能動的三分間

境 環

第1話


 ゆるキャラの爆発的な人気は、『近い・便利』がキャッチフレーズである、何かと賑やかな店にまで浸透しているのであった。


 ゆるキャラを知らない人は、各都道府県にアイドルみたいな動く着ぐるみが存在している事も知らないだろう。


 会社帰りに立ち寄ったコンビニで、『ぴごっつ』という関西のキャラクターがカップヌードルとして商品化され陳列しているコーナーに目がいき、いくつか買った。 


 私は、『ぴごっつ』が大好きで、こちら地方の店では販売されていないグッズを視覚で判断するしかできないインターネットショップで購入するほど熱を上げている。人気の特徴として挙げられるのは、『会話』ができることだ。他のゆるキャラはできない。語尾に『~ごつ』と付けて、テレビや関西方面で活躍している。


 友人にこの喜びを知らせようと思ったが、返答が想像できたので諦めた。


 帰宅して、袋からカップヌードルを取り出した。お湯を沸かしている間、十分な爪の長さがないと厄介なビニールを剥がすのに手こずった。蓋を半分まで開け、熱湯を注ぐ。出っ張りがある枠線まで入れ、三分間待たないと美味く召し上がれない。


 いつもは気にせず三分待つのだが、ふとその間どのように過ごしていたのだろうかと考えだした。また、カップヌードルは三分で出来上がるが、人は三分間で何を仕上げられるのだろう。


 八百メートル完走できる人。


 ブラインドタッチで素早く文書作成する人。


 車でガソリンスタンドに行ける人。


 私は、部屋をどの程度片づけてきれいにできるか… 爪を切る事は簡単だが、マニキュアを三分で塗り終われない。それが日課になっている女子ならできるかもしれない。


 十人十色、三分間で出来る事は多種多様。


 瀕死状態に陥り、三途の川を見て渡ろうか渡るまいか悩む中年男性。


 上司に怒鳴られ、冷静な顔が崩れる青年。


 大切な財布を見失って、辺りを隈なく探すが見つからず狼狽するoL。


 それらは三分間で行われるのかわからないが、おおよその目安になるだろうと私は思っている。


 もしかしたら、超短編小説を読んで感慨にふける事もできるかもしれない。


 好きな野球選手のサインを貰うためには、先頭の人から何番目に並べば良いのだろう…


 玄関からインターホンが鳴る音が聞こえた。可笑しな想像を止めて、要らぬハガキと一緒に持ってきた不在票を持って立ち上がった。


 すると、何かと接触したカップが横に倒れてしまい、麺がテーブルの上へ広がった。深いため息をついた後、苛立って舌打ちをした。また、インターホンが鳴ったので、片づけは後回しにして玄関へ向かった。 私が応答すると、


 「ポストに入るかな?って思ったんですが、若干縦幅がありましてね。中身を壊す訳にはいきませんから、不在票を出させていただきました」


と、二度も同じ所に訪ねる事が面倒だと顔に書いてあるドライバーの態度に少し腹が立つ。申し訳ないと思わなかったが、挨拶程度に謝った。


 部屋に戻り、大きめな封筒を眺めると、手のひらに乗るぐらいの個体が一部分に集中している。赤い印字で『重要』と捺してある。ポストに入れたいがその思いを打ち消す文字が目に飛び込み、不在票を出さざるを得ない配達員の気持ちが解った。嫌味を言いたくなるわなぁと心の中で呟く。


 『ぴごっつ』のを先に片づけてから封を開けなければ、汁がテーブルの下に敷かれてある新調したカーペットを汚すかもしれない。だが、残念な事に時すでに遅しであった。一体何に触れて転倒してしまったのか全く分からない。起きてしまったことは仕方がないので、手早く麺をカップに戻し、染みた所を念入りに水拭きした。


