20話 一次的完全覚醒

 大向井は俺を快速電車内へ下ろすと、すぐに海の方へ向かって飛んでいった。

「魔力と状況と異世界との状況酷似による、魔物受肉ですね。海での受肉は本当に厄介です。命の宝庫というイメージが強いですから」

「先生」

「不安そうな顔をしないで。ネージュを刺激しすぎないこと。無理ならあなただけでも逃げること。以上です。できますね」

「できないってことは通用しないんだろ」

「当然です。レオーネをお任せします」



 海という命の宝庫から次々に魔物が受肉している。大向井はそれを出てきたそばから撃墜しているようだ。いくつもの魔法を常時展開しながら、不安定な海の上を疾走。海の上を走り回りながら次々出現する魔物を一撃で撃破しまくっている。一般人から補足されないような防衛措置もとっているようだし、ほんと大忙しだ。


 大向井がいなくなり、指定席の専用車両に、俺とレオーネと、ネージュが残された。

 レオーネが座席で体育座りになって震えている。怯えている。小さくまるまっている。らしくない姿だ。そんな自らの弱みをさらすような姿は。

 思わず頭をなでていた。軽口すら出てこない。

 レオーネの震えが少し収まったようにみえた。少しだけホッとする。


「肉。触るな。不潔だろ」


 ネージュの瞳も怒っていた。口調も遠慮や配慮がなくなり、完全にネージュはもう渡ってはいけないところまで渡っている。覚悟も完了済だ。

 そしてたぶん俺もそんなネージュと、同じような瞳になっている。


「ネージュ。俺はおまえは許さないよ」

「肉が、喋るな」

「友達なんだよ。レオーネは」

「おまえのお友達の魂はもうここにはない。ここにあるのは女子生徒の肉と、レオーネの魂だけだ」


 本当に相互理解は難しい。

 ネージュとはそこそこ話をしたつもりだったが、本当の彼女にとって、俺なんて話に値しない肉なのだろう。


「レオーネも。友達なんだよ」

「自惚れるな、肉野郎が。爪剥ぐぞ」


 ネージュは声を落とし、感情を伺えない瞳で睨んでくる。怖い。

 でもそれ以上の感情が、俺を燃やしている。

 怖いという気持ちを、数秒で上書きする。


「許さないのは、俺のほうだ」

「勇気だけで世界が救えたら、苦労はない。わざわざこんな世界の辺境まで転移転生してきたりしないっ。貴様は理想を口にするだけだ。何の力もない、ただのクソガキだ。偉ぶるな」

「そうだな。でもおまえ、見誤っているよ」

「は?」

「俺は、誰の肉なんだよ。本当に俺にあるのは勇気だけか? 俺に力は、能力は、行動するための力は、本当にないのか?」

 ネージュの顔色が、ここでようやく変わった。半笑いだ。ただし汗がひかっている。

「そこまで大バカではないと信じておりますわよ」

 口調がお嬢様寄りに戻ってしまうほど、彼女の心にダメージを与えているようだ。


 そして俺はその期待に答える。

 心臓のあたりに手のひらを押しつける。認識しろ。魔力を。魂を。その源泉を。

 来いっ。今すぐだっ。


「ま、待ちなさいっ。ほんとうにやるならせめて先生が帰ってきてからに」

「うるせぇ。黙れ。俺はなっ!! 今なっ!! 過去一キレてんだよっ!! 友達をこんなにされて黙っていられるかよっ!! 許さないっていっただろ。勇者っ! 来いよっ! 今っ!! すぐにっ!!! 体なんて、くれてやるからっ!!!!」

 その言葉に、言霊に反応するように。

 俺の体は一瞬波打ち、激しい何かに打たれたかのような衝撃が走って。

 意識が飛んでいた。



 ネージュは一瞬で喉の乾きを覚えた。

 すでに座席から降りて、両膝を床についていた。そのままの姿勢から、瞬きすることなく、勇者である人物の肉体を見上げていた。

 一瞬天井を仰ぐほどエビぞりとなった加々見が、一瞬で顔を起こす。


 過剰な自信と我好きを思わせる、邪悪な顔をしていた、加々見という人物を知る人ならば、この表情が加々見という人物とまるで一致しない顔になっていた。


「我が肉体様は、心根だけは勇者様だな、相変わらず。心底うざったい。殺してしまいたい。でもだがしかし、俺様の肉体になってしまう奇跡を引き当てただけはある。なかなかに剛胆だ。そうは思わぬか、フルールの令嬢よ」


