19話 終わっている逃避行

 快速電車に乗ってしまった。大向井らが向かう方向とは全くの逆方向。

 レオーネは羽虫と丸虫をかみ砕いたような表情が止まらない。やられたのだ。不意をつかれた。

 油断しているつもりなんてなかった。加々見や先生が認めても、自分だけは、と思っていた。それがちょっとした気のゆるみで。


 同級生と会話しにいった加々見を見送っていると、背中にネージュが手をあてがっていた。

「触んなっ」

 振り払おうとして、すぐに気付いた。


 魔力だ。

 うっすらとだが、確かな熱感。燃えつくし、魔物を呼びこむための術。


「わかっていると思いますけど、すでに必殺分の威力はためきっております。一応レオーネに標的定めていますが、抵抗を感じた場合は、同級生の乗っている車両を撃ちます。わたくしがこういうとき、本当にためらわないお嬢様であることは、ご理解しておりますね? レオーネ。反対車線の電車乗ってください」


 反抗する術はなかった。

 こいつはヤると決めたら、本当にヤるまで止まらない奴なのだ。

 蹴り飛ばしたい気持ちを押さえて、目的地とは反対方向へ行ってしまう電車へ乗り込んだ。

 こいつが一線を越えることを選んだ以上、抵抗はしない。

 被害が増えていくだけだ。


 目の前の車両は指定席の席しかない特殊車両だった。

「気にしないでいいです。そもそもわたくし庶民用の自由席なるところに座りたくないので」


 言われるがまま、レオーネは空いている指定席の席へ座る。

 席は背もたれ部分が可動式になっており、2人掛け席からボックスタイプの4人掛け席へ変化が可能だった。


 ネージュはそれに気付くと、ニコニコしながら背もたれを稼働させると、レオーネの真っ正面に座った。


「これは庶民にしては悪くない開発ですね。さて。行きましょうか。この電車だと海が見えるところまでイクそうですよ?」

 ニコニコしながらも、魔法因子を溜めきった、対象を必ず殺し得る手のひらはレオーネを向いていた。

「なにが目的? 勇者に命令でもされているの? 魔物を受肉させろって」

「? これが目的ですわレオーネ。あなたと二人っきりで旅行する。願わくば同じ旅館の同じ部屋で同じ寝食を共にする。それが目的です。魔物が出る出ないは、ただの結果ですわ。きちんと処理すればよくってよ」

「一般人に被害がでるかもしれないだろ」

「価値観と優先度の違いですわね」

 魔物が受肉する。結果、一般人に被害が及ぶ。それはしょうがない、といっているようだ。

 それよりも優先させることがある、と。この状況のことのようだ。


 レオーネは深くため息をつく。

「こんなことしても、あの鬼のような先生にすぐ捕まる。下手したら回復魔法をつかいながら、腕の一本ぐらい切り落とすよ、あの人は」

 ネージュは微笑むだけだった。まったく余裕を崩せない。


「レオーネ。わかってませんね? あなたと逃避行をする。それが目的でありゴールです。なのでわたくしの目的はすでにほぼ達成されております。もういつ捕まってもあまり後悔はないです。仮に指を一本一本切り落とされても、です。でもせっかくですから限界ギリギリまであなたとの旅を味わいたい。だから邪魔立てされれば、きちんと抵抗もします」


 快速電車が動き出す。駅のホームに一瞬加々見が見えた気がした。少しでも早く先生に伝わることを祈ろう。あの人なら快速電車の速度に追いつくことぐらい造作もないはずだ。


 電車が発進してからは、ネージュから実に他愛のない話題が振られた。この世界、故郷の世界、ファッション、文化、流行、毒にも薬もならないただのふわふわした言葉が投げかけられる。

 一度車掌が切符確認に来たが、ネージュが指先をふるふる回して幻惑魔法を発動させてやり過ごしてしまった。運が悪ければ、それだけでも魔物が受肉する条件をそろえてしまったわけだが、大丈夫だった。すべてが綱渡りだ。いつ落ちてもおかしくない。


