7話 イメージと受肉魔物と、信じてしまう話

 スライムもどきは、さきほどよりは明らかに速かったが、自重に引っ張られるように、のろのろすり足移動しているようだ。ジョギングペースで振り切ることができた。

 このペースならいつまでも逃げ続けることができそうだ。


 そんなホっとした感情が顔に出ていたのか、レオーネに側頭部を小突かれた。普通に痛かったが、男の子なので、涙は耐える。

「安心すんな。あいつは実質体力っていう概念がない。旨そうな魔力めがけて多少は身体が崩れても延々追ってくる」

「それって俺のこと?」

「お前の魔力内臓量は、異常値であり異質だ」

「そんなにヤバい系?」

「この世界では魔法魔力という概念が感知されないが、もしその能力の有用性が発見され実用化のめどが立ったならば、民間企業や某国政府に監禁状態にされたうえ、生涯実験動物として過ごすことになる」

「大げさでは?」

「絶対に、だ。まともな人格の人間に、非人道的な行為をためらなくさせてしまうだけの価値が、お前にはある」

「ちなみにそれってどうやってつかうの。呪文唱えればおk?」

「貴様がチートなのは、あくまで潜在的な能力の話だ。勇者のクソの魂があるんだからな。それを表に出すためには、肉体の内側にある魔力を認識し、感知し、発現させる、慎重かつ時間のかかる作業が必要になる。今の今すぐいきなりどういうできることではない」

「なーほーね…。ん? つまり今の俺って。なんか旨そうだからめちゃくちゃ狙われているけど、その旨そうな能力は一切使えない系?」

「無力な高校一年生ってことだな。おいでなさったぞ」

 目の前に、再び激しい水音が響きわたる。

 巨躯なるスライムが、再び俺らの進路を、廊下を埋め尽くす。

 俺らは振り返り、そのままゆるいペースで駆ける。

「先回りされた?」

「知能はないが、餌を求める生存本能や、お前を殺したい欲求はつよつよだ。狩りのための能力は、けっして低くない」

「ちなみあいつ、殴って蹴って、ではどうにもならないよね。矢もあんまし意味ないっぽかったし」

「物理的な攻撃では、ほとんどすべて体内にダメージが吸収されている。桁違いの質量をぶつければ話は別だが現実的ではない」

「桁違いって?」

「あいつの身体すべてを覆い尽くす巨体で潰す、とか。ビルを倒壊させて潰す、みたいな話だ」

「それ以外の方法にしましょう」

 階段を二段三段飛ばしで一気に降りていく。手すりを利用してペースを落とさない。

「燃やし尽くすなり、凍り漬けにして破砕が一般的な対処法」

「その一般的な対処法を実践しないで、逃げ回っているけど、もしかしてさっきの魔法でちゃっちゃとできないの?」

「残念ながら。今さっき説明した通り、魔法はきちんと手順を踏んだうえで、時間をかけて発現させる高等技能だ。有資格者以外制御はおろか、使用もできない」

「だからレオーネは、それのエキスパートなんだろ?」

「弓使いとしては、一応のマスターの称号まではある。時間をかければ一応誰でも取れる、資格みたいなもんだ。ただし魔法に関しては、学びはじめてから三か月未満だ」

「レオーネは意外とおバカさん? いや地頭が悪いって意味じゃなくて学校の勉強できない的な?」

「お前今からすぐに、人の頭をメスで裂いて脳味噌の圧迫解消できるか? プロスポーツ選手の代わりに試合に出てエースとしての活躍ができるか? 技術は道端に転がっているようなもんじゃない。どんなジャンルにも天才は存在するが、基本的に時間かけて学んで努力して習得して極めていくもんだ。魔法ってやつも、特殊技能であり学問だ。学ぶことはひらいているが、何も知らないそこらにいる誰もが気軽に使えるもんじゃない。独学独力で魔法を生み出し、発現させ、実際に現場で実行するのは、ただのプロで一流で希少だ」

「把握した。で、レオーネはなにができるの」

「三か月しか習得の時間がなかった。だからできることを集中した。できないことをやっている時間はなかった。矢の先端に、氷の因子を凝縮させ、当たった際に爆発的に拡散する能力一点を磨いた。一点集中のため、威力は見ての通り。ただその分、矢の先端という状況以外では、イメージができず、逆に魔法を発現させにくくなった」

「ガチぃっすか?」

「包丁に氷を付与しようとしても、ものの数秒で雲散してしまう。威力もちょっとひんやりさせるレベル。氷の爆散も期待できない」

「矢はもうないの?」

「当初は牽制だけして逃げる予定だったからな。仕込んでいた数本の矢はもう使い果たした」

「予備の矢はあるんだよね?」

「道場だな。長弓用だが、ないよりは100倍マシ」

「道場って、ちょっと遠くない?」

 校庭に出て、グラウンドを横断した校舎の敷地端だ。往復を考えただけで、相当な時間がかかる。

「それが問題だ。スライムも突破しないといけない。お前の友達のところへ行き来もかかる。なるはやで、この場で倒す以外、全員助かる道はない」

 レオーネの言葉を反芻する。自分ができることを考える。

 俺には魔法素養があるらしい。でも今はなにもできやしない。

 できることは、魔法ではない。

 この世界で学んできたことだけ。

 考える。


 俺に何ができる、何かできる。

 必要なもの。

 矢が必要。

 矢になりうるものがあればいい?

