第3話 視線


「いいえ。どれも楽しいお話でした!」


 美しく澄んだ瞳にはなんでも見透かされてしまいそうで、千鶴は慌てて笑顔を作りました。


「それはよかった。君は話したいことなんかはないのかい?」


 彼は潮風を受け、目を細めています。


「わたしは、特に……。話すのも、たいしてうまくないと思いますし……」


 千鶴が管理人以外の人とまともに会話したのは、いつ以来のことだったでしょうか。

 

 両親とはとうに必要最低限のやりとりをするだけになっていましたし、なにせ図書館に籠ってばかりで、以前はよく遊んでもらっていた木こりのおじさんや彼の奥さんと顔を合わせる機会も失っていたのです。

 

 しかし、本当はそれ以前の問題で、彼女には話せることもありません。

 

 『他人の不幸は蜜の味』という趣向を持った人間であればまだしも、隣の彼がそういった話題に嬉々として食いつくひとにはとても見えなかったので、身の上話をするのも気が引けました。


「そうかい。それは残念だ……。私は人の話を聞くのも好きでね、ぜひ君の話も伺いたいと思っていたんだけれど。嫌だと言うのなら、無理強いはしないさ」


「あ、えっと……。嫌ってわけじゃなくて……。話の仕方がわからないというか、なにを話せばいいかわからないというか」


「なるほど、そういうことだったんだね。もしかしたら、君にはのかもしれないな」


 彼の返答は意外なものでしたが、千鶴ははっと息を呑みました。

 

 自分の身体に起きた異変について、親友に相談したときのことを思い出したのです。

 

 あのとき心が軽くなったのは、彼女の励ましのおかげだけでなく、それまで押し込めてきたもやもやした気持ちを打ち明けたことによる効果もあったのかもしれません。


「うーん、なにかいい方法は…………」


 彼は千鶴の様子など気にも留めず、水平線のそのまた先を眺めているようでした。


「じゃあ、いくつか質問をしてもいいかな? としよう。この決まりなら、変な質問をされる心配もしなくて済むんじゃないかい? 君の話したいことを訊けるとも限らないのが難点だけれどね」


「面白そうですね。それなら、わたしにも話せることがあるかもしれません!」


 と勢い込んで彼のほうを向くと、視線がばっちり交差して、千鶴はほんの少しのけぞりました。

 

 好奇の目に晒されてきた彼女は、他人に無遠慮な視線を向けることがどれだけその人を傷付けるかを、また、そのようなものを日常的に浴びせられる不快感を、熟知していました。


 そのため、彼の容姿がたいそう整っていることにも気付いておらず、そのあまりの美しさに怯んでしまったのです。

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