第11話 ぐうの音も出ないって、こう言う事
「ナ~イス、リアクション」
振り返ると、菊池がニヤニヤしながら、立っていた。
「ゴリエ、ひさしぶりじゃん」
「お前、ふざけんな。あと少しで、激突するところだったんだからな」
机を指さしながら、千紗がさらに顔を赤くして怒ると、
「大丈夫、大丈夫。手加減してやったから」
と、ぬけぬけとしている。
「そういう問題じゃない! 不意にやるなっての、不意に」
そういいながら、千紗は、ダメージを受けたであろう首を、恐る恐る触った。
「わかった。これからは、直前に言うことにする」
そう言って、菊池は、千紗の真後ろにどかっと座った。
「だから、そういう問題じゃないの。あれ? あちちちちち。なんか、首の筋が痛いぞ。普通に戻せない。ちょっと、あたしの首、おかしくなったじゃないの」
千紗は、ひょこっと出てしまった顎を、怖くて戻せない。
「わっははははは」
「笑ってる場合じゃない!」
「だって、ゴリエの顔、面白いんだもん」
「面白がるな、ばかもの! あいたっ」
そうっと顎を引っ込めるた途端、鋭い痛みが、千紗の首筋を走った。
「わっはははははは。ゴリエって、ほんと、面白れぇなぁ」
文句を言いながらも、菊池の大爆笑を前に、千紗は満足だ。こんな風に、前と変わらないやりとりが菊池と出来るなら、多少のケガも我慢しようぞ。
しかし、千紗の幸せは、長くは続かない。
「菊池くんったら、やりすぎよ。さっちゃん、首、大丈夫?」
現れたのは、鮎川さやかだ。さやかは、軽く菊池をにらみながら、当たり前のように菊池の隣に座った。その瞬間、千紗は、ついむっとしてしまう自分を、どうすることも出来ない。コラッ、当たり前のように並んで座るな。とはいっても、さやかは、菊池と同じ四組の学級委員なのだから、並んで座るのは当然というもので、それを、腹の中で毒づく千紗のほうが、どう考えてもおかしいのである。
しかし、四組の学級委員が、菊池亮介と鮎川さやかに決まったと、風の噂で聞いたとき、よりによって、なんで菊池の相棒が、鮎川さやかなんだろう、ほかのどの女の子がなったって、これほどあたしを凹ませない、随分見事な人選じゃないのか、と、これまた千紗を、今年一番(とはいっても、まだ、新学年が始まってひと月ほどだが)嘆かせることになったのも、また、事実なのだ。
それでも、千紗は、何とか平静を装って、こう答えた。
「う~ん、何とか」
千紗は、ゆっくりと頭を前と後ろに倒して見た。今度は左右に。確かに、何とか大丈夫らしかった。
「ぎりぎり大丈夫そう」
「ほんとに? ほんとに大丈夫」
さやかが、心配そうに首をかしげると、肩のところでぷつんと切りそろえられた黒髪が、細い首の周りをさらさらとゆれた。
「…うん」
千紗は、大人しく頷きながら、ふつふつと湧き上がってくる劣等感と戦う。自分を見つめるさやかの黒目勝ちの目は、どうしてこんなに、きれいな形をしているのだろう。制服から出ている手も足も首も、どうしてこんなに、ほっそりと長いんだろう。無意識に動くその立ち振る舞いは、どうしてこうも、しとやかなのだろう。
全部、千紗には、ないものだった。
そんな、千紗の思いなど、まるで気付かないさやかは、改めて菊池に向き直ると、叱るような口調で、
「もう! だめじゃないの。か弱い女の子を苛めたりして」
と言った。さやかにか弱い女の子と言われて、千紗は、嬉しいより恥ずかしかった。慌てて、
「あたしは、その、別に、か弱くはないけど…」
と、もごもご訂正したが、その言葉は、誰にも届くことなく、消えていった。
「か弱い? ゴリエがぁ? 冗談じゃないぜ」
菊池は、調子に乗って、大声を上げた。
「だってさ、これ、見てみろよ、このたくましい首」
ちょんちょんと、菊池は、馴れ馴れしく千紗の首に、手の甲を当てた。その思いがけなく温かな感触に、千紗は心ならずも胸が時めいた。
「こんな首が、折れるか? 折れるわけだろ。そこんとこ、ちゃーんとわかってやってんだから、菊池君は。たくましいゴリエちゃんだからできるのよ~。それに、ゴリエって、面白いじゃん、反応が」
千紗の「菊池! てめぇ、いい加減にしろよ!」と、さやかの「ヒド~イ、菊池君、最低」が、同時に叫ばれた。その結果、さやかの言葉だけが、菊池に聞こえたらしい。
「なんで。ゴリエは大丈夫なんだって。それに俺、鮎川にはしないぜ。俺、女の子には優しいもん」
(な~にが、調子のいい事言っちゃって。あたしだって、女の子だっての、生まれてこの方ずっと)
と腹の中で思ったが、ばからしくて、それ以上話をする気になれず、千紗は、前に向き直った。
(別に、どうだっていいや)
誰が見ても強がりだが、千紗はそう思った。
(あたしがここに来たのは、学級委員として会議に出るためで、菊池としゃべるためなんかじゃ、ないんだから)
千紗が、会議用のノートを広げると、議長が、会議開始を言い渡した。その時、すっと横から手が伸びて、千紗の手元からノートを取り上げるものがいた。
慌てて千紗が横を見ると、ただ真っ直ぐに黒板を見ながら、意外なほどの達筆で、板書する藤原がいた。
その何も語らぬ横顔に、ふと千紗は、自分に対する、いたわりのようなものを感じた。藤原君が私に同情した?
まさかね、そこまで思って、さすがの千紗も苦笑いが出た。ここまでくると、勘違いの領域だわ。少し落ち着こう、あたし。そう思い直しながらも、不思議に、先程よりは少しやわらいだ気持ちになった。そして、もしかしたら、案外いい奴なのかもしれないな、と思いながら、横目で藤原を見た。
「なんだよ」
千紗の視線に気づいた藤原が、面倒くさそうに小声で言った。
「いや、藤原君って、意外だなぁっと思って」
「何が」
「男子なのに、自分からノート書いてくれるなんて、珍しいっていうか、なんての、案外と優しいじゃんとか思ってさ」
少し照れながら千紗が言うと、
「何、言ってんだか」
藤原は、ぽいっとシャープペンシルを放り投げると、まっすぐに千紗を見た。
「あんたの字が、ひどいからでしょ。この間の学級会で、黒板に書いた自分の字、覚えてないの? 読みにくい上に、誤字だらけだっただろ。ゴリエさんよ」
それだけ言うと、一言もなく、ただ目を白黒させるばかりの千紗を見て、鼻の頭をくしゃっとさせて、藤原は嬉しそうに笑った。
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