 どこにある。教室なら? それがあれば。


 できるだろうか。

 できる、と確信する。

 そうであるなら。

 また俺は俺に言い聞かす。奮い立て。

「矢があればいいんだな? お前が魔力を具現化できるだけのイメージ可能な矢が」

「そこらへんに転がっているもんじゃないぞ」

「答えろよ。長弓用の矢でもいいってことは、別にその短弓用の専用の矢がなくてはできない、というわけではないんだな? お前が矢とイメージできるものがあれば、いいんだな?」

「そんな都合よく矢をイメージできるもんが校内に転がっているなら、そうだと答える」

「一本だけ調達する。それ一撃で終わらせることは?」

「込められるだけの魔力を全ブッパすれば可能だ。リスクは高い。しばらく身動きとれなくなる。氷が発生の可否関係なく」

「それは、俺を信じろ」

「オトコマエだな」

「あと、あのスライムは、魔力に反応しているんだよな? ということは俺は今、魔力が垂れ流しってこと?」

「勇者様特有のどす黒いそれが垂れ流し。微々たるものだけど、特有の匂いがあるから、なおさら目立つ」

「魔力って概念は、今日本で発生しているのは、俺とレオーネだけってこと?」

「厳密にはいたるところにいるが、少なくとも魔物の範囲内でガバガバ魔力使っているのは、お前と私だよ」

「魔力自体に反応しているなら、一時的にレオーネがつよつよの魔力発揮して、スライムの意識をお前が引き受けることは可能だよな?」

「私がこの場で魔力を無駄に垂れ流せば、確かに一時的にスライムのヘイトはこっちにくる。でもそれをやっちゃうと、とどめの必殺の矢も含め、ほんとに取り返しがつかない。スライムを引き寄せるだけの魔力を使うとなると、余剰がなくなる。本当に完全なるアドリブの一発勝負になる」

「それでいこう」

 即答だった。

 レオーネの顔は少しだけ引きつっていた。

 それから諦めたように、笑う。ようやく少しだけ賀川さんのような顔になっていた。

「あんたは、ほんと、文字通り勇者だわ」

「褒められている?」

「クソがっ、て意味だよっ!」



 魔力を練り上げ、発現させる。

 なにをするわけでもなく、ひたすらに放出する。

 体中の筋肉に力を込めて、ひたすらに維持するイメージ。筋肉を維持するよりも疲弊感が段違いではある。

 そんなことをしながら、レオーネは苦笑する。


 あいつの言動なんて相手にしないはずだった。

 真っ当なことを口走っていたけど、面倒臭いから適当に納得した振りして、だらだら時間経過させるつもりだった。時間さえかければ先生辺りが駆けつけてきて、事態は収束される。


 なのにこうしてあいつのいう通り、行動している。

 当たり前のように命がけだ。

 不思議だった。

 あいつは、魂と精神に勇者が混ざり合っているだけで、本来的にただの男子高校生だ。

 日本という、なにかが遭ったとしても相対的にみればまぎれもなく、平穏な世界で15年間生きてきただけの男子生徒。

 年齢は一緒の年代だが、それだけだ。

 自分とは違う。他の討伐隊とも違う。


 なのにあいつの言葉に、こんなにも素直に従っている。

 不思議だった。

 言霊として、干渉されているのだろうか。

 あいつも、自分らとはまた違った、人に訴えかけるだけの何かあるのだろうか。背負っているのだろうか。

 15年で人生強制終了かもしれない烙印をおされた自分らと、あの男が同一の立場なのだろうか。


 レオーネの魔力活性により、スライムが形をなしてきている。

 さきほどまでのどう猛さはない。目当ての勇者の魔力ではない、と分かっているのだろう。

 だとしても、旨そうな飯が路上に捨てられているのだ。日本人なら引っかからない。悪質な悪戯であると察する。

 魔物は引っかかるのだ。それだけが目的に生成された、創造生物だからだ。

 製作者である魔王の死後も魔王に囚われ、こんな異世界の果てまで、肉体捨ててまできてしまう、悲しき獣だ。

 とはいえ、人間の血肉に交じり合う魔力を主食とするこいつら魔物は、まぎれもなく人類の敵だ。

 加減も優しさも必要にない。

 憐憫を覚えるだけだ。

 ゆえにためらうこともない。


 スライムの体積が天井まで達し、レオーネを認識するようににじり寄ってくる。

 レオーネが呼応するように魔力をさらに解放すると、スライムは一気に速度をあげて突っ込んできた。

 レオーネはスライムに背中を向けて駆け出した。

 できることは、ただ、信じること。

 手になじむ短弓が頼もしい。


 あとは矢さえあれば、矢と認識できる何かがあれば。


 信じているからなクソ野郎。

 レオーネは最後の一撃分だけの余力を維持しながら、廊下を全力で疾走した。

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