第2話:猫イラズ


 テレザが名取を受けるという知らせは俄に王都を巡った。

 

 これまで国の式典はもちろんの事、公の場に一度も姿を見せたことがなかったテレザが、名取を受けるなどとは誰も考えてはいなかった。それどころか王族の中にはテレザの名を知らぬ者や、あるいはとっくに死んだと思っていた者もいたほどテレザは王宮社交から忘れられていた。

 テレザの父である現国王の13番目の妃だったテレザの母はテレザの出産で亡くなり、属領から嫁いできたその母には親類縁者もいなかった。その魔力に過敏な特殊体質が理由でこれまでテレザはひっそりと二人の使用人と一人の馬丁と共に王都の端の小さな屋敷で育てられてきたのだった。

 

 通例名取を受ける王族は本人自身が秀でて強い魔力を持つか、あるいは周囲に強い後ろ盾を持つものに限られたこと、そしてテレザの事を誰も知らなかったことが王族連中、特に継承候補たちの中で一体テレザとは何者なのか、名取を受けるほどの魔力や後援を持つのかという疑心に駆られた噂がたった。


 テレザにとってそれは期待通りの成り行きだった。テレザにはローズたちには言わなかった一つの計画があった。その為には王族連中の自分への注目が必要不可欠のものだったので、その状況をルーシーから伝え聞いたテレザはホッと胸を撫で下ろした。

 

 テレザはローズたちに名取を受けても受けなくてもどうせ短い命なら、より良い生活を選びたいと言ったが、それは真意の全てではなかった。テレザはどうにかして自分が生き抜く道はないか、これまでずっと一人で考えてきたのである。

 

 まず第一にローズ達にも言った通り、その体質のせいでいずれかの継承候補の庇護下に入り王都に住み続けるという選択肢はなかった。自分が生きる為には名取を受けて自らの領地を得ねばならない。だがローズの言う通り、それで巻き込まれる継承争いから身を守る術をテレザは持たない。ならば自分はこの身の安全を任せられる誰かを見つけねばならない。だがそんなことが可能だろうか、他の継承者達からテレザを守れるほど賢く強い者、そしてその者自身の魔力にテレザが耐えられる程度の魔力抑制ができる者。もしこの国にそんな者がいたとしても、きっとすでにいずれかの主人に仕える身の上だろう。そんな者がテレザの力になってくれるだろうか。否。そんなことはあり得ない。継承争いに敗れた候補者とそれに仕えた家来は死罪か、良くて国外追放と相場は決まっていた。まともな者ならテレザの事を知ってそれでも力になろうなどと言うはずがなかった。

 

 そう、まともな者ならば・・・。もしこの王国の内部に、それも継承候補者や父王の近くに他国の間諜(スパイ)が入り込んでいたとしたら・・・。きっとその者は知略に優れ、大胆不敵の度胸を持ち、そして武功に秀でたものに違いない。 

 

 もしそんな者がいたとしたら、自分はその者と取引ができるかもしれない。自分は継承候補者として手に入るこの国の情報を、その者にはこの身の安全を。当然それは国家反逆の罪であり、王族といえども極刑を免れない。それどころか考えられる最も酷い拷問の果てにその身を卑しめられ、その名は永久にこの国の歴史から消されることになるだろう。

 だがそれがなんだとう言うのだとテレザは考える。生まれてから今まで、わずかな魔力さえ受けつけないこの身体に痛みと痒みと熱が絶えたことはなかった。触れられただけで皮膚は爛れ、誰かが屋敷の外を通り過ぎただけで熱を出してうなされた。幼い頃耐えられぬ痛みと痒みにその身を掻きむしり、指の爪が剥がれたこともあった。

 肌を焼き、皮を剥ぎ、身を刻むのならやればいい。初めから私にとって世界は痛みそのものだった。そんな終わり方なら首尾一貫で気持ちがいいくらいだ。この身体に未練などないし、苦痛のやり過ごし方ならいくつも知っている。拷問というのがどんなものか経験はないが、あの終わらぬ日々を超えられるものなら大したものだ。それに名を失うことがなんだと言うのだ?はなからそんなものに興味はない。万に一つでも私が生き抜く道筋があるのなら、私はそれを選ぼう。

 

 テレザにとってその機会は名取式の一度しか無かった。その中でテレザは交渉の相手を見つけなければならない。だがその前に自分の情報が、他国の間諜が興味を持つほどの価値のあるものでなければ、その者がその場に現れることさえないだろう。その意味で王族連中の疑心を誘えたのは一先ずの成功と言ってよかった。


...


