第18話 面会日
ある夜のことだ。
夕食も食べ終わり、千紗も伸行も、あと片づけを手伝いもしないで、テレビの前で、ごろごろと寝転んでいると、台所で洗い物をしていた母が、ふと、という感じで、こう切り出してきた。
「今度の日曜日、面会日なんだけど」
「もう?」
ちょっと間をおいてから、千紗が返事をした。
「そんな時期?」
「そうなの」
二人の子どもに背中を向けたまま、母はさらりと答えた。その母の言葉に、千紗が、どうさり気なく交わそうかと、頭をひねっていると、
「今度は、姉ちゃんが行けよ」
テレビの前で、うたた寝をしていたはずの伸行が、急に千紗のほうを振り返って言った。その口調は、ナイフでも投げつけるような鋭さをもち、食後のだら~っとした空気を、一気にぴんと張りつめさせた。
しかし、千紗としては、こんな時間に面倒はごめんだったので、その空気をあえて無視して、のんびりした声を出した。
「え~、やだよ。今度もあんたが行ってよ」
そう言うと、千紗は、ごろんと弟と反対向きに、寝返りを打った。
面会日、という言葉を、千紗がはじめて耳にしたのは、いつだっただろう。確か、両親が、離婚に向けての話し合いを、本格的に始めて間もなくの頃だから、いまから二年以上も前になるだろうか。千紗は、中学生になったばかりだったはずだ。
二回目の離婚調停とかいう、話し合いから帰った母から、月に一度は、父親と子供たちが面会をする、面会日を設ける、という話を聞かされたのだ。
「それ、本当なの?」
その時、千紗は、とても嫌な気持ちになりながら尋ねた。
「まだ、これから沢山、話し合わなければならないから、正式に決まるまでには、時間がかかるけれど、お母さんも面会には賛成だし、そうなると思うわ」
「信じられない。お母さん、賛成したの?」
千紗は、思わず尖った声を出した。
「自分から家に帰ってこなくなったくせに、あたしたちとは、月に一度は面会したいなんて、そんなの勝手過ぎない。それにそんなの・・・そんなの・・・」
お母さんに対して、ひど過ぎるじゃないか、という言葉を、千紗は、慌てて飲み込んだ。
仕事仕事と、父が家に帰ってこなくなって、すでに一年以上がたっていた。特にこの半年はひどく、休日すら、仕事が入ったと出かけるくらいで、さすがの千紗も、うちは母子家庭に限りなく近いなと、冗談のように考えたくらいだった。まさかそれが、現実になるなんて、思ってもみなかったけれど。
その間、ちっとも帰ってこない父を、母はずっと待っていた。毎晩、毎晩、遅くまで。夜中に、居間で、音を絞ったテレビをぼんやり眺める母の姿を、千紗は、トイレの帰りに幾度か見かけた。昼間、千紗や伸行の前では見せない、さみしそうな母の横顔に、千紗は、胸をギュッとつかまれるような思いがしたが、いつもそれを振り切るように、明るい声を出した。
「なんだ、お父さん、まだ仕事なの?」
「そうなの」
それに対して、母もいつも快活に答えた。
「電話もなし?」
「電話も、まだなしなの」
「しょうがないなぁ。いくら忙しいからって、電話くらいしろっていうんだよ。本当にずぼらなお父さんだよ。お母さんも、そんなのに付き合ってないで、もう寝たら」
「そうね・・・。もう遅いし・・・、そろそろ、寝ようかしらね」
「そうと決まったら、もう寝る寝る」
千紗は、無理やり追い立てるように、母を寝室へ連れてゆき、
「じゃ、おやすみなさ~い」
と、一人で寝室に入ってゆく母の背中に、陽気に声をかけた。
布団にもどると、千紗はいつも、やり切れない思いと戦った。千紗は、母を支え、母の役に立ちたかった。でも、母が、今、感じているさみしさは、自分や伸行ではない、父にしか埋められないもののように思えてならなかった。
もしかしたら、この家で、父の不在を一番悲しんでいるのは、休日のキャッチボールをすっぽかされて、泣いて怒った伸行ではなく、母なのではないかと思うと、胸が苦しくなるような感じだった。それでもあの時は、仕事だから仕方がないと、あきらめはあっても怒りはなかった。
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