第8話:名付け



 朝九時過ぎ、エリーゼの先導する馬に少し距離を置いてテレザの馬車は王宮へと向かった。

 

 最初道中は商人や農夫らが時折すれ違う程度だったが、王宮が近づくにつれ次第に人通りが増えてくる。王都の中は一番外の城壁を含めて七つの壁が区画を七つに分けていたが、その門を過ぎる度に人の種類が変わり、空間の魔力量も増えていった。当然テレザの名取式に見物人が入り込む余地はなかったが、王宮へと続く通りの両脇には既に人々が集まり始めていた。突然に宮内から名取が発表されたテレザへの注目は王族連中だけでなく国民の中でも高かった。最後に名取が行われたのは30年も前のことだった。

 

 最後の門を超えると、真っ直ぐに王宮へ向かう大通りには警備兵が並び、その外側には群集が見えた。だがエリーゼはその道へは向かわず、通行止めのされている街路へと進んだ。エリーゼとテレザの馬車は人通りの封鎖された裏道を通り、王宮の西門に辿り着く。


 エリーゼはテレザ一行を式の行われる御堂から少し離れた建物へと案内した。そこは合同術式等で使われる祈祷所で正面奥の祭壇と天窓以外は何もない場所だった。そこにはエリーゼが用意した術具による魔力結界が幾重にも貼られていた。

 時計を見ると10時。式が始まるまであと二時間。エリーゼはあと三十分もすれば到着し始めるだろう、参列者の受け入れへと向かった。

...



 テレザは祈祷所の角に置かれた椅子に座り、家で幾度も反芻した参列者の名簿を思い返した。

 継承者候補本人の参列が7名とその従者、欠席する継承者候補の代行が5名。それに加えて属領や属国の大使が1名ずつで13名。それに父王と大司祭。合計で34名。この内、王族と大司祭は例え裏の顔があったとしても、自分が提供できる情報はないから交渉はできない。属領属国の大使は国内の安全の役には立たない。そうなると私が取引できる相手がいるとすれば、継承候補の従者7名と5名の代行だけだ。エリーゼのくれた名簿にはその12名の出身経歴から魔力の系統や量などが細かく記載されていた。

 

 テレザはそれらを全て記憶して分析し優先順位をつけた。可能性はあるはずだった。だがそれを見定める機会はほぼ祝辞挨拶の時しかない。だが仮に目星が付けられたとしても、交渉の機会はないだろう。何らかの合図を送り、機会を作らねばならない。だがもしその見定めを失敗すればそれで終わりだ。生き延びる可能性が消えるどころか、それは処刑台への一本道。予想はあるが、それはあくまでエリーゼの資料によっている。信頼にたる確証があるわけではない。実際にこの目で、見て判断せねばならない。不意に、もし最初からそんな者がいなかったら、という考えが今更ながら去来しそうになるが、無駄なことをと思いをかき消し、小さく鼻でため息をつく。


 唐突にテレザはあることに思い至り思わず笑みを浮かべる。何故かすっかり失念していたが、エリーゼは猫イラズの異名を持つ間諜を探す手練れだ。今まさにそのネズミは自分自身ではないか。まあ、まだ何も実際にはしてないから問題ないだろうが、いざ目星をつけた相手に合図を示す時はエリーゼの目は気をつけねばならない。全くエリーゼも護衛の対象が犯罪者とは苦労なことだ。もしバレたらどうするだろうか。あれは几帳面そうだから式が終わるまでは護衛に専念するかもしれない。まあ、どちらにしろ結果に大差はない。だが名取の前に捕まるのと、候補者として捕まるのでは何か違いがあっただろうか?まあ、そうなったら聞けばいいか。どうせ手続きの違いくらいで死ぬことに変わりはない。


テレザ様?とローズが声をかける。


ご体調はいかがですか?


問題ないわ。


前回よりは距離はありましたが、エリーゼ殿の魔力も大丈夫でしたか?


確かに、そういえば今日は何も感じなかったわ。


ならよかったです。

...


式まであと半時間。それまで参列者の対応をしていたエリーゼが祈祷所に顔をだす。


失礼いたします。只今最後の封術を行なっておりますので、それが終われば参列者の入場は終わります。予想通りではありましたが、やはり術具呪物を持ち込もうとする者が多く対応に時間が取られました。結果、継承候補者の従者7名中4名は術具の保管のため参列は取りやめとなりました。こちら新しい名簿になります。これで、参列者は確定となります。


どうもありがとうございます。と言ってローズが受け取る。

4名といえども少ないに越したことはありませんから、ありがたいことです。


テレザがローズから最終参列者の名簿を受け取る。


テレザはローズとルーシーと共に祈祷所の奥の椅子に座り、エリーゼはその反対、入り口のすぐ横に立つ。


無言で最終名簿を見ていたテレザが突然立ち上がる。


テレザ様?


ちょっとエリーゼさんと話をしてくる。


テレザはそう言ってローズ達をそのまま止まらせ、部屋を横切ってエリーゼの近くまで歩いて行く。エリーゼまで十五歩ほどのところまで行き、足を止める。


あなた魔力はどうしちゃったの?


今回の任務に不要でしたので抑えました。


器用ね。そんな出したり引っ込めたりできるもの?


術具を用いましたので。


ふーん。それ大丈夫なの?


問題ございません。もとより術式より剣技の方が得意ですので。

そう言って腰に帯刀する細身の剣に手を添える。


そういう意味じゃないわ。魔力の強い人は何にでも魔力を使うと聞いたわ。歩いたり、呼吸したり。そんなに抑えてしまってあなたは平気なの?


