような感情を多くの人が抱いているのだろう。もしかしたら、本人すらも自分を「英雄」だなんて思っていないかもしれない。
ユウキは御者に乗合馬車の運賃を渡す。
事前にルーシーに運賃を教えてもらっていたから、困ることはなかった。
御者が眩しそうに空を見上げる。瘴気の影響なのかどんよりと曇っているが、太陽がちょうど南中したところだ。
「さて、乗りな」
「はいっ! おにいさん、よろしくおねがいします」
「腹にもねぇこというな、坊主。おまえからみたら、ジジイもいいところだろ」
自虐気味に肩をすくめる御者は口ひげを蓄えているぶん、ワイルドな印象ではあるけれど二十代半ばだろうか。ユウキにとっては、ジジイというほどでもないのだが。
馬車に乗り込む。客はユウキだけだった。
あとからやってくる客のことを考えて、一番奥に詰めておく。
御者の真後ろあたりに陣取って、腰を下ろした。
「ポチ、おいで」
「わふっ」
下ろした
なんということはない、満員電車に乗り込むときのスタイルである。
馬車は幌で日差しや雨を遮る構造になっているが、大雨には耐えられないような粗末なものだった。
「今日はデカい乗り継ぎ駅まで行って、そこの宿場に泊まってもらう。明日の馬車はもうちっとマシなやつなはずだぜ」
言い訳のように御者が言った。
「明日一番に出発したら、トワノライトまでは一昼夜走り通しだ」
「はい」
いきなり泊まりがけの移動である。
尻がそわそわして落ち着かないユウキに、ポチがぴったりと寄り添ってくれた。まさか凶悪な獣の王・フェンリルだとは思えないつぶらな瞳である。
乗り継ぎ駅に到着したのは日没後だった。
宿場ではものを食べないように、と言われたのを守って割り当てられたベッドのうえでパンを囓って眠ることにした。
毛布は薄くて使い物にならなかったけれど、ポチが寄り添ってくれたので寒くはなかった。コオリオオカミたちの親玉のように振る舞っていたフェンリルが、こんなにモフモフと温かい毛皮を持っているのは不思議なものだけれど、ちょっと獣臭いのすら安心感があった。
翌朝はやく、ユウキの向かうトワノライト行きの馬車は小さいものだった。
とにかく機動力を重視している、とのことだ。
馬とラクダを足したような動物は、魔獣の一種で「フタコブウマ」という名前だそうだ。
一昼夜走り通しという運行に耐えられる、タフな動物だとか。
手狭な荷台にはユウキの他には三人、大荷物を背負っている。
ひそひそと話をしているので、知り合い同士だろうか。
耳をそばだてると、「次の仕事が……」とか「そろそろ稼ぎがなんたら」とかいう言葉が聞こえる。
(たしか、トワノライトって鉱山がある街なんだもんね……出稼ぎか)
昨日と同じ御者が、他の客たちにに詰めさせてユウキのための場所を空けてくれた。ユウキと荷物、それからポチが座れるだけのスペースができた。
乗客は少ないが、いかんせん荷物が多い。乗客の手荷物だけではなく、トワノライトに搬入する荷物も混じっているようだ。
とはいえ、座れるだけ満員電車よりはマシだろう。
人相が悪かったり、なんだか胡散臭かったりする男たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれた馬車の荷台で、ユウキは小さい身体をもっと小さくした。
「それじゃ、出発ぅ」
気のないかけ声とともに、馬車が動き出す。
ちょっとでも揺れると隣の客と肩がぶつかる。
ずっとユウキの様子を横目でうかがっていた隣の客が、出発からしばらく経って話しかけてきた。
「坊ちゃん、ひとり旅かい?」
「……はい」
「へぇ、小さいのに偉いねぇ。どっから来たんだ?」
どこ、と言われても地名すらない場所からやってきたのだ。まさか、魔の山からやってきたとも言えないだろうし。
「……山奥から」
「へえ、じゃあトワノライトに着いたらひっくりかえっちまうよ。すげぇ魔石が発掘されるようになってから、あっという間に一万人が集まる大都市だ」
「そうなんですか」
