第6話:枷と業
エリーゼは外交部の入り口でローズを見送った。
ローズの後ろ姿が消えると一人の小柄な男の子が姿を現す。
また追います?と男の子がエリーゼに尋ねる。
ああ、このまま屋敷まで追ってくれ。当日朝私が屋敷に出向くからそれまで監視を頼む。
了解です。でも監視だけでいいんですか?
ああ、基本は情報を集めることが目的だからな。万一テレザ本人に直接の干渉が試みられた場合のみ動いてくれ。先にも言ったがその場合決して魔力を使わないように。スーも含めてだ。
大丈夫ですよ。この子は賢いから。そう言って男の子は右肩に乗った小さな動物を撫でる。あの家人たちに何かあった場合はどうします?拉致される危険もありますけど。
それは放っておいて構わない。この仕事はあくまで式が終わるまでテレザの身の安全を守ることだ。家人の安全まで気を遣うほど余裕はない。
わかりました。あと、ここから屋敷までの家人の監視ですけど、追加料金もらえますか?
そうだったな。では約束の額の1.5倍でどうだ。
ほんとですか?やった!
それと、もし手が足りないようなことになったらアグライアとメリッサに声をかけてくれ。
アジーとメリッサにはいくらって言います?
お前との最初の約束の額でいいだろう。
了解です。でもそんな場合まずはエリーゼに報告した方がいいですよね。
いや、私は式までにやらねばならないことがある。もしテレザ本人への直接干渉が十分に予期されるなら知らせてくれ。それ以外は任せる。
わかりました。じゃあ行ってきます。
そう言って男の子は姿を消し、エリーゼも外交部を後にした。
...
30分後、国軍本部。
あらエリーゼさんこんなとこにいらしてていいんですか?あんなことがあったのに。顔見知りの受付嬢ビリーがエリーゼの姿を認めて声をかける。
ああ、目下極秘任務中でね。もしかして君の耳にももう入っているのかい?
得意そうに眉を上げるビリー。
いやーほんと噂に戸は立てられないね。まあしょうがない。あまり他言はしないでもらいたいな。
もちろんですよ。
これから術具の借受に行くんだが、混じゃあいないかい?
大丈夫ですよ。検問でほとんど出払ってますから。
それは助かるな。
...
五分後、術具倉庫。
これを借り出したいんだがと言って管理番号を記入した紙を差し出すエリーゼ。
承知いたしました。そう言って倉庫の管理番トムソンが受け取る。
これはこれは。大ごとですね。あまり貸し出しの無いものですから少し時間がかかります。そちらにかけてお待ちください。
そう言ってトムソンは倉庫奥へと消える。エリーゼが待つこと約15分。トムソンが手提げカバンを持って現れる。
ご説明した方がよろしいですか?
一応頼む。
承知いたしました。そう言ってトムソンがカバンを開ける。
カバンの中には金属製の大きさの異なる黒い輪が五つ入っている。
こちらが両手首用でこちらが足首用です。どちらも左右がありますのでお気をつけください。それからこれが首用です。ご承知とは思いますが、これらは極めて強力な魔力封じの拘束具です。元の魔力の高い者は一つ付けただけでも立ってさえいられません。特にこの首輪は呼吸や脈拍などの生命活動そのもの止めかねませんので、どうかご注意ください。せっかくの捕虜も死んじまったら台無しですからね。
そうだな。展開と解式は?
なに簡単です。通常の拘束具と同じです。
わかった。触っても構わないか?
ええ。展開前はただの金属の輪です。もしかして、侵入者が捕まったんです?
なんだお前も知っているのか?
へへ。まあ。
そうだな。何せ機密事項だ。だがいつも世話になっているからな、肯定も否定もしないというに留めておこうか。
なるほどです。ご安心ください。誰にも言いません。
じゃあ借り受けるぞ。返却は使いに持って行かせてもいいか?
ええ、構いません。でも扱いにはご注意ください。一応上級呪物扱いのものなので。
ああ。
...
一時間後。王都に複数あるエリーゼの隠れ家の一つ。訓練着に着替えたエリーゼがトムソンから借り出した術具を一つ一つ自分の手首と足首、そして首に装着して式展開する。しばらくそのまま立っているが、やがて椅子に腰を下ろす。一筋の汗が頬を伝う。呼吸を整える。
カリィの戦役以来だからもう三年も前か。やはり久しぶりだとそれなりに応えるな。
それから大きく深呼吸をすると、立ち上がって稽古場に向かう。
...
