9話 これまでと。これからと。これから先と

「見事な魔法展開でした。15年ぶりでしたから不安でしたが、大丈夫そうですね」


 毎朝のように聞きなれた大人の声がした。

 クソ真面目を体現した恰好の教師。

 担任の大向井だった。

 慌ててしまう心と、逃げ出しそうになる身体に混乱する。訳知り顔の言葉に、理解が追いつかない。

 口をパクパクさせて、どぎまぎするしかなかった。

 レオーネはケラケラしていた。倒れた姿勢のまま、少し表情も柔らかい。

「びびるな。先生も事情を知っている側だから。私なんか足元の爪先にも及ばない、文字通り稀代の魔術師」

「ガチ?」

 大向井は特に表情の変化もなく、頷く。

「ガチです。細かい説明は後日、嫌ってほど、します。今は心身の状態の確認を優先したいのですが、よろしいでしょうか?」

「よろしいです、はい」

「結構。言葉遣いから察して、混乱しているようですね。でも善きです。そういう体験も必要な年代です。レオーネ。お疲れ様。見事でしたよ」

「あたしにとっては、昨日今日の感覚だから。できて当たり前」

 レオーネの顔が気持ち高揚しているようにみえた。うんうん。色々あるのだろう。目をそらしておく。触れないでおこう。痛っ。なぜかなんか投げつけられた。なぜだっ!?

「でしたね。加々見君も無事のようで」

「はあ」

「ちなみに校内の警報などはすべて私の方による措置にて、一時的に不能になっているだけです。今後このような校内侵入は控えてください」

「え」

「ちなみに堂上君らは、救助済です」

「マジぃ?」

「仮に、君らが堂上君らを見捨てても、私がきちんと救出する算段です」

「こうなるってことわかっていて、放置したんでしょ」

 レオーネの言葉に、大向井が真顔のまま頷いた。

 おいおい。想像よりも駄目っぽい大人が目の前にいるぞ?

「実地訓練のような形になったこと、謝罪します。しかし私らには時間がない。レオーネの覚醒と、加々見君らの校内侵入の日程が重なっていたようなので、流用させていただきました」

「訓練? あのバケモノは何? 偽物?」

「本物です。本物であり、異世界から、君の魂を喰らうために受肉してきた人類の敵です」

 状況を把握する。少し考える。答えが出てきたけど、あまり口にしたくない。

「つまり、本物のバケモノが来るのはわかっていたけど、それを利用する形で命がけの訓練をさせたってこと?」

「そういってんだよ、さっきからこのクソ中年は」

「あなた方の訓練であり、生きていくための教育でもあります。かといって、力なき人々を見捨ててしまうほど、私は非人道的にはなれない性分です。言葉だけでは信じられないかもしれない。でも信じてほしい。私は常に君らの動向を把握しています。安心してください。危険な目には遭いますが、必ず守護ります」

 なかなか言えない台詞だ。男前である。レオーネはニヤニヤしている。

「未成年の学生に言っていい台詞それ? 通報ものだよ?」

「なるほど。15年経過しても、この世界で生きることは難しい」


 まとものような雰囲気だけ出しているくせに、性根の部分がきっちり振り切っているようだった。

 ほんといつからこんな危うい世界になったんだよ、と笑っていると、大向井が目の前に座りこんできた。くたびれたスーツが汚れることは気にならないようだ。少し見直す。

 俺と視線が合う。

「加々見君。まず、あなたに提案をします。私たちの目的は、君の内側に眠る勇者の完全抹消。具体的にいうと、君の肉体ごと、完全消滅させる作戦を現在進行中です。おおよそ1年以内に、その行為を完遂します。君には勇者の檻として、最後まで共に戦う同志として、協力を願います」

「肉体ごと? 俺、死ぬってこと?」

「はい。今のあなたの肉体は死にます、消滅させます。その前提の上で提案です」

「提案?」

「勇者の魂と共に、身体ごと消滅するか。異世界転生して悠々自適な一生を終えるか。選んでください」



 本日はご帰宅の流れとなった。

 明日以降、きちんと説明解説今後の方針などなどを、詰め詰めにしていくそうだ。


 隣にはレオーネがいる。

 自宅の玄関前まで着いてきてくれるそうだ。護衛である。

 すでに深夜帯を過ぎているので、送り狼するのは俺の役目であるべきと思ったが、大向井に一蹴された。


「君がいっぱしの戦力になった後なら、そういうこともお任せします。いつまでも子供ではないでしょうから。しかし現状ではあなたは、ご自身が守られる存在であることを、深く自覚してください。同級生の女子に守られなくても私が安心できる程度の戦力になってから、ご意見は拝聴します」