「おう。あっちで困ったことがあれば俺に言ってくれよ?」
男が親しげにユウキの頭をわしわしと撫でて、肩を組んできた。
ポチが男に対して、小さく唸るのをユウキは手で諫めた。
「デカい街には詐欺師にスリ師、人攫い! やべぇ奴らがたくさんいるからなぁ。坊ちゃんみたいな可愛い子は、特に心配だなぁ」
「……はぁ、どうも」
ユウキはそっと隣の客と距離をとる。
(心配なのは、この人っていうか、「この人たち」のほうなんだけど……)
隣の客……にこやかな顔を崩さないトンガリ帽子と、その向かいに座っている屈強なチョビ髭男とスキンヘッドの二人組。
この三人は、どうやら「お友達」同士のようだ。
◆
トンガリ帽子がずり下がってきて、乗合馬車に揺られている男……スティンキーは舌打ちをした。
ちらりと向かいに座っている仲間たちに視線を送ると、「何をグズグズしているんだ」とばかりに、睨み付けられる。
チョビ髭で人相を隠しているアベルとスキンヘッドと筋肉が自慢のマイティは、スティンキーが何かヘマをするたびに腕力にものをいわせてぶん殴ってくるのだ。
──そう、スティンキーたちはスリ集団である。
乗合馬車の客の中でぼんやりした人間に狙いを定めて、旅の荷物から貴重品をくすねるのだ。
今回の標的は、もちろん世間知らずのガキんちょだ。
楽勝の仕事のはずだった。
(なんだよ、このガキ……全然隙がねぇ)
標的にした子どもには、少しの隙もなかった。
過度に警戒している様子があるわけではない。むしろ、ぼんやりと窓の外を眺めて旅情を楽しんでいる様子だった。
スティンキーは愕然とする。
おのれの腕にはある程度の自信があった。
だが、目の前の子どもからは、荷物に手をかけるための一切の隙を感じられないのだ。
「いやあ、不思議だなぁ……あのクソ野郎どもが姿を見せやがらねぇ」
御者がぽつんと呟いた。
スティンキーには「クソ野郎」がなんのことかわかった。
ブラック・ウルフだ。
駅からトワノライトに向かうにあたって必ず通る草原には、ブラック・ウルフの群れが住み着いてしまっているのだ。
ブラック・ウルフは最大で五十匹程度の群れを形成して、集団で狩りを行うのである。体長はそのあたりの犬とかわらないが大型の獲物にも怯まない獰猛な性格で、自分たちよりもはるかに大きな獲物を仕留めるのだ。
つまり。
大型の三頭立ての馬車を追いかけてきて、横転させようとする。非常に危険な猛き魔獣なのだ。
トワノライト行きの乗合馬車がかなりの距離をノンストップで駆け抜けるという無理な運行にならざるをえないのは、ブラック・ウルフの群れのせいなのだ。
何度か駆除のために様々な組織が動いているらしいけれど、いくつもの群れが繁殖しているため根本的な解決にはならない。一時的に被害が減ったとしても、時間が経てばすぐにブラック・ウルフの群れは元通りになってしまう。
スティンキーはこの路線を何往復もしているが、ブラック・ウルフの群れに襲われなかったことはほとんどない。
しかも、以前のブラック・ウルフの駆除活動からはかなりの時間が経っているのだ。むしろ、もしもの時にしか使わないと厳しく言われている乗合馬車に備え付けの兵器を使用するかもしれない──という状態だ。
それなのに、ブラック・ウルフの影がひとつもない。
「……妙だな」
首を捻っている御者。
だが、スティンキーには薄らとわかっていた。
(この坊主、じゃないか……?)
昔から、勘のいい男だった。
だからこそ、相手のわずかな隙を見つけてつけいるスリ稼業で成功してきた。だからこそ、わかる。
(……やべぇ、具合悪くなってきた)
奇妙な子どもの隣に座っている犬すらも、不気味に思えてきた。
スティンキーは、スリ仲間たちの顔色を伺う。
二人はまだ、状況の異常さに気がついていないようだ。
どうしよう、とスティンキーは頭を抱えた。
◆
どうしよう、とユウキは思った。
隣に座っているとんがり帽子の男が、明らかにユウキの荷物を付け狙っているのだ。
(こ、こんなにバレバレなのって……何かの罠か!?)
