タイミング

佐々井 サイジ

タイミング

 ひと月に三人から結婚式の招待状が届いた。


 おとといのデートのために一万円の淡い青のミニスカートを買っていた。京都駅の約束の場所にいた彼氏にそれを履いた姿を見せたら「結婚向きの女じゃない」と言われ、その場でフラれた。結婚ラッシュと私の現状との差が激しすぎて気を塞いだ。でも二十六歳だから仕方ない。私もまだチャンスはある。


 大学時代のペンケースからボールペンを手に取った。一文字目で嫌な予感がした。中学生かと思うほど字は歪に曲がっていた。


 封筒に筆ペンで書かれた私の名前は三人とも達筆だった。でも中学時代の友達の加奈は私のように字が丸かったはず。「字うまくなったね」と連絡したら「通信講座で練習したから」と返ってきた。諦めて中学生から変わらない丸まった文字で返事を書いた。


 付き合って一年前後の彼氏がいる友達や同僚が周りに多かった。二十代後半になって十代のような丸文字をまだ晒すのかと思うと体が震えた。


 二万五千円以上の出費だった。服が何着も買える額だった。でも結婚ラッシュは待ってくれない。ボールペン講座の受講を決意し、テキストが届いた。なぞり書きすらまともにできないのはさすがに驚いた。一週間で効果が出るはずが、私の字は頑固でまったく形が変わらなかった。このままだと先に誰かから招待状が届きそうな予感がし、下手な字を見て苛立ちを覚えるようになった。


 ただ私は主体的に努力をしたのが初めての経験だった。自分から努力できていることが嬉しくて、汚い字を見ても挫折せず講座を継続することができた。


 一ヶ月経って私の字は僅かに改善した。直線や曲線が滑らかになった。予定していた半年の受講を終えると見本ほどではなかったが、綺麗な字が書けるようになった。送られてきた修了証にカラフルな花の画鋲を刺して壁に貼った。


 招待状が来なくて腕試しができなかったのは残念だった。コロナ禍で式ができなくなったと何人かから聞いた。


 自ら目標達成のために行動する新しい自分に出会ったことが新鮮だった。それは私の学習意欲を刺激した。


 中三のときに母に厳しく言われやむなく受検して落ちた漢字検定三級に挑んだ。綺麗になった字でノートに書くことが楽しかった。友達と遊んでいた土日はコロナ禍の自粛ムードにより一人で過ごす時間に変わった。問題を解き、間違えた漢字はノートに三回書いた後に解き直す勉強法が定着した。綺麗な字が書きたくて五回書くこともあった。毎回手のひらの側面が黒くなるまで取り組み、合格した。部屋で缶ビールを掲げ喜んだ。


 資格取得生活は意欲が途切れることなく継続した。簿記、FP、秘書、英検、数検、フードコーディネーターなどの合格認定証がどんどん壁を覆いつくした。感染者数が減ったときに二回くらい職場の男性に食事に誘われたけれど、勉強が遅れると挫折しそうだから断った。


 ただ暗記と理解が軸を置くようになり、気づけば歪に曲がった字に戻っていた。


 ひと月に三人から結婚式の招待状が届いた。大学の同級生一人と職場の同僚二人だった。同僚の二人は以前、食事に誘ってきた人だった。手をつなぐ二人の後ろ姿の写真と壁一面に貼られた修了証を見比べた。


 封筒から取り出した招待状にシャーペンで下書きをした。四年前ほど汚くはないけれど、不細工な字だった。ボールペンで起死回生できるわけもなく、歪曲したままだった。三名の招待状を書いた後、カラーコーディネーターのテキストとノートを開けた。昨日まで、というか四年間注いできた熱意は完全に冷め、ボールペンを握った手は「動け」と命じても微動だにしなかった。


「私も結婚したいな」


 八畳の部屋に自分の声が響いた。テキストとノートを閉じて机の端に寄せ、スマホを取り出した。〈マッチングアプリ 三十代 女性〉と入力して検索をかけた。数種類のアプリからとりあえず三十代が最も多く利用しているものを選んでインストールした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タイミング 佐々井 サイジ @sasaisaiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