 ぐうの音もでない。

 またあんなスライムもどきが出てきたら、悲鳴をあげて逃げるしかない。

 背中をバンバン叩かれる。無論レオーネだ。普通に痛い。この女子、力のパラメータが少し壊れていると思う。

 やたら明るい顔をしていた。意気消沈しているのを見抜かれているようだ。俺はそういうお気持ちが顔に出やすいのかもしれない。

「てめぇは無力な男子高校生様なんだよ? でもこれから先もそれじゃあすぐに死ぬからな。自分の身ぐらい守れる術を学べよ」

「レオーネが教えてくれるの?」

「なんであたしなんだよっ! それこそ先生の領域だろうが」

「放課後とかに時間とる感じ?」

「わかってねえな。アイツはやるべきときは、徹底的に加減なしでヤるからな。当たり前のように自宅に帰れている今の状況に感謝する日がくるぞ? たぶん明日とかに」

 保険をかけていたとはいえ、生死を賭けた実戦へ、素人数名と、15年ぶりに実戦復帰するレオーネをぶち込むような輩だった。普通に女子と並んで帰宅しているこの状況は、もしかして新手の罠だろうか。

「もしかしてこれからまだ何かあるん? レオーネに決闘を申し込まれる的な?」

「バカ。オンオフの切り替えはきっちり機能しているから。今は休めってことだよ。明日は地獄だから」

 なるほど、と思った。

 少しホッとするべき状況のようだ。少しホッとしてみる。

 軽く夜空を見上げて首を伸ばしてストレッチ。

 幾万の星空。都心部から離れれば、ここらは当たり前のように田舎風景で、郊外な情景が広がっている。

 街灯に蛾が止まっている。明るめのオレンジ点灯が道路脇に続いている。少し不安になる。暖色系なのに落ち着かない。

 片側一車線の道路へ、出た。白線の上から落ちないように歩く。


「危ないから。戻りなさい?」

 母性をにじませる口調のレオーネ。どことなく賀川さん身を感じた。

 俺は白線の上から動かない。

 レオーネも足を止めた。

「訊いていい?」

 レオーネが腕を組んだ。無駄に格好いいな。

「いよ。知っていて、答えられることは極力答えるよ。なに?」

「賀川さんは、もういないんだよね? レオーネの中にも」

「賀川はお前よりも数か月前から定期的にあたしと接触している。おおよそ生誕日の数か月前から半年の間に、転生者の意識が表出されるとされる。これは個人差が大きいとも。賀川は覚悟をとっくに決めていた。たまたまお前に誘われたのが、その日だったということさ」

「誕生日、知らなかったよ」

「それはリサーチ不足だな。詰めが甘い」

「あえてそこまで踏み込んでなかった説を推したいね。俺、友達100人目指していたから。でも気付かなかったな。友達の中では、賀川さんはかなり仲の良い女子だと勝手に確信していたから」

 そんな重たい決断をしていたなんて、気付かなかった。


 この世界からいなくなるための決断をしていたなんて。

 ショックではあった。


 世界に、陽か陰しかないなら、俺は比較的前者寄りの人生だったし、そういう自分として同世代の男女問わず接し続けていた。

 そんな俺が気付けなかった。

 察することすらできなかった。

 ショックだ。


 レオーネが歩道と道路の間の縁石に座り込む。少し足の間が開き気味。

「賀川はそういう奴だろ? 余計な匂わせして、周囲に気付かせるようなへまはしない」

 無骨な暴力系女子だと思ったが、案じてくれているようだ。人を思いやることのできる強さは、俺も欲しい。

「だね。確かに」

「わぁかれば、いいんだよ」

「ごめん確認なんだけどさ。賀川さんは選んだんだよね? 異世界転生することを?」

 本当は、別のことを訊きたかった。

 賀川さんが別世界で生きることを選択しないで、自己消失していないよね? と訊きたかった。

「個人情報。ついでに守秘義務」

「だよねごめん」

「だが、お前だけには伝えてもよい、といわれている。賀川本人から」

 レオーネがニヤついていた。

「なんで? 賀川さんって、やっぱ、俺のこと好き?」

「うぬぼれるな間抜け。お前の存在がすべての事態の原因であることは伝えている。それ込みで伝えてもよい、ってことだろ」

「おれの個人情報は、フリー素材なん?」

「お前にはすでにプライベートもパーソナルなスペースも実質存在しない。賀川から、お前が自分の選択を知りたがったときは、そのときだけは、伝えてもらって構わないっていわれているだけ。で、どうする?」