 台所に置かれた『ぴごっつ』がこっちを向いている。


「お前、馬鹿ごっつな~」


と、嘲笑っているように見えた。


 一段落し、おそらく重要であろう封筒の中身を取り出す。相手の名前が記してある離婚届けと立派な箱に入っている指輪。


 そうだった。忘れていた。まだ離婚していない事に。別居して何年経ったのだろうか。一年以上は経っている。ここまで度忘れする女はいないだろう。


 予定より海外研修が早く終わったが、別段旦那に報告する事もないだろうと帰宅したときだった。


 自宅の玄関を開けようとしたら、向こうからの力が加わり、押し退けられた。目の前には、若い女が口を両手で覆って驚きを隠せずにいる。


 私は、疲れているという身体的なダメージよりも、知らない女が自宅から出てきた精神的なダメージの方が勝っていた。


 女を力強く退けて、無言で中に入る。リビングにはいないということは寝室以外に考えられないのだった。


 勢いよくドアを開けると、半裸でズボンを履くために片足を入れようとしている滑稽な旦那がいた。


「何してるの?」


 怒りを押し殺して質問した。


「見れば分かるだろ? セックスしていた」


 驚きもせず、開き直る口調に『怒り』という炎が足の先から点き始め、頭上へと一気に上昇する。


「開き直るとはいい根性しているな。その根性別の所で発揮できないものか? ええ?」


「その…上からの物言いやめてくれないか」


「なんだって?テメェを養ってやってあげてる私が上から目線で物を言うのに文句があるってか? ええ?」


「男のプライドが許さない。これ以上蔑まされると精神崩壊する」


「精神崩壊だと?どっからそんな言葉が出てくるんだ!ボーっと毎日過ごしているくせに!」 


 夫婦の言い合いに、女が口を挟んできた。


「俊介さんもいろいろ頑張っているんです! 毎日ハローワークに通ったり、家事、洗濯と奥様が過ごしやすいように懸命に努力して…」


 私は見開いた眼を女に向け、


「黙れ!コソ泥!お前、自分のした事をよく考えろ!御託並べる前に罪を噛みしめろ!」 


 女は半べそをかきながら立ち去った。


「お前みたいな女と結婚した俺が間違いだった」


「お前だと?」


 頭上に到達している炎を沈下することが到底出来ず、大乱闘の最中、騒ぎを聞きつけた住民の人々が治めのだ。


 すぐに身支度を済ませ、二度と帰らない覚悟でマンションを後にしたのだった。最初の頃は、アイツの名字を名乗る事が苦痛だったが、仕事が忙しくなり自分自身昇格したので気にする暇がなかった。


 裏切られた気持ちが膨らんで、相手とどのように知り合ったか何時からそういう仲になった事など根源を探す思考が働かなかった。


 わざわざ人を招いて盛大な式を行い、きれいごとを並べ立てた誓いなどせず、出発の切符と途中下車の切符を貰えばよかったのだと思う。


 アイツは元気にしているのだろうか。今頃送られてきたということは、就職できて女もできて一段落したからであろう。


 私の方から差し出すつもりだったのに。してやられた。


 深呼吸して、ペンを取り記入していく。下車するための切符の準備ができた。その時、脳みそが雷に打たれるような衝撃が走った。


 市役所は目の前に所在している。三分間の待機を使って、離婚届を出しに行こう。何事も挑戦しなければ分からない。無意味な事だと分かっていたが、どうしても実験したい。


 もう一つ買ってきた『ぴごっつ』のカップヌードルを手に取り、準備を始めた。沸騰したお湯そ注ぎ、蓋をする。


 さあ!出発だ。


 全ての筋力よ、私の脚へと集合せよ!


 狭い廊下を走り、玄関を開け、コンクリートの通路を駆け抜け、エレベーターの矢印を押す。


 降下している最中も脚力が衰えないように、箱の中で両足の上げ下げを小刻みに繰り返す。


 乗客がいなくて良かったと思う。


 しかし、今の私の思考だと人がいても同じことをしているだろう。


 『チン』という音と同時に扉が開く。


 ここからが勝負だ。マンションを出て、歩道を突っ走り、信号機に差し掛かる。が、ここは『青』『赤』の判断は自分に託す。 


 首を左右に何度も振り、車がこちらに来ない事を確認し、向こう側へと、市役所の扉へと、突き進め。


 自動ドアが開き、職員のキョトンとした顔が瞳に映り込む。


 「離婚届を出しに来ました! 時間がないので後はよろしくお願いします」


 私は、走りながら後ろを振り向き何度も、


「あなたに託しましたよ。離婚届け提出しましたからね!」と叫んだ。


 何分過ぎただろう・・・家を出たのが、十三時二十分だったから、十三時二十三分に時計の針が示していれば三分間で偉業を成し遂げるのだ。


 来た道を全速力で戻ろう。渾身の力を振り絞ろう。死んでもいい。三分間で提出できれば・・・


 全ての風景が止まって見えた。通りすがる人々の顔が私を睨む。


 いいんだ・・・何者なのかと思われても。


 私は、颯爽としていた。笑みがこぼれてくる。早く、早く、時計が見たい!


 待ち焦がれた自宅に入り、時計を見たとたんテーブルにぶつかってしまった。時間は十三時二十五分だった。


 『ぴごっつ』のカップヌードルは、ぶつかった勢いで吹っ飛んで、カーペットの下で汁を広げていた。


 元旦那に、大好きな『ぴごっつ』に、三分間に、あざ笑われているようだ。


 私は、大声をあげて「ちくしょぅ」と叫んだ。

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