第1章 《公認チーター》①

 岩盤と固まったマグマが連なる火山フィールド。空は火山灰が覆い、暗い。


 この荒廃的なフィールドで俺はエクストラボスと対峙していた。


 ――ボス戦を始めてどれぐらい経っただろうか。二時間? 三時間? いや、そこまで経っていないはずだ――が、極限の集中で時間感覚はあやふやだ。


 目の前の、色欲の魔女ラストの眷属である幻魔竜・ミラージュドラゴンが瞳に殺意の炎を灯して俺を睨みつける。


 額を汗が伝う。もちろんアバターのこの体は汗をかかない――ゲーミングチェアに背中を預け、このフルダイブVRMMO《ワルプルギス・オンライン》にログインしている俺の現実の体が、緊張と興奮で発汗している。


 短剣を握る手に力が籠もる。プレイングをミスって一発でも攻撃を喰らえば俺のHPはたちまち消し飛んでしまうだろう。対して幻魔竜の方は――積み重なる五本のHPゲージのうち、ようやく四本目を壊してやったところだ。


 セオリーで言えば、HPゲージが最後の一本になったボスには新たな行動パターンが出現する。それをさばいて最後のゲージを消し飛ばしてやれば俺の勝ち、それができずに攻撃を受けてしまえば俺の負け、というわけだ。


 ――幻魔竜の赤い目が紫色に光る。


 これは知っている――ここまででも何回か使った、幻魔竜の代名詞とも言える代表スキル《完全擬態パーフェクトインビジブル》の予備動作だ。目が紫に光ってから二ミリ秒後、完全に透明になって被攻撃判定さえなくなる。幻魔竜がプレイヤーを攻撃すれば透明化は解けてしまうとは言え、エクストラボスが使うと考えれば凶悪な壊れスキル。


 ――だが、俺にとっては――


 視界が変わる。世界の色彩がより鮮やかになっていく。白は輝く光へ、赤は赫々と、黒は闇色に――《完全擬態パーフェクトインビジブル》の効果ではないし、別のスキルが作用しているわけではない。


 単に俺の集中力の問題だ。人間は極限を超えた集中状態により、比較的重要でない情報として色彩情報をカットし、視界がモノクロになると言うが――俺の場合は逆だ。より繊細な情報を拾うため、視界はより鮮やかに、聞こえる音はより小さく細かい音まで――


「ウォオオオオオ――」


 叫ぶ。戦士スキル《ウォークライ》――ダメージを与えることこそできないものの、雄叫びとともに周囲のモンスターに物理攻撃判定を発生させてターゲット――ヘイトを稼ぐスキルだ。


 しかも必中。タゲを取るためのスキルなので当然といえば当然だが、この《ウォークライ》の攻撃判定にファンブルはない。


 そして《完全擬態パーフェクトインビジブル》は、予備動作である瞳の発光から効果が発動して体が透明になるまでの二ミリ秒――この間に攻撃判定を命中させることで、スキルの発動をキャンセルすることができる。


 ――人間の平均的な反射反応速度は0.2秒――つまり二百ミリ秒だ。鍛えられたアスリートでも百ミリ秒が限界と言われている。


 幻魔竜の《完全擬態パーフェクトインビジブル》の予備動作を確認して二ミリ秒の間に攻撃、スキル発動をキャンセルするなんてのは狙ってできることではない。要求される反射反応速度は0.002秒――常人にできることじゃない。


 おそらく運営もボス戦におけるランダム要素のつもりでこの二ミリ秒を設定したんだろう。事前に仕掛けたプレイヤーの攻撃が幻魔竜の《完全擬態パーフェクトインビジブル》の立ち上げとかち合って発動がキャンセル――そんな偶然があればボス戦がより盛り上がると。


 だが、その二ミリ秒を確実に撃ち抜くのが俺のギフト――《神眼》(命名・俺)だ。《絶対領域》(命名・俺)という別名もある。《神羅識見》(命名・俺)というのも――いや呼び名はどうでもいい。


 ともかく、俺のギフトは『一ミリ秒を知覚して見切り、反応する反射速度』だ。


 ――このフルダイブVRMMO《ワルプルギス・オンライン》のフレームレートは1000FPS――1秒間が1000コマ、つまり1000フレームで構成されている。現実世界と変わらないなめらかでリアルなグラフィックはこのゲーム売りの一つだ。


 そしてこのフレームレートは俺のギフトと相性が良かった。俺が見切れる一ミリ秒をいちいちフレーム換算しなくてもいい。1000FPSは、1F一ミリ秒だからだ。


 今回の場合、二ミリ秒のキャンセル猶予――つまり2F以内に幻魔竜に対し攻撃を成功させれば《完全擬態パーフェクトインビジブル》はキャンセルできる。


 気が抜けていたり、ぼうっとしていたり――つまり集中を欠いている状態なら見落とすこともあるだろう。だが集中している状態なら、俺の《神眼》は1F、一ミリ秒を見逃さない。