 俺はその場から動くことをせず、考える。


 賀川さんのことを考える。


 賀川さんは、多分転生したんだろうと思う。

 もうこの世界で生きていくことはできない、として。やり方とか一般常識とか、そういうところは全部脇においたうえで。

 異世界転生して別世界で別の人生を歩むか。レオーネに体を奪われ自己消失するか、の二択しかなかったとして。

 賀川さんが選ぶ選択は。


 普通に考えて、俺の知る賀川さんなら、当たり前のように異世界転生して、別世界で悠々自適に生きている。

 9分9厘は、そうだと確信している。


 でも。

 でももし。賀川さんが。

 この世界から消失することを選んでいたら。

 生きていかなくてもよい、とされたときに。

 じゃあ、このまま世界から消えることを選んでいたら。

 それを知ってしまったら。

 俺は。

 なぜか涙が滲んでくる。瞼をグっと閉じて耐えてひっこめる。男の子だからなっ。長男だしなっ!!


 首を振る。強く、とても強く。滲んできた何かを振り払うように。

「いや、いいや。答えを聞いたら、決めちゃいそう。未来を」

「おいおいおい。お前迷ってんのかよ。生きていくか、死ぬか、の二択しかねぇんだぞっ!?」

「うん」

 レオーネが立ち上がる。顔がほてっている。瞳は激怒していた。

「うんじゃねえ。どのみちお前の肉体は絶対に死ぬ。消滅させる。それが目的だ。勇者ってクソに、お前の血肉は完全に浸食されているし、寄生されてんだよ。それはどうしょうもない。でもお前はお前として15年生きていたんだろ! 真っ当によっ! このまま勇者と一緒に消失するか、異世界いって楽しいだけしかない毎日送るかしかねえよっ! 悩むところなんてねえだろっ」

 15年の人生で終わりになるか。

 異世界転生なんてして楽しく生き続けるか。


 選べと突き付けられた。

 分かっている。感じている。察してしまう。


 この世界で今の俺のまま、生きていくことが難しいことはもう確定事項なのだろう。

 レオーネの見せてくれた氷結の魔法や、堂上らを吹き飛ばした巨大なスライムもどき。あんなのがうじゃうじゃいて、それの力を集結させて何かしないといけないぐらいヤバい勇者って奴が、俺の中にいるらしい。


 抵抗できる気がしない。

 俺がなにか過ちを犯したわけではない。多分。

 ただ運が悪くて、ただめぐり合わせゆえ、俺の心に勇者が住み着いている。

 だったら生きるべきなのだ。

 どんな世界に送り込まれるかわからないけど、それでも生きていけるのだから、それを選ぶことが普通の倫理観だ。


 でも。

 でも、と歩みを止めてしまう俺がいた。

 こうしてそんな事実を突きつけられて。


 異世界なんてところで生き続けるべきか。

 勇者と一緒に肉体事存在消失されるべきか。


 正直悩んでいた。

 決めかねていた。


 勇者消滅作戦決行日は、俺の誕生日前日に設定されているそうだ。

 まだ半年以上先だ。

 雪が降り注ぐ直前の季節。気温がグッと低くなり、薄着では我慢できなくなる季節。


 その日がくるまでは悩んでもよい、といわれた。

 同時に魔物が受肉してくる可能性が常にあるため、必要最低限の自己防衛措置として戦闘訓練や、簡素な魔法習得プログラムを受けさせてもらえるそうだ。

 それは素直に承諾した。異世界に行ってからの予習としての目的というよりは、普通にそれは楽しそうだからやりたかった。興味関心のモチベーション。

 これから先の世界で生きていくためにやる、ことではない。


 俺は即答できなかったのだ。

 なぜなのか、俺は正直、判らない。


 誕生日直前に、この世界から消失するか。

 異世界転生してウハウハちーれむ生活を送るか。


 選べ、と突き付けられて。

 俺は選択できなかった。

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