 ネージュ・フルールは土下座の姿勢のままだった。

「思います」

「心にもないことをいうな。このまま乳母車ごと横転させてもいいんだぞ」

「ただ運が良かっただけのグズな肉です。それ以上でも以下でもないかと思われます」

「そこまでは言わん。ただしおれは正直者が好きだ。おまえらの先生も好きだ。レオーネ嬢も好きだ。おおむね、おれの好きな奴らばかりだ。おまえらは」

「ありがたき幸せ」

「おれの肉体様の意志だ。フルール嬢。肉体様へ、謝罪せよ。レオーネ嬢にも同様に謝罪だ」

「勇者様が、肉の要望をかなえるのですか」

 土下座の姿勢のまま、ネージュの口悪も止まらない。 

 加々見はネージュの頬を両手で摘む。そのまま持ち上げた。加々見の腕がまっすぐのばされ、ネージュはつま先でギリギリ立っている状態だった。

「首から力抜くなよ? 折れるぞ。で、だ。聞け。おれにはおれの都合があって、この世界へ転生している。慰安旅行に来たわけじゃねえんよ。だからいずれ完全なる受肉は成るが、それは今ではない。まだ種まきの時期だ。芽吹く喜びぐらい味わせろ。手順があるんだ。このガキの都合でやってきてしまっただけ。体裁にきてやったんだ。おれの顔をたてろ」

 ネージュを掴んでいた手が離される。床にへたれこみ、激しくせき込む。頬にははっきりと指の跡が残っている。うっすら血も滲んでいた。


 そんなネージュを見下ろす加々見。

「フルール嬢よ。繰り返さないぞ。最後だ。我が肉体様からのご要望だ。謝罪せよ。さもなくば、首を落とす」

「加々見様、レオーネ。わたくしの自分勝手な行動でお二人を傷つけたことを深く反省します。申し訳ありませんでした。今後は勇者消滅作戦のための駒として尽力いたしま……す?」

「良きだ。そもそも貴様等のやることなど些事だ。気にすることはない。思う存分やりたいようにやるがいい。では帰る。古い親友とはあまり顔を合わせたくないからな。おれはあくまで人間としての魂で生きている身ゆえな」



 大向井が海水でびしょ濡れになって帰ってきた瞬間、勇者の意志が俺の内側からいなくなっていた。

 鬼同然の表情で荒々しくびしょ濡れの大向井が、俺を睨んでいた。

「加々見くん。少し、いやかなり、いえガチで説教します」

 どういうことがあったのかわからない。ただレオーネがおり、大向井が怒っており、ネージュが俺の足にまとわりついてすりすりしているので、状況は変化を迎えていると考えていいだろう。

 状況が解決したことも、分かった。

 俺の中の勇者がやってくれたことも。


 レオーネはさきほどよりは元気そうだ。立ち上がっている。

「ごめん。でもありがと」

「ん」

「加々見のおかげで助かったよ」

「勇者のおかげ、じゃないの?」

「連れてきてくれたのは、あんたでしょ」

「そっか」

「そよ。ネージュ」

 俺の足元でなぜかすりすりしているネージュが、我に返ったように席へ戻っていった。

「なにか」

「あたしはもうあんたに依存しない」

「していたんですか、依存?」

「あんたがあたしにこだわるように、あたしもどこかであんたにすがられる自分として、じつはあんたに依存していた気がする」

「そういうものです。今後はそれはもういらない、と」

「いらない。だからもうあたしはあんたにびびらない」

「びひる?」

「あんたがあたしからいなくなることに恐怖しない。だから。これからは、勇者消滅させるまで。一緒にいなさい」

 握手。レオーネが手を差し出す。

 ネージュは微笑んでいるままだった。少しだけ顔が赤い。

 少しだけためらい。少しだけ手汗を拭いてから。

 レオーネの手を握り返した。

「これもわるくないですわね」


 それから思いついたように、手ではなく、ハグへ移行していった。レオーネは抱きしめられるまま。

 ネージュの方はギュっと強く抱きしめていた。それからくんくんしている。

 それからしばらくいちゃいちゃ色々あったけど。それはまた別の物語。

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