8話 いつかあんたらと再会する、その日まで私は
3階校舎を目指して階段を駆け上がる。
適当な教室から拝借してもよかったが、勝手の知らない教室から目当ての物がどこにあるのか探す時間がもったいなかった。
自分らの教室なら、どこに何があり、どこに校則違反な物資が仕込んであるか、目をつぶってでも、だいたい察せる。
息を切らして階段を駆け上がりながら、なにしてんだろうな俺は、と思ってしまう自分もいた。
「我ながら、適応力、高すぎぃだなっ!」
意味不明なバケモノに襲われて。
同級生の女子にしかみえない誰かにしこたま殴られて。
勇者だかなんだかわかんない規格外の魂みたいな何かが俺の中で眠っていて。
本当に一体全体何が起こっているのか、まったくわかっていない。
大きな流れの中に巻き込まれてしまったことだけは、察した。
唾をのみ込みながら、教室へ飛び込む。
駆け足のまま自分の机の中から定規や筆記用具を引っ張りだし、机の間もダッシュ。
担任の教壇からカッターとガムテープを拝借すると、教壇の上で、俺は工作を開始した。
「急げ急げ急げよ俺、レオーネ案外持たないぞ絶対」
自分にはっぱをかけながら、手を動かし続ける。
異様な現象に巻き込まれている。
そのうえで何を信じるべきなのだろうか。
ガムテープを適当な長さに何枚も剥がして教卓に張り付ける。手早く素材を巻いていく。
偽りなく、現実となっていることもある。
ファンタジーな異常が起こりまくっているけど、確かな事実。
つい数分前まで元気だった友達が、意識を失って倒れている。
自分の意思で起き上がれず、出血もしている。
急いで病院へ連れていきたい。
そのためにはあのバケモノをなんとかしないといけない。
あれは俺を標的にしている。ヘイトを稼いでいる。あのまま放置なんてできやしない。
そんな無責任な判断したくない。
俺に何ができる、と自問する。
バケモノの目的は、俺だ。
俺には俺が認知できない何かがあるようだ。
父が亡くなったときの件。今回の嫌な気分になったこと。たびたび観てしまう夢。
俺には何か特殊なものがある。才能と呼ぶべきか、呪いと呼ぶべきか。
他にも判っていることもある。
今の俺は物理的に戦うことができない。
チート級の能力を持っていても、今この危機的状況下で発揮されないのなら、意味は無い。
俺は俺の今までの人生で学んだことを、今の俺ができることを全力でおこなう。
俺に、バケモノの肉を裂くことはできない。
剣を握っているのは、レオーネだ。
彼女ならできる。だからすべてのリソースを彼女へ捧げる。
恐怖に指が震えることはない。
いまやるべきことを、最速で、最善にこなす。それだけだ。
「おっけだな、これでいけるよな、いってくれよっ!」
工作を終わると、それを握りしめ、俺は扉を開けっぱなしの教室から駆け出した。
少しでも早くレオーネへ届けるために。
少しでも自分のできることをやるために。
・
レオーネは一定の疲弊を感じていたが、足を止めることはしなかった。
汗が止まらない。肩で息を吐く。太ももが重たい。
ゴールが分からず延々と走り続けることは、精神的な面での疲労感が段違いだった。
この娘の身体は多少運動に適したそれだけど、それでも常人の15歳レベル。ジョギングしているに過ぎないとはいえ、一生動き回るにはまるで足りない身体だ。
10メートル間隔に、受肉した魔物がせまっている。
「早くこいよクソ野郎」
レオーネの心は一切疲弊していなかった。
厳密にいえば、疲弊しながらも身体を延々と動かすことを訓練されていた。
多少の肉体的限界を迎えた程度では耐えられるように矯正済だった。
討伐隊の数か月短期訓練でも、心身共に地獄を超えるような体験は何百回もあった。この程度の肉体的な疲弊では、疲労していると認識しながらも、レオーネの動作が鈍ることはない。
レオーネの心は安定していた。
レオーネへ身体の自由意思を譲渡したばかりの賀川の肉体は別だった。
賀川の肉体は当に限界を迎えてたが、レオーネがそれを認識したのは、賀川の膝が急にガクっと崩れ、もつれるように足を絡ませ、倒れた直後のことだった。
「クソがっ!! か弱すぎるだろ、この身体はっ」
太ももが震えていた。痙攣している。自分の意思で止めることができない。
起き上がろうという意思に反して、起き上がることができない。
スライムのにじり寄りは止まらない。
今のレオーネの、賀川の身体は、魔力を常時発揮している肉体だ。
さきほどの男子生徒らとは、身体の状態が違う。
取り込まれたあとは、窒息させられ、血肉ごと魔力を絞られ喰われる。
スライムがじりじり迫ってくる。
レオーネは歯噛みする。
こんなところで詰み? こんなつまらない終わりなのか。
拳を固めて太ももを殴る。一発一発で青痣が残るぐらいの威力で殴るが、足は痙攣が止まらない。
「動け動け動け動けっ」