こんな閉鎖空間だ。
強盗ではなくて、荷物だけを狙っているのだから……少しは腕に覚えがあるはずだろう。
素人同然の子どもに気配を悟られるなんて、大丈夫なのだろうか。
(それとも、何か独特の挨拶とか風習とか? たしかに、当たり前のマナーだったら師匠もわざわざ教えてくれないもんな……)
案外、生活に馴染んだことほど教えるのが難しいのだ。
たとえば、階段の上り方や深呼吸の仕方なんて、誰でも知っていて当然だと思ってしまうものだから。
「いやー、坊主たちはツイてるね」
御者がのんびりした様子で話しかけてきた。
気まずい思いをしていたところに、天の助けである。
「ついてるって、どういうことですか?」
「ブラック・ウルフどもがいねぇだろ。いつも馬車走らせると後ろを追いかけ回してくるんだ」
御者が言った。
ブラック・ウルフといえば、襲われたくない魔獣ランキング上位だとルーシーが言っていた。かなりやっかいな敵だったはずだ。
「追いかけられたら、こんなのんびり走っていられやしねぇからな。馬車酔いしてゲロ吐くだろうし、そこの犬っころなんて振り落とされちまうぜ」
「わあ」
聞けば、今まで何度も馬をやられたことがあったらしい。
そんな恐怖体験、できれば絶対にしたくない。
馬車の内部には、バレバレのスリ師。
馬車の外側には、よだれを垂らした獰猛な狼。
最悪だ。最悪すぎる。
「あの野郎どもがツラ見せねぇなんて、グラナダス様が馬車に乗っているときくらいだって聞くがなぁ」
また、グラナダスの名前だ。
たぶん、とんでもなく強い人なんだろう。
魔獣といえども、野性動物。自分よりも強い存在に対しては、するどい勘が働くのだ。うっかり襲ってきたりなんかしない。
(……ん? 自分よりも強い……)
ユウキは隣に座って大あくびをしているポチを、じっと見つめる。
いつでも笑っているみたいな表情のポチが、首をかしげた。
誇らしげにえへんと胸をはっている。
大きなモフモフの尻尾の先が、くるんとカールして……なるほど。
(さっき、出発する前に……車輪にマーキングしてたよな)
フェンリルとはいえ犬だから、散歩中にあちこちにおしっこをしたりマーキングをしたりする。
魔獣の王であるフェンリルは、狼型の魔獣を従える権能を持っていた──とルーシーから伝え聞いている。
もしかしたらポチの匂いが、ブラック・ウルフたちを遠ざけているのかもしれない。
「ポチのおかげかな。よくやった、えらいぞ」
「わんっ」
ユウキたちのやりとりを見ていた御者が大笑いした。
「ははは! 獣はより強い獣を避けるっていうが、まさかな!」
ユウキの隣で、とんがり帽子の男が「は、はは」と愛想笑いをした。
その途端に、向かいに座っていたつるつる頭が悪態をついた。
「おい、何を笑ってやがんだ。スティンキー」
「わ、悪かったって」
「……放っておけ、マイティ」
「だがよ、アベル……あいついつまでもグズグズと……」
「五月蠅い、黙ってろ」
つるつる頭の男をいさめる髭の小男は、じっとユウキのことを見つめている。品定めをするような、そんな眼差しだ。
(やばくなったら、本気で戦わない。つまり、逃げる)
師匠であるルーシーからの教えを、ブツブツと繰り返す。
幸いなことに、運賃は前払いだ。何か揉め事が起こった瞬間にダッシュで逃げたとしても、未払い金は発生しない。
◆
なんとなく気まずい車内の空気が変わらないまま、かなりの時間が経過した。地平線のむこうに見える山の麓に、街影が浮き上がってきた。
鉱山の街、トワノライト。
魔王時代が終わったのちに、石自体に精霊の力を宿した鉱石『エヴァニウム』──つまりは、貴重なエネルギー源を採掘できる鉱脈が発見されたことで一気に発展した町だ。鉱石の採掘には人手が必要なので、各地から多くの人が出稼ぎにやってくるらしい。
「うわ、ダイオウドラゴンですよ! ほら、上!」
「わあ、すごいっ」
御者の声に、馬車の後部から身を乗り出して空を見上げて、感嘆の声をあげる。空を悠々と飛ぶ、めちゃくちゃにデカいドラゴンの姿があった。
空飛ぶシロナガスクジラといった感じだ。
「すごい……あれも魔獣なんだよね」
「地上には降りてこないし、人を襲うことはほとんどないですよ、むしろ魔獣を食ってくれるとか」
「へえ……そういうのもいるんだ」
空を泳ぐダイオウドラゴンに興味津々のユウキとポチの背中を、乗合馬車の乗客がじっと見つめていた。
空に夢中で、馬車の後部から身を乗り出している。
つまりは、ずっと抱えていた
そのとき。
スキンヘッドのマイティが、太い腕を伸ばす。
──マイティの魂胆はこうだった。
(はっ、こんなガキちょっと脅せば小便チビって黙るだろうが……御者だってそうだ、なあ?)
