算術屋テレザの覚書、あるいは魔的マテマティカ

folly

第1話:神の詩


...


 悪魔の少女テレザには生まれつき魔力がなかった。


 厳密な事を言えばごく微かな魔力はあったが、その程度の量では子供でも使える簡単な術式さえ使うことはできなかった。

 

 それに加えてテレザは魔力への特殊な体質を持っていた。それは『魔力灼け』と呼ばれる症状で、通常の魔力を持つ悪魔が近くにいるだけで熱を出し、触れられれば火傷となった。

 強い魔力にさらされた時そのような症状が出ることは誰にでも起こることだったが、テレザのそれは医者も驚くほど極度のものだった。

 

 そのためテレザは赤ん坊の頃から親元を離れ、魔力の弱い二人の姉妹の使用人ローズとルーシーによって育てられた。姉妹はいつも気を配ったが、それでもテレザの身体に火傷の痕が絶える事はなく、いつも突然に熱を出しては寝込んでばかりいた。

 

 そんなテレザには一緒に遊ぶ兄妹も友達もいなかったので、いつも一人で絵を描いたり、折り紙を折ったり、土で遊んだ。

 

 テレザは言葉を覚えるのがとても遅く、三歳を過ぎても一言も話さなかった。姉妹は心配して毎日なんでも話しかけた。どうやら聞こえてはいるらしかったが、テレザはそれに返事をする素振りさえ見せなかった。

 それでも身体の調子がいい時は、一人で何やら楽しそうに遊んでいるので姉妹は仕方がないと放っておいた。

 

 やがて、そんなテレザも四歳になる頃には少しずつ言葉を話すようになった。その頃のテレザはなんだかいつも寂しそうで、遊んでいても笑顔を見せることが少なくなった。

 

 姉妹はテレザを学校に行かせるわけにはいかなかった為、王宮図書館から本を借りてきて毎日読み聞かせをした。

 テレザはいつも興味もなさそうにそれを聞いていたが、ある時借りてきた本の中に偶然世界の古代詩を集めた詩集があった。テレザはなぜかそれに興味を示し、それからはいつもその本をせがむようになった。その詩集は子供向けではなく、かなり難解な詩も含まれていた。姉妹はテレザがそれをわかっているとは思えなかったが、とにかくテレザが目を輝かせて聞くのでいつもそれを読んだのだった。


 その頃からテレザは急速に言葉を覚え出した。四歳になる頃には姉妹が借りてくる詩集を自分で読むようにもなった。

 テレザには本を読む時に指で文字をなぞって読む癖があった。それもまるで引っ掻くように強くやるので、気に入った本はすぐにボロボロになり姉妹はいつも図書館の司書に怒られた。当然そのような本は買い取りになり、家には返すに返せぬ本がどんどん増えていった。

 

 テレザは体調の許す限り夢中になって、詩を読み、絵を描き、折り紙を折り、土遊びをした。

 テレザに好奇心と好きなことがある限り、どんなに酷い火傷を負おうが熱を出そうがまた元気になると姉妹には思えたので、姉妹はテレザが好きなことはなんでもやらせた。だから本を引っ掻く悪癖も一度も注意しなかった。

 

そんなテレザも成長し、もうすぐ13歳になろうとしていた。





◇ ◇ ◇




王都の端、テレザの家。


使用人のローズとルーシー、馬丁のアカマスと共に夕食のテーブルにつくテレザが、大きな本を抱えて食卓にやってくる。

食事の最中、テレザが"神"というものを知っているかと尋ねた。


それは大昔に地上で栄えた人間族にとってのルシフェル様のようなものでしょう?とローズが答える。


じゃあ嘘ってこと?とテレザ。


ルシフェル様は嘘じゃあありませんよ。大地の奥底で私たちを見守ってくださっています。


っていうお話でしょ?とテレザ。


お話じゃあありません、伝説です。


どっちでも同じね。じゃあ、神の詩って知ってる?と続けて尋ねるテレザ。


それも伝説ですね。それを式化すれば天地創造さえ叶うという詩のことでしょう?とローズ。


あらそうだったっけ?私が知ってるのは世界を終わらせる術式だって話よ。とルーシー。


わたしも地を破り天を落とす大術式と言う話を聞いたことがあります。おとぎ話ですが。とアカマス。


まあ、伝説には尾もひれもつくものですからね。とローズ。


じゃあそれも嘘なの?とテレザ。


嘘とは違います。事実ではないと言うことです。


事実でないなら嘘じゃない、とテレザは不満そう。


伝説というのは虚も実も混じるものです。まあ古くからある噂話ってとこですね。


ふ〜ん。


人間の物語なんかに興味があるんですか?ローズが尋ねる。


別に人間に興味があるわけではないわ。神の詩ってのに興味があるの。この本もそうだけど、たくさんの物語に神の詩に関するお話は出てくるのに、一行も実際の引用はないのよ。