テレザの屋敷。家に戻ったローズがテレザとルーシーを前にしてエリーゼとの話を伝え終えたところ。
いかがでしょうか?とローズ。
いいんじゃない?とテレザ。
何かご質問はありませんか?
無いわ。
失礼ですが、ちゃんと話を理解されました?
ええ、大丈夫よ。
ねえさん、今日のテレザは心ここに在らずなの。
言わなくていいったら。とテレザ。
式より大事なことなどないでしょう?
今テレザ様は、タイル貼りの事しか頭にありませんよ。ねえテレザ様。
タイル張り?なんの話ですかそれ?
え、ローズ興味あるの?これよ。そう言って机の下に隠していた計算紙を見せる。紙には図形やら計算式やらが雑然と散らばっている。今朝起きたらね充填問題の一般解がわかったの。しかもこのやり方だと平面だけじゃなくて、少なくとも8と24の自由度のある場所のもわかるの!面白いでしょ?
テレザ様?
なに?
それは、名取式よりも、いえ、あなたの命よりも大切な事ですか?
ん〜、難しいところね。でもまあ命の方がちょっと上かしら。
ため息をつくローズ。
それがどれほど大事な事なのか私にはわかりません。ですがお願いですから今は式の話に集中していただけませんか?タイル張りなら後でいくらやっていただいても構いませんから。
わかったわ。そう言ってテレザは計算紙を机から近くの棚に移動する。
え〜と確か、エリーゼさんが城壁に穴をあけたんだったわよね?とテレザ。
それは別に大事なことではありません。
エリーゼ殿がおっしゃったのは、テレザ様の情報が守られ、皆が疑心にある限りテレザ様の身は安全だろうということです。
まあ、理にかなってるわよね。
この変更案はそれを前提にしたものになりますので、ご承知ください。
ええ、わかっているわよ。
式では自信たっぷり、微塵の恐れも無く振る舞えばいいのでしょう?
まあ、そうですね。
任せておいて。王位を確信しているような態度で行くから。
普通にしていればいいんです。慣れない芝居はボロが出ますからね。淡々とやってください。
そう?
あとこのエリーゼ殿が作ってくださった参列者名簿。しっかり目を通して置いてください。誰に気をつけなきゃいけないか頭に入れといてください。
ええ、任せといて。
ではお話は以上です。ご質問は?
無いわ。
じゃあ話は終わりです。
私これから勉強部屋でしばらく作業するから。今日の夕飯は運んでもらえるかしら?
構いませんが、病み上がりなんですからご無理なさらないようにしてください。
大丈夫よ。私睡眠はちゃんと取る方だから。行ってもいい?
どうぞ。
テレザは参列者の名簿と、棚に置いた計算紙を掴むと軽食用に台所で果物とパンを選んでから自室に向かった。
やれやれだわ。
でも元気になって良かった。
まあね。
...
それから式まではそれぞれに時を過ごした。
エリーゼは抑制具に慣れる為の訓練を続け、エリーゼの命を受けた男の子は昼夜を問わず使い魔の動物と共にテレザの監視を続けた。
一方、テレザは平面に加えて七つの次元での敷き詰め問題の解を見つけた。時間があればより高度な一般化の可能性も予感していたがそれは時間的に式までには無理そうだった。テレザとしては、これが自分の最後の仕事になるかもしれないという思いがあった。そうなれば死んだ継承候補者の遺品が残されることはないというから、きっとこれまでのものも一緒に処分されてしまうだろう。だけどもし・・・、とテレザは自分がこれまで書いた術式や算術を納めた棚を眺めた。
テレザはもし自分のように詩と数を愛する誰かの目に留まることがあったらと考え、その先の可能性を示しておく為に計算の展開分岐のたびに細かく注釈をつけていった。そのためにその式は簡潔に整えられた美しい式とは言えなくなった。だがまあしょうがない。とテレザはそれを受け入れた。それにもしエリーゼさんが言ったように私にまだしばらく時間があるなら、その時はちゃんと自分で仕上げればいいことだ。とりあえずはここまでだろう、そうしてテレザは式の前日の夜その仕事を終えたのだった。
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