4話 非日常よ、こんにちは
3階の教室を目指しながら、俺は時々身震いしていた。賀川さんに気付かれないような微弱な震えではあった。
でも確かに震えていた。
普段はあまり感じない、メンタル寄りな何かが、身体を震わせている。
寒気、恐怖なのだろうか。校内侵入行為に、良心が反応しているのだろうか。
実際震えてはいるが、震えるようなウブなメンタルではないと思っている。
こういうたぐいのことをするのは初めてではない。
人に迷惑をかけるようなことは皆無に近いが、自慢話のようにTwitterにあげたら普通に炎上特定されるようなことも、ままやらかしている。わざわざ人に風潮するような話ではないが、やっていないわけではない。
今までそういう場面で、俺が震えることや、悪寒を感じることなんて、一切なかった。
独りのときもあれば、今日のように親友がいるときもあるし、女子勢が数人以上いるときだってあった。
それらのときに、俺が震えることや、恐怖というべき反応を体が起こすことは、一切なかった。
初めてのときから、何十回と試行回数をこなしていってもだ。
なので俺は、俺にはある種の度胸が桁違いに備わっているんだ、そういう才能があるものだと確信していた。
なのにそんな俺が、今日はやけに、心がざわつく。
事前情報もきっちり集めて、ある程度の保険を作っての、ほぼ安パイな校内侵入をしているだけなのに。
なぜなんだ。何かあるのか。
何か、と想像すると、思い当たることもある。
幼少期にこれと似た感覚を味わったことがあるような気がするのだ。
父関連のことなので普通にトラウマ感がある。あまり想像はしないことにする。
堂上が先頭でさくさく階段を登っていく、男二人で盛り上がりながらスズモトとヨシダが後に続く。
俺と賀川さんが殿だ。先頭よりも最後尾の方が重要であるのが進軍の鉄則である。
「もしかしてだけど」
なるべく恐怖を波及させないように、小声になっていた。
「なにさ」
俺の声量に応じて、賀川さんも小さめな声になっていた。
「なんかいる?」
「飲み物買ったじゃん」
「何か欲しいものある、じゃなくてさ。何か居るような」
「見回り?」
「それ以外の何か、とかかも」
「冗談でもやめて」
さきほどから延々握られていたシャツの裾が、さらにギュっと握られる。
「ごめん。冗談だから」
いつもはおかんでアイドルでエースな賀川さんでも、深夜の校内は怖いようだ。シャツではなく手を握ってもらってもよいレベルになっている。まあ前に堂上他数名がいるのでまあこれで良し。
少しだけテンション押さえた堂上に先導される形で、通いなれたはずの教室へ到着。
浅く息を吐く。とりあえず何も起こっていない。ただの心配性の杞憂民で終わることを、心から願う。
教室が、本日の拠点予定である。
視界が暗いので少しでも親しみ深いどころにいたいと思うのは、人情であろう。
堂上はいまだに、無垢な少年のようにはしゃいでいる。「こえーっ」等。さらには堂上が最近気になっているとされる女子の席に座って1人でそわそわしている。小学生高学年かな?
スズモトやヨシダ、賀川さんにしても、ようやく深夜の高校という状況に慣れてきたのか、声を押さえながらも、少しテンション高くなっていた。いうても皆、俺を含めて未成年である。こういう悪いことを共有していることに快楽に近い何かを見出してしまうことは、致し方ない。
俺はそんな空気に合わせて小さく笑い声をあげながらも、心に滞留する嫌な雰囲気が消えていなかった。
しかしここで今すぐ帰りたいと主張することは、恐怖に屈してしまって帰りたいという意味になってしまう。親しい友達や、賀川さんが真横でいまだにシャツの裾を握っているこの状況で、そんな言葉を吐けるような勇気はなかった。
これからどうするよ会議をしようと思ったが、堂上が挙手していた。
「かがみん、俺トイレいくわ」
ある意味、空気読めている。ぐっじょぶ。
「交代で行くか」とヨシダ。
「え? 皆でいけばいいじゃん、怖いし」と賀川さん。
「いやいやいや、一応これ肝試しっていう体だからね、皆忘れているけどっ。そこは一人でいきましょうか!」と、スズモト。
「もう漏れるから、俺からいくねー」
純粋かつ素直な心を持っている堂上が、俺らの返事も聞かずにさっさとわくわくしながら一人で教室を出ていった。
「堂上君には、もう少しだけでいいから、落ち着きを学ばせれば」
気持ち震えている賀川さんからも軽口が出るぐらいは落ち着いたようだ。スズモトらが同意する。
俺も応じる。
「堂上はマスコットだからアレでいいじゃない?」
「酷い言い方」
「いや、愛着と敬意込めてのマスコットキャ呼びだから」
「なおさらじゃなの。それ堂上君に言ったら怒るでしょ普通」
「いやガチで喜ぶからやめておこう。舞浜のアレみたいじゃんって、さらにウザくなる。ヤァハロォって毎日言ってくるぞ?」
「納得してしまうね」
緊張しがちな雰囲気も、似ていないモノマネなどで緩んでいく。
とてもではないけど、なんだか不安な雰囲気がするなんて言い出せない空気だった。杞憂民で終わってくれ、と願った。
・
「漏れる漏れる」
堂上が子供のような言葉を発しながら、男子トイレへ駆け込んだ。
走りながら、下の社会の窓は開けていた。堂上は普段から、男子高校生になったあとでもこういうところが多々あった。親友勢に指摘されることはあったが、直ることはなかった。直す気がなかったのだ。
小走りで小便器の前に立ち、用を足す。
「ふぅー、あぶあぶ。でもたのしー」
小便器の前で、堂上はすっきりしながらも、楽し気だった。
そんな男子トイレの個室から破裂音。爆発的な水音。
「え」
大量の水音。びちゃびちゃ、と軽い音ではない。窓ガラスをぶち破って水が大量に流れてきたかのような、強烈な水音が響く。
堂上は小便器の前から動けなかった。
異常な事態の前に、堂上の身体は硬直していた。
異様が続く。
個室トイレの方から擦り寄る音がする。堂上の真後ろを、びちゃびちゃ。ずりずり。擦り寄る音と水音が重なる。
堂上の額に、汗が一瞬で、ブワっと浮かんでいく。異様に対して彼の心身が反応していた。
堂上自身はその場に突っ立たまま動けない。堂上の鼻がぴくぴくと震える。
「は」
異臭。強いアンモニア臭。堂上は震えた。素直に震えた。
小便器の前に立ち尽くしながら、堂上は首だけで振り返った。
はちきらんばかりの悲鳴が、あがった。
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