 俺の放った《ウォークライ》の攻撃判定がキャンセル猶予の2Fに刺さり、幻魔竜のスキルは発動に失敗する。

「グゥォオオオオッ!」


 この戦闘で一度も《完全擬態パーフェクトインビジブル》を発動できない幻魔竜が咆哮する。その咆哮に憎悪が、あるいは怨嗟が込められている気がするのは気の所為だろうか。


 幻魔竜が前脚を振り上げる。これ自体はただの薙ぎ払いだ。スキルを使うまでもない。余裕をもって範囲外にステップアウト。しかし本命はこの次だ。


「――ォオオオオオオッ!」


 先の攻撃を回避したプレイヤーを追尾するように、魔力を纏った羽が広範囲を薙ぎ払う。発生90F、人間の反射速度の限界を超えた、しかも基本アクションの回避ステップでは逃れきれないほどの広範囲攻撃Area of Effect。幻魔竜の初見殺しの代表格で、多くのプレイヤーを屠った殺し技。


 本来あらかじめ防御系のバフを盛ったり、あるいは防御スキルを置いたりして凌ぐ技だ。だが、俺の目には――


「止まって見えるぜ、幻魔竜!」


 剣士スキルの《スラッシュパリィ》で迎え撃つ。敵の攻撃モーションに先んじてスキルを当てることで、その攻撃に対して無敵を得るスキルだ。


 通常、対人戦や人型エネミーの物理攻撃を受け流すスキルだが、俺にかかれば攻撃モーションと判定発生を見切って《スラッシュパリィ》で受け流すのは《完全擬態パーフェクトインビジブル》をキャンセルするより簡単だ。


 フレーム調整のために半歩踏み込み、タイミングを合わせて《スラッシュパリィ》を放つ。俺のダガーに弾かれた幻魔竜の翼がアバターを掠めて後方に抜けていく――それをただ見ているわけじゃない。足を踏ん張り、猛スピードで薙いでいく翼にダガーを突き立てる。


「ギャォオオオオオオッ!」


 耳をつんざく幻魔竜の悲鳴。幻魔竜の攻撃モーションのせいで、突き立てたダガーがやつの翼に長い裂傷を作る。


 しかし、その途中でダガーの刀身が砕ける。くそっ、耐久限界か。こいつで七本目――街に戻って修理すればまた使えるとは言え、どれだけこっちの武器を壊すつもりだ。


 武器の耐久を根こそぎつぎ込んだ攻撃も、視界の端に映る幻魔竜のHPゲージは最後のゲージのその一割も削れていない。しかも放っておけばボス特有の自動回復オートヒールでどんどん回復していってしまう。


 当たり前だが、その自動回復のペースを上回るDPSDamage Per Second――要するに火力だ――を維持しなければならない。


 追撃のため、破壊されたダガーの装備を外しつつ四足で立つ幻魔竜の顔に近づく。しかし次の得物を装備する前に、幻魔竜が顎を開き俺を噛み殺さんと首を伸ばす。


「見えてんだよ、そんなもんは!」


 これもここまで何回かやってきている攻撃だ。俺は新たな武器を選ばぬまま、モンクのスキル《オートカウンター》を発動。物理攻撃にしか効果がないが、発動と同時に待機状態に入り、物理攻撃に対し一回だけ自動で回避して反撃の拳を叩き込む。


 素手、あるいはナックル系の装備でしか使えないスキルだが敵ユニットの必中攻撃さえ回避する。回避無効の効果が乗っていない限り、《オートカウンター》で回避可能だ。


 強制的にアバターの位置がずれ、幻魔竜の噛みつきがギリギリに届かないところへ移動――同時に半ば自動で握った拳が幻魔竜の鼻っ柱を叩く。


「――!」


 さしたるダメージにはならないが、塵も積もればってやつだ。俺は《オートカウンター》の硬直が解けるのと同時に回避ステップで距離を取り、次のダガーを装備する。


 そして――


「出し惜しみするなよ。あるだろ、追い詰められたときの行動パターンとアルティメットムーブがよ……見せないならこのまま削り殺しちまうぞ」


 このゲームじゃ敵性ユニットとも意思疎通ができることもある――が、このエクストラボスとそれができるとは思えない。


 それでも思わずでた言葉に、幻魔竜はまるで俺の言葉に応えるように身構えた。


 緊張と興奮の間で、期待と喜びが踊る。


「楽しもうぜ、幻魔竜――お前が俺を殺すか、俺がお前を殺すか、勝負だ」


 ダガーを構え直す。その俺をターゲットに、幻魔竜は高らかに吼えた。

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