 しばらくも走らないうちに、電車の窓から、海が一気にひらけた。

 窓の向こうが、もう8割海だった。

 風景の奥がかすむように山と空があるだけで、圧倒的な海の質量を感じる。津波という現象がどれだけの凶暴なエネルギーを持っているのか、この穏やかな海の質量からも想像できてしまう。

 線路から海まで数十メートルだろうか。ほんとにすぐそこで、海開きになれば、海水浴客でにぎわうのだろう。

「なかなか雄大な、良き海です」

「そ」

「大陸横断鉄道を思い出しませんか」

「あったね」

「魔物受肉の条件が揃ってきました。魔力、状況、異世界との酷似。レオーネ、ところで、いつまでそんなつまらそうな顔をしているのですか?」

「そりゃつまらないから」

「わたくしを満足させるべきでは? ここで魔物が受肉したら罪のない一般客が100人近く死にますよ」

 声音から本気を感じた。 

 レオーネは薄く深呼吸をする。こいつは無視できない。対決するしかないのだ。

「じゃあ少しはあたしが興味持つ話しろや」

「なんでレオーネは、そんなにわたくしに対してお怒りですの?」

「おまえのやっていることを今一度、回想してみろ」

 ネージュが小首を傾げている。少し斜め上をにらみながら考え中。

「この程度のこと、わたくしにとっては日常ですわよね? なにゆえわたくしの日常に、レオーネがイライラしますの?」

「話にならない」

「レオーネ。あなた、弱くなりましたね」

「あぁっんだと、おい」

「わたくしの記憶にあるレオーネでしたら、わたくし程度の行動に呑まれることはなかった。とてもはかなげでありながら強靱。柔軟でありながら堅牢。とても不可思議ながらわかりやすい。そんなあなたがわたくしはとても大好きでした。それがいまや。もしかして転生前にしてしまったことで、毒気が抜けてしまったのですか」

「やめろ。喋るな」

 レオーネは顔をふせる。聞いている奴はいない。この車両には結局自分ら以外誰もいない。

 それでも。

 聞きたくない。言葉にしたくない。思い出したくない。

 ネージュがため息をついた。

「レオーネ。あなた、本当に乙女になってしまったようですわね。初めてを失ってしまったということですわね」

「やめろ」

「あの日、転生前日。襲ってあげたことが、ヤってあげたことが、そんなに嫌でしたか?」

「やめろっ」

「いいましたね。あの世界に15年も肉体を置いておいて、身は清らかなのか、と」

「やめろよ」

「肉体は保全されると先生は保障しました。でもそれを管理する人間もいますわね。それらがクソ野郎であった場合、わたくしらの肉体はほんとに、清いままなのか」

「やめてよ」

「保証はない。一見したところはきれいに保っているでしょう。でもその内側まで本当に清らかであるのか、清潔であるのか、わかりますか? わかりませんね」

「いやだってば」

「ですから、わたくしは、あなたを襲ってあげたのですよ? 本当に清らかなうちに、美しいうちに、あなたを喰べてあげたのに」

「いやだ」

「がっかりです。そんな乙女なあなたと再会するために、こんな世界まで来たわけではありません。レオーネ。もうあなたには、がっかりしました。死にますか?」

 レオーネは座席でうずくまっていた。体育座りの要領で両膝を抱きしめて小さくなって震えていた。

 止めを刺すために、ネージュの右手に魔法球が浮かぶ。

 それからフッと息をつくと、魔法球を消失させた。

 

「あら? 楽しすぎて、なぶりすぎました? 来ちゃってますよ」


「ネージュ。君がいくらこの世界に、絶望しようとも、自暴自棄になって好き勝手やっても、私は君を見捨てません。きちんと作戦完遂まで、仕事してもらいます。遅れました」

 扉の前には、ずたぼろの格好になった大向井。そしてその背後から様子を伺うように首だけ出している加々見がいた。

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