はい、問題ありません。任務で魔力抑制を行うことはありますので、これが初めてではありませんから。


そう。ならいいけど。おかげで今日は随分楽だわ。ありがとう。


とんでもございません。


それだけ言うと、テレザは元の椅子へと戻っていった。



...




正午。


参列者達は指定の席につき、父王と大司祭が祭壇に上がる。

テレザはエリーゼに先導され祈祷所から御堂への道を歩く。ローズとルーシーがそれに続く。

扉の前に着くと、ローズとルーシーがテレザの服装を今一度確認する。

エリーゼがテレザに最後の確認をし、扉を開ける。

テレザが一人参列者の間を通って祭壇へと向かう。

品無く振り返る者はいないが、テレザが横を過ぎると皆その後ろ姿を目で追いかける。

エリーゼとローズ達は参列者達の後を通り後ほどテレザが祝辞を受ける場所へと先回りする。


祭壇前にたどり着くと、テレザはゆっくりと両膝をついて頭を垂れる。

それから大司祭に促されて立ち上がり、祭壇の階段を上がる。

祭壇を上がり切ると、父王その人と大司祭の前にまた改めて膝をつく。テレザは小さく深呼吸をしてから頭巾の表の布を外し、頭巾を外す。

周囲の魔力量に問題は無い。

父王は形式通り名取の意向を確認し、テレザはそれに頷きで答える。


父王はテレザに継承名『ヒパティア』の名を与え、続いて大司祭が細い鎖を通した継承者の証である指輪をテレザの首にかける。

テレザは立ち上がり、参列者の方へ向き直る。

皆の視線が一斉にテレザに注がれる。

少しすると大司祭が一歩下り、祭壇奥の扉の鍵を開ける。父王はテレザについてくるように言ってその扉の中へ消える。

テレザは黙ってその扉の中に入る。大司祭もそれに続いて中に入ると、扉を閉める。大司祭はそこに止まり、父王とテレザがその細い通路を進む。

父王の掲げるランプの灯りで周囲の壁は闇の境でゆらゆらと揺れる。


どちらへ?とテレザが尋ねる。


これからお前に見せるものは、王族の中でも継承候補者のみが知ることを許されるこの国の機密だ。継承候補以外では大司祭により選ばれた一部の学者しか知るものはいない。それが何かは、見ればわかる。


・・・。


二人は黙って歩いて行く。


ここは王宮図書館の機密区画ですね。とテレザが尋ねる。


そうだ。よくわかったな。お前は図書館を良く使うのかね。


私は参りませんが、家人によく借り出しを頼みます。


そうか。ところで、お前に言っておかねばならないことがある。今からお前が見るものとは別のことだ。


なんでしょうか。


お前の母のことだが。


・・・。


何か聞きたいことはあるか?


いえ。


お前の母は、・・・美しい人だった。


・・・過ぎたことに興味ありません。


そうか。では一つだけ言っておこう。これは約束でな。


何でしょう?


お前の母はこの国に嫁ぐ時にその国と宗教とその名を捨てた。今王族の墓碑に記されているのはこの国で与えられた名だ。

お前の名は母親の旧名だ。


・・・それだけですか?


そうだ。それとこれを渡しておく。


そう言って父王は足を止めて振り返る。


なんですか?


渡されたのは封の空いた手紙だった。裏にはテレザの名が書いてある。

自分の字では無かった。



...



父王とテレザが開けた場所に着く。周りをみると本棚や術具や呪物が点々と置いてある。

父王はそれらには目もくれず先に進み、そして突然足を止める。

ランプをかざし、部屋の奥を照らしながら言う。


あの奥に台が一つある。見えるかね。


はい。


あそこにはある古代の詩碑の断片が置かれている。


詩碑?


お前も聞いたことくらいはあるだろう。神の詩と言われるものだ。


・・・。


もちろんその全てではない。この国が持つのはその第一編、第一歌、とみなされているものだ。


あれは伝説では?


そして事実でもある。


近くで見ても構いませんか?


好きにするがいい。だがその前に、お前もこの詩のことを他言せぬと誓約立てねばならない。


誓います。この詩を他言しないと。


結構。


父王はテレザにランプを渡す。


テレザが台に近づくとランプの灯りに照らされて詩碑がその姿を表す。石板に刻まれた古代の詩。

それはテレザの知らない言語だった。

テレザは意味がわからないながらもその行、節、余白、そして同一あるいは類似の字形の連続と周期から、その構造の輪郭を読む。


触れても構いませんか?


構わぬが、古い物だ。気をつけるように。


テレザは左手の人差し指と中指の先の包帯を小さく歯で引きちぎりその肌を出す。そして最初の文字から詩碑に触れる。


お前は詩に興味があるのかね?と父王が後ろから声をかける。


良い詩なら。


珍しいな。他の継承候補たちは式にもならぬ古代詩など気にもかけぬが。


最後の文字までテレザは詩碑に触る。


これは喜劇ですか?


ふふ、神の詩が喜劇という説は聞かないな。


式化はすでに?


大司祭の選定した翻訳家と算術家が長きに渡って励んでいるが、未だに完全な翻訳さえ定まっていないのだ。おそらくこの詩碑は原文ではなく、古代の少数言語に訳されたものだと考えられている。式化の可能性はあるというが、まだ当分先だろう。


私がやっても構いませんか?


それは助かるな。この式化が叶えばこの国の大きな支えとなるだろう。お前は算術もやるのかね?


良い数と形は好きです。算術は、必要なものなら。


そうか。なら詩術と算術はもちろんだが、古代言語も学ぶ必要があるだろうな。


はい。十分拝見しました。


では戻ろう。皆が待っている。この詩碑を我が国が所有することは極めて重大な機密だ。くれぐれも気をつけるように。他国に知られれば要らぬ戦いの火種にもなろう。


はい。

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