17話 今は走るとき。要は走れ

 ネージュは完全転生が成った当日から反抗開始すると、俺と大向井は見立てていたが、じつに平穏に週が過ぎていくことになった。

 当初は、当日に動かない理由がない、という見立てだった。信頼信用を構築する必要がない、というべきだろうか。そこまでやる我慢強さはない、という考えだった。


 なのにネージュはじつに律義に信用信頼構築に励んでいた。

 ネージュもレオーネ同様に、勇者消滅作戦成功後は、肉体を元の持ち主に返すことを了承しており、ネージュらしい自己肯定感に満ち溢れたお嬢様感を前面に出すことはせず、普通の一般生徒として学生生活を過ごしている。


 完全転生当日の態度も相まって、日に日に、俺の中でネージュに対しての警戒心は薄れていった。

 もちろんレオーネが毎日の登下校で護衛に来てくれている際は、どこか張りつめた緊張感を出しているので、俺がネージュに対して心の壁を開き始めていることをオープンにすることはない。ただ、なんとなく感づかれている気はする。


 ネージュは案外、大丈夫かもしれない? という想いが、一度心にきっちり植え付けられてしまった以上、なかなかに薄れてくれなかった。

 なにかやらかすかもしれない、という気持ちと。

 いい加減にレオーネも諦めたら、という気持ちが、半々はいかなくても4・6ぐらいにはなっていた。


 魔法知識の座学には、ネージュも特別講師として参加してくれた。自主的に大向井へ提案してのことだという。これも信用信頼のため、ということだろうか。レオーネに関してはふてくされた顔になって「部活ー、あるからー。護衛は一匹でいいっしょ」とのことで退室していった。

 ネージュはレオーネが出ていくまで目で追っていたが、目で追えなくなると、すぐに講師の顔に戻っていた。逆に怖いね、


「あなた様は、魔法の素養のみに関しては、ここに転移転生している誰よりも芳醇です。あとは、それをあなたの肉体が、より深く認識することが可能になれば、おおよそたいていの初級中級魔法は網羅可能でしょう。少なくともかつて勇者がやれていたことはすべて」

「勇者ってやっぱやばい奴なんだ。なんでもできる系?」

「魔法の種類、多様性でいうなら、先生の方が専門家としての領域です。勇者が勇者という古の称号を得てしまった所以は、その多彩かつチートなパッシブスキルにあります」

「ぱっしぶ」

「常時発動している能力、と考えてください。例えば、あなた様は、これを砕くことが可能でしょうか」

 ネージュはそういうと、黒板をなでた。それ?

「まあ鍛えれば、できるかも。5年ぐらいかけて」

「勇者はこういう物質を割る、というパッシブスキルを保有しておりました。なので特にトレーニングを積む必要はなく、肉体に負荷をかけることなく、割りたいときにこの黒板を破砕できます。このようなチートなパッシブスキルを、勇者は十数保有していたとされます。詳細は不明です。知られることがリスクになるからです。ただ物を簡単に破壊できるスキルがある、などの知られることで脅威になる、余計な被害から身を守ることにもなります。ゆえに彼は、人から恐れられ畏敬され敬られ、勇者と呼ぶ以外にない立ち位置までいってしまった」

「すげぇ」

「勇者の精神を宿すあなた様は、こういった勇者のチートスキルを使える素養がある、と考えてもらって結構です」

「俺、あぶない?」

「危ないです。仮に勇者が半径数百メートルの大地を割る、というパッシブスキルを保有していたら。それはもう災害ですね。そして勇者であるならそういったスキルを保有していても驚かれない」

「よくこんな奴を消滅させる作戦はじめたね」

「使命です。できるできないではない。できるようにやるのみです」

 と、これまで黙っていた大向井。

「先生。でもこんなチート野郎が目覚めたら終わりでしょ」

「ですから完全に目覚める前にけりをつけます。戦うことはしません。勇者も当然これを理解しています。なにかしらの抵抗はあります。ただ勇者とはいえ、転生術の制約、縛りについては破れないようです。なので期限がある以上、なんとかします」


 額に脂汗が滲んでいることにも気にならなくなった頃、大向井がようやく時計を見上げた。

「今日はこのあたりで。明日は宿泊研修ですから」

「覚えていたんですね、先生」

 時刻はすでに7時を回っている。当たり前のように太陽様が一日の労働を終えられて、お月様が顔を覗かせている時刻。ネージュも当然のようにそそくさと黙ってニコニコしながら退室済だった。

 だというのに、明日は朝から電車移動で一日以上の日程だ。勇者関連で忙しいから、そういう行事はなんらかの理由付けてキャンセルすると、少しだけ淡い想像をしていた。


「? 私は教師です。学校行事の日程は半年先までなら暗記しています」

「覚えているのにこの時間まで放課後講習なんすね」

「? まだ体力に余裕ありますよね? ご飯お風呂を済ませて、20時までに就寝すれば8時間以上の睡眠も可能です」

「人生に余暇って必要ないっすかね?」

「? 必要でしょう」

 こいつと話していると、普通にイラっとくるな。考え方のベクトルが違いすぎてほんと困る。昭和中期生まれと平成中期生まれぐらいの差があるわ。

「生死をかけた決戦まで半年を切っております。やるべきことをやるべき瞬間にやりきましょう。それでですが、明日は宿泊研修ですので講義はなし。自主的に魔法詠唱を行ってください。きちんと毎日続けていれば、体長変化などがあっても、必ず成果に変化はあります。チェックしますから、サボらないようにお願いします」

 バタっ、と倒れ込みたい衝動を押さえつけて、俺は薄笑いで「はい」と返事を返した。生きるって、やっぱ大変だわ。

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