終わりかもしれない。
それでもあきらめることはしない。
一度は終わった人生だ。
勇者なんてクソが好き勝手やったことで、生贄にされた。
勇者と年齢が近く、少し言動が生意気だったことが原因で、あっさり両親に見切られた。
王国への貢献と、長女を生贄に出すことを天秤にかけられ。あっさり勇者討伐隊なんていう地獄へ落とされた。
終わったはずだった。人生なんてたやすく。
でも討伐隊にいた唯一の大人は、終わらせることを否定した。
君たちの人生を15年以上お借りする。
ただ絶望しないでください。
必ず君らは故郷へ帰します。
そのために、ここで力を学んでください。
心身ともに。
強くなってください。
それだけが。君らを救います。
最初に12人集まったとき、先生は、そう宣言した。
泣きながら。
大の男が1人で静かに泣きながら。感傷を全開にして。
そう言ってくれた。
醒めた眼で見ていたと思う。
たぶん自分以外の11人も、同じような質の瞳で、そんな大人に視線をくれていた。
しらじらしい。
嘘くさい。
馬鹿らしい。
どうでもいい。
そんな感情だったと思う。
それでもそんな想いを抱いた自分らと、先生は全力で向き合ってくれた。
多少の衝突や事故や、やってはいけない出来事も少なくない回数あったけど。
それでも最後の転生をする日には。
レオーネは泣いていた。
先生の顔を見ながら、静かに声をあげずに。
それから帰ろう、と誓った。
11人の仲間(友達)も、泣いていた。
だから。
だからこんなところで。
死にたくはないっ!
先生の言葉を思い出していくにつれ、足の震えは収まっていく。
もう少しなんだよ、まだ始まったばかりなんだよ、今は自分しかいない。
あいつらが来るのはまだ先で。
だからっ。
動けっ。
もう目と鼻の先まで、スライムは迫っていた。トイレの水から受肉しているせいか、アンモニア臭が鼻をつく。
それでもレオーネは叩くことをやめない。絶対にあきらめないっ。
走馬灯観ている場合じゃないんだよっ。
15年消費したうえでやらないといけないことがあるんだよっ。
あるんだっ!
「レオーネっ」
スライムの意識がレオーネから、声のする方へ向く。
魔力だしっぱレオーネよりも、勇者の匂いは、加々見の声のほうへ、より意識を向く。
「おっせぇ」
故郷へ帰るための、最終的な消滅目標を宿したあいつが、窮地を脱するためのそれを握っているのをみて。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
感情が滲む。淡く脆い感情が噴き出そうになる。
でも駄目なんだ。
レオーネは胸のあたりに感じる感情から目をそらす。
自分だけじゃない。
理不尽に人生を消費させられた、仲間のため。友のため。同志のため。
勇者の肉体の宿主が、どんなに勇敢で、どんなに誠実で、どんなに頼りになったとしても。
やるべきことをやるのだ。
「イメージできれば、いいんだなっ!!」
廊下を滑らせるようにして、レオーネの手元までやってきたそれは。
30センチ定規を軸に、ボールペンが何本もガムテープで張り付けられ鏃となった、まさに矢の代用品としてのイメージを、一瞬でレオーネの脳内に感じさせるものだった。
ガムテープで何重にも巻いている分だけ厚みがあり、握りやすい。製作者の性格が読み取れてしまうような、暖かみのある自作矢だった。
レオーネは素早く矢を射る姿勢になると、ありったけの魔力を自作矢の先端へ集中させる。
幸い、加々見の出現により、スライムの意識はそちらへ飛んでおり、侵攻が止まっていた。
「今度こそ、木っ端みじんに爆ぜろ(はぜろ)や」
レオーネの指先が拡がり、自作矢がスライムに突き刺さる。矢はそのまま力なく、スライムの体内にとどまり。
先端の鏃になっているいくつものシャープペンの先端に溜まった魔力が。
爆散する。
さきほどみたいな一部を氷結させて崩壊させることはなく。
一瞬で体積すべてを氷結させる。
地割れのようなひび割れが、矢の先端を中心にして、スライムの全身へ走り出す。
破裂音と共に、そこからスライムは崩壊していった。
軽い粉塵と共に、目の前まで迫っていた脅威の魔力は消え去っていった。
レオーネは射った直後に倒れ込んでいた。
正直、焦った。覚醒してきて、いきなり全部おじゃんになるのか、と。
でも助かった。
首を持ち上げることすら、おっくうになるほどの脱力に襲われる。文字通り心身ともに精魂果ててしまった。服を脱がされて襲われても抵抗できない程度の虚無感だ。
「生きている? レオーネ」
心配そうな顔をした勇者の受け皿が覗き込んでくる。
こいつのおかげだった。
レオーネは笑う。ほんと、いい奴だなお前は。
「安心しろ、加々見。お前を殺すまで死なねえから」
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