じろり、と腰抜けの同僚を睨み付ける。
マイティに言わせれば、スティンキーはこだわりが強すぎる。
ちょっとばかり手先が器用で気が回るからといって、スリ師であることに誇りを持ちすぎている。そういうところが、腕力自慢で他のことが少し苦手なマイティを馬鹿にしているようで腹が立つ。
奪えればいいのだ、奪えれば。
ぼんやりとしたガキめ、とマイティは口元を歪める。
馬車の後部から乗り出している身体を支えるように、小さな手で大荷物のベルトを握っているが、力尽くで引っ張れば簡単にむしり取ることができるだろう。
声をあげようとしたなら、口を塞いでやればいい。
御者が振り返ることはない。
マイティが何をしようとしているのか気がついたスティンキーが「やめとけ」とジェスチャーで制してくる。
ふざけるな、とマイティは当てつけのように
「っ、……あ?」
強く、引っ張った。
……動かない。
一体どうして、とマイティは狼狽えながら手元を見た。
何も起きていない。
ただ、子どもの小さな手が
「あの……おに、あっあっ。おじさん、なにかごようじですか」
「なっ」
狼狽えたマイティは、思わず
どうしてこんな子どもが握っているだけなのに、引き剥がして奪うことができないのか、わからなかった。
「なんでもねぇよ! 荷物から目を離すとあぶねえぞ、ガキ」
動揺のあまり、マイティは大声を出す。
「つーか、わざわざ『おじさん』って言い直すな!」
「ご、ごめんなさい」
「おい、馬鹿が。騒ぎを起こすな」
心底面倒くさそうな、しゃがれた声が響く。アベルだ。
場末で食い詰めていたスティンキーとマイティを拾ってくれた恩人だが、得体が知れなくて気持ちが悪い奴だとマイティは思っていた。
アベルはひょいと頭を下げる。
「自分のツレがすまなかった、えぇっと?」
「あっ、ユウキ……」
「ユウキ殿か。粗野で馬鹿な男なのだ、許してくれ」
「い、いえいえ!」
「その年齢で一人旅とは、何か事情があるのだろうが……何はなくとも、よき旅を」
にこり、と微笑んでみせたアベルに、チラチラと後ろを振り返っていた御者が、ほっとした様子で前に向き直った。
マイティはアベルの耳元で文句を言う。
「おい、邪魔するな」
「邪魔? 勝手な真似をするからだろう……トワノライトまではまだ一昼夜あるんだ。夜になればガキなんてすぐに寝るだろ。スティンキーに漁らせればいい」
また、スティンキーだ。
マイティは唇を噛むが、たしかにアベルの言うことはもっともだ。
寝ているときはどんなに訓練された兵士でも、隙があるものだ。
日が沈んでくると、御者が馬車のスピードを落として振り返る。
「お客さんがた、日が沈んだら幌を閉め切ってくださいよ。明かりが漏れると、ブラック・ウルフどもが狙ってくるかもしれねぇ」
古い毛布が荷台に投げ入れられた。
客は夜の間はそれにくるまって眠るのだ。
一昼夜の運行だから、トワノライトに到着するのは明け方だ。
結論としては、夜になれば荷物を狙う隙があるだろうという目論見は、あっけなくはずれた。
夜の暗闇。
ユウキがぐっすりと眠ったのを確認してスティンキーが荷物に手を伸ばすと、獰猛な唸り声があがった。
すわ、ブラック・ウルフかとスリ師三人組は身を固くしたが、そうではなかった。ユウキという子どもの連れている犬が、爛々と光る瞳で三人を睨み付けていたのだ。
怖い。怖すぎる。
スティンキーがまた頭を抱える。
ただの犬ではない、謎の迫力があった。
唸り声を聞くだけで、なんだか寒気がするようだった。
「おい、なんだあの犬……怖いぞ!」
「知らねぇよ……ガキのほうはぐっすり寝てるってのに……」
「スティンキー、お前……番犬に吠えられたことはないって言ってなかったか?」
「あのガキも犬も、何か変だよ……怖くなってきた……」
暗闇の中で、二つの眼が青く光っている。
「おい、お前ら。うるさい……今日はもう諦めて寝るぞ」
リーダー格のアベルが気だるげに吐き捨てて、さっさと毛布にくるまって眠ってしまった。
「マイティはなんともねぇのかよぉ……」
スティンキーが涙目で訴える。
結局、マイティもスティンキーも一睡もできないままで、夜明けをむかえたのだった。
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