だから伝説なんですよ。とローズ。


私、神の詩を読んでみたいわ。


それはきっと大昔の悪魔たちが持っていた人間への恐れの象徴のようなものなのでしょうね。


でも伝説には虚も実も混じるんでしょ?もしかしたら元になった人間の詩があったのかもしれないわ。


まあ、それはそうですけどね。神の詩が本当にあるなんて話を聞いたことはありませんよ私は。


私も。


私もありませんな〜。とルーシーとアカマスも続ける。


でも絶対無いとは言えないでしょ?食い下がるテレザ。


じゃあもしあったとして、それを読んでどうしたいんです?


式化したいわ。


まあまあ、テレザ様は世界を終わらせたいんですか?


違うわよ。世界を終わらせる術式ってことは、きっとそこには世界の仕組みの全てが書いてあるはずでしょ?私はそれを知りたいの。


知ってどうするんです?


別に。ただ知りたいだけよ。


...

 

そんなことよりテレザ様、13才のお誕生日はもうすぐです。宮内の方から名取のお返事の催促がまた来ておりました。どなたに庇護をお願いするかは後にして、辞退のお返事だけでももうした方がいいんじゃありません?ローズが話題を変える。


ああ、そのことだけど。私名取りを受けることにしたわ。とテレザ。


ローズが驚いて匙を食器に当てて手で抑える。


押し黙る三人。


テレザ様、それは名取をお受けになって継承名と継承権を担うと言う意味でよろしいですか?


ええ、そうよ。


なんと言っていいか分からず目を合わせるローズとルーシー。アカマスは静かに一言、おめでとうございますテレザ様、と言う。


テレザ様、そのご判断に関して、私たちは何一つとして意見する立場にはありません。ですがお聞かせください。本当にその意味をわかっていらっしゃいますか。ローズが言葉を選び慎重に尋ねる。


だと思うけど。とテレザは食事の手も止めずに答える。


ルーシー、そのお野菜とってちょうだいな。


はい・・・。とルーシーが小声で答えて皿を渡す。


よろしいですか?この国に名取を受ける資格のある王族は何百名といらっしゃいます。ですが実際にお受けになるのはその一握り、人数の増減はございますが今現在たった12名しかいらっしゃいません。それらはみなご自身が強い魔力を持っていらっしゃるか、あるいは強い支援者の後ろ盾をお持ちになる方に限られます。継承名を持つと言うことは彼らと王位を争うと言うことです。


そうね。


継承名を持つもの同士の争いは合法です。いつ殺されても文句は言えません。


知っているわよ。とテレザ。


はっきり申し上げますが、テレザ様にはご自身の身を守るのに必要な魔力もなければ後ろ盾もございません。私たちはなんのお役にも立ちませんよ。私とルーシーも魔力はほとんどありませんし、アカマスだってそうです。


アカマスが少しおどけて眉を上げる。


ローズがテレザへの目はそらさず、何も言わず手のひらをアカマスに向けて謝意を示す。


それに、テレザ様のお身体はそんな争いに到底耐えられるものではありません。テレザ様だって十分お分かりでしょう?


ええ、知っているわ。


ならテレザ様のお立場で名取をお受けになるのは、自殺行為です。式が終わったその瞬間に殺される可能性だってあるんですよ。わかっていらっしゃいますか?


ええ。そうね。その可能性はあるわね。とテレザ。


ではなぜ。とローズが問う。


まあ、姉さんテレザの話も聞きましょうよ。何か考えがあるんでしょう?とルーシー。


テレザがフォークとナイフを皿の隣に置いて口元を拭いてから話し始める。


私は継承名が欲しいわけではないわ。王位だって微塵も興味は無い。私が欲しいのは自分の領地よ。この国のどこか端っこで誰の魔力を恐れることもなく生活がしたいだけ。そのためには名取りが必要なの。辞退すれば継承権を持つ誰かの庇護下に入ることになる。そうなれば私は王都を出て自分の土地を持つことなどできないし、様々な制約もある。私には、このほんの微かな魔力にも耐えられないこの身体では、たとえ誰かに殺されることがなかったとしても、いつ抗えないほどの魔力に曝されるかも分からないし、そうでなかったとしてもこの王都ではきっとそう長くは生きられないわ。それだって魔力避けのお香の煙る家の中に閉じ籠り、魔力避けの分厚い服を手放せず。ただ耐え忍んで日々に縋るなんてのは生活とは言えない。それよりも数年、数ヶ月、数週間、もしかしたら数日かもしれないけど、カーテンと窓を開け放して、好きな服を着て、詩や算術書を読んでみたいの。それは私がまだ一度も経験したことのない生活というものだわ。その一日は、きっとこの王都で耐える何年にも勝ると私は思う。