 テレザとの会話の翌日、ローズは宮内に名取りの意向と共に式の要望を伝えた。内容は可能な限り少人数の参列者にすること、そして警備も無用と言うものだった。それはテレザの体質を考慮してのものだったが、テレザの特異体質はその身の安全に関わる重大な機密だった為、父王を含めたごくわずかの者しか知らなかった。その為になぜそんな要望をするのかと宮内は訝しんだ。国や属領の重要人物が列席する式になんの警備も入れないなど、たとえ王宮敷地内の式事とはいえ到底認められないと宮内は返事を返したが、ローズはそれをテレザの意向という一点張りで突き返した。

 困った宮内は父王に直訴し説得を願った。その結果、事情を解した父王は自らが信頼を置く直属の外交部隊から一人を指名し、その者を国外の任務より呼び寄せ、式の警備進行を一任するという決定を下した。それには宮内もローズも従うほかなく、その件はそれで落着となった。


... 


 式を一週間後に控えた早朝夜明け前、テレザはローズとルーシーと共に式の下見に式事の行われる王宮内の御堂に向かっていた。それは王宮図書館に併設する小規模の御堂だった。その時間、テレザの馬車の入場する門からの動線と王宮図書館周辺一帯は閉鎖され人払いがなされた。


その前日、ローズは警備に関する父王の決定をテレザに伝えた。


まあー、当然そうなるわよね。しょうがないわ。とテレザはそれを渋々受け入れた。


この・・・エリーゼという者は父王様の直属ということですから、それなりに信頼のおける方とは想像致しますが、いかがいたしましょう。


いかがって、断れないでしょ?とテレザ。


いえ、そうではなく流石にお身体の事を秘密にしたまま警備を任せるのは難しいと言うことです。もし何か事が起こった場合、その者が魔力を使って対処しようするかもしれません。その危険を伝えずに警備を任せるのは・・・。


あ〜、確かにそうね。あなた達に任せるわ。でもエリーゼって聞かぬ名ね。外国の人かしら。


かもしれません。外交部隊所属とのことですし。承知いたしました。ではまず向こうに到着しましたら、私が先に出向いてその者と話をして参ります。役に立つかはわかりませんが、一応機密誓約の上で話は致します。その後でテレザ様は馬車からお出になるようお願いいたします。


オッケ〜。


まだ西方に残る夕影と白み始めた東の空の間をテレザ達を乗せた馬車が王宮に向かう。


ねえ二人とも、このエリーゼって人のあだ名なんだかわかる?宮内から送られてきた略歴を見ていたルーシーが愉快そうに尋ねる。


あだ名?とテレザ。


さあ?わかるわけないじゃない。とローズ。


猫イラズですって。


猫イラズ?とテレザ。


たしかネズミって間諜のことよね?とローズ。


そう、これまでこの人軍隊時代も含めて何十人って数の内通者や間諜を見つけ出して来たんだって。だから猫イラズ。さすが父王様ね。ちゃんと王族側に目を光らせられる人がいるだけでみな余計なことはやりづらいってことよ。


家の外で物騒な物言いは良しなさい。でも確かに今回の任には適した方かもしれませんね。とローズ。


そうね・・・。


何かご不満でも?


そんなことないわ。よりによって、とテレザは思う。そんなのがいたら折角の機会が台無しになりかねない。今からでも何か理由をつけて変更できないものかしら。ううん違うわ。父王の近くで目を光らせるこの人にバレてしまうようなら、この身を預けることなんて出来やしない。その目を盗めるようでなければいずれバレるのは目に見えている。むしろ試金石として好都合と考えるべきだわ。とはいえ、その猫イラズの目を盗めるような間諜がいたとして、私自身ががそれを見つけられるのかしら・・・。何よ今更、最初から万に一つの可能性だってことはわかっていたじゃない。やるしかないのよもう。式は決まっちゃったんだし。とテレザが眉を顰めて思案しているとローズが尋ねる。


テレザ様何か心配事でも?


何言ってるの?私には心配事しかないわ。


まあそれもそうですね。


ねえ、この人顔や性格も猫っぽいのかしらねえ。


なにをくだらないことを。そんなのすぐわかるわ。いい?余計なことは言ってはダメよ。話は私がしますからね。さあ二人共、もう着きます。

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