ローズとルーシーとアカマスはそれを黙って聞いた。


わかりました。テレザ様にお考えとお覚悟があってのことでしたら、もう何も申しません。では明日にでも宮内に届けを出しましょう。書類のご用意はありますので、後で必要事項のご記入をお願いいたします。とローズ。


わかったわ。ありがと。


余計な事を申しました。お許しください。


何よ堅苦しい。あなた達が心配してくれることは嬉しいわ。どうにかなるわよきっと。ごちそうさま。


そう言って席を立ち、食べ終わった食器をまとめて台所に持っていくテレザ。


ええ。そうですね。とローズ。


テーブルに残される三人の家人。


わし、まだそこそこ魔力あるのよ。抑えてるだけで。ボソリとアカマス老が言うが誰も返事をしない。


...


2階の自室に戻ったテレザが香炉に火石で火を灯す。


蓋をして少し待っていると無事火は落ち着いて、小さな穴から細い煙が三本立ち昇る。見るまにそれらはまとまって一本の太い煙になり、それが真っ直ぐ天井に向かったかと思うと、唐突に揺らいで散る。


テレザは香炉を机の端に寄せると、本を開いた。




◇ ◇ ◇


 


人間文明が衰退してはや数千年。


 人類の子孫達はその人口と勢力を大きく減じ、かつて隆盛を極めたその科学技術も失って原始的とも言える生活を辺境地域で細々と続けていた。

 一方、人間に代わって地上世界を支配したのはかつて人間達が”悪魔”と呼んだ不思議な力を操る人々だった。

 

 彼らの力は人間からすれば魔術や魔力としか言いようのないものだった。その人々はある時突如として歴史上に現れた。突然変異、宇宙人、あるいはどこかの国の生物兵器などと様々な憶測がされたが、人間達がどれほど調べても彼らの起源は分からなかった。

 

 当初人間達はその不思議な力に魅了され競ってその秘密を研究し、数多くの人体実験が行われた。その結果その力がどのようなことを成しうるか様々な報告がされていったが、その力の原因も仕組みも解明されることはなかった。

 

 そんな中、たった十数人の”悪魔”たちによって一国の領土が滅ぼされるという事件が起きた。人間達にとって悪魔と彼らの魔力は恐怖の対象となった。その結果悪魔達を敵視して絶滅させようと言う人々や、あるいは仲間に引き込み国家間の争いに利用しようと言うものなど様々な動きが起きた。

 そんな人間と悪魔が共存した数百年が経ったある時、人間達によって地上の全ての地域を巻き込む大きな争いが起きた。

 

 嵐のような争いの後、荒廃した世界で生き残ったのは悪魔達だった。結局人間達はあれほど恐れた悪魔達に滅ぼされることもなく、自らの力でその栄華を破壊し尽くしたのだった。

 

 先人達が居なくなった世界で悪魔達は自分達の国を作り、わずかに残った人間文明の遺産を引き継ぎつつも独自の文明を発展させていった。彼らの学問、技術、軍事、そして文化芸術の中心には常に彼らの不思議な力があった。

 

 人間達が魔力と呼んだその力は、それ自体では単に放熱や発火程度の現象しか起こすことができなかったが、術式と呼ばれるその力を制御する技術によって様々な効果を生み出すことができた。

 

 その術式とは主に二つの技術、『詩術と算術』の総称だった。例えば火の術式を作るためには、まずは火に関する詩が必要だった。当然詩には出来不出来があり、それは最終的な術式の出来に大きく影響を与えた。

 詩は霊感によって与えられる閃きを詩術によって捉える技術だった為、詩人達には少なからず霊感を受けるための魔力が必要だった。

 その次に必要になるのが算術だったが、これは文字通り数の技術であり、本質的に魔力と関係がなかった。それは形と量と数に関する純粋な理学で、この算術を用いて詩を式化計算することで術式は作られた。

 

 そして現代、地上は大小様々な悪魔の国々が領土を奪い合う、さながらかつて人間達が繰り広げた戦国時代や中世のような時代となっていた。


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