2話 15年ぶりの再会あるいは数日後の再会

 加々見は、自室のベッドから上半身のみ、すっーと起き上がる。

 瞼を閉じて開いてを繰り返す。両手をグーパーを繰り返す。唇がニヤっと笑い、犬歯が覗く。


 壁にかかった100均の円時計の長針は1時の辺りを指している。加々見は部屋の二重窓を全開にする。突風が鳴った。遠くの枝木がバッサバサと暴れまわっている。遠くの夜空では雲がやんわり流れている。半月は見え隠れを繰り返していたが、今は隠れてしまっている。

 加々見の部屋は、地上4階にあった。

 加々見は全開に開けた窓のふちに、足裏をのせる。1秒後、加々見は窓から飛び降りた。


 同時に風魔法の加護が加々見をまとう。中空を、ゆるかな滑り台でも滑るように、加々見は団地の敷地内へ降り立った。

 加々見は何事もなかったかのように、素肌の上に学校指定の紅いジャージを羽織った裸足のまま、遊具の少ない公園広場を抜け、片側一車線の住宅街の道路を歩き始めた。

 道路のど真ん中を歩きながら、加々見のニヤニヤは止まらない。


「なんて平和に、命がうごめている。魔力の残滓もない。やりたい放題ではないか。素晴らしき世界だ。ん?」


 味わうように、確かめるように、じっくりとあてもなく歩いていた加々見の足が止まった。

 街灯の下に、成人男性が立っていた。仁王立ちしている。道をふさぐように立ちふさがっていた。


「お久しぶりだ」


 私立平岸東高校教員、大向井清が、立っていた。

 今朝の出勤時と変わらぬ安いスラックスに、安いジャケット姿。少し皺が目立っている。少し髪の毛に油っけが目立っている。ネクタイもゆるくではあるが首に巻いたままだった。

 眠たげな表情だ。

 瞳には、固い意志が、宿っていた。とれなくなった瞼下のクマがより一層暗くなる。

 加々見は戯れのように笑う。

「なんだ人間。気分がいいから瞬殺で許してやる」

「魔力が相変わらず過激で激烈だ。熟睡している時間帯だったが、一瞬で目覚めた。晩酌しながら寝落ちだったんだ、こんな恰好をゆるせ。朝シャン派なのだ。あとやっぱ垂れ流しにしすぎだ、魔力を」


 加々見はプっと噴き出した。滑稽さを押し殺せず、破顔する。


「トラジディン? だな? おそらくお前だな?! どうしてこんな世界にいる。しかもお前」

「お察しの通りだ」

「ずいぶんとおじさんになってしまったな。ずいぶん疲れた顔もしている。声を聞いてようやく気付いた。魔力をきちんと押さえきっている。でも顔には、面影が確かにある。お前、転移したな。転生ではなく」

「お察しの通り、といっている」

「無駄な会話を嫌うのもまさにお前だな。では、15年前から、この世界へ来ているのか? ほんとお疲れ様だな。本当にお笑いだ。狂っているしマゾヒストだ」

 加々見は足を止めていた。大向井との距離は10メートルほど。

 それ以上近づくと、かつての大向井が使用しており、代名詞となっていた極大魔法の有効射程内だった。

 大向井がそれを察するように首を振る。

「ここは私にとってもはや『故郷』。いきなり風景を壊すような攻撃はしない」

「素直に人のいうことを信じない方がいいと思うぞ?」

「同感だ。だが、そもそも転生体の内側で眠っているお前を、転生体ごと、抹消可能かどうかで意見が割れている」

「強大過ぎる敵に対してぐらい、意見を統一させて挑むべきでは?」

「お前は規格外すぎる。常識に当て込んで意見する者、常識を取っ払って臨機応変を対応する者、様々な意見は出るのは必然だ。仮にお前をこの場で殺害した場合、滞留している魔力が暴走拡散され、さらなる混沌を生む可能性もある、とされている。たとえば日本全土に飛び散った魔力を求めて、この国が魔物の巣窟になる、などのケースが想定される」

「妥当な結論だ」

「日本なんて別世界気にするなという一派が多数派だったが、国王の独断の末、精鋭12人と私による合同極大魔法で、瞬間完全消滅させる案を、15年前から現在進行中だ。国王と私は、お前を、きちんと完全抹消させることを望んでいる。妥協はしない」

「12人? 貴様と同様に転移済か」

「12人は転生だ。お前が行ったのと、同じ方法で、日本へ送った。きちんと12人は帰れるということだ。仕事が終わればな」

 加々見はまた大笑いだった。

「暴走した魔物が闊歩する世界では、貴重な人材ではないのか? 12人の先ある若者を、こんなボケカスのために生贄へ捧げたのか。相変わらず無意味なところで狂っているな。どうせそれもあのプライド高いこと以外なんのとりえもない二代目国王様の指示だろう。素直に従うこともあるまいて」

「決断力はある王だ。そこまでなじることはない。そしてお前を討伐する組織ができることを、お前が想像できないわけがない。お前が間接的に誘導したともいえる。この場では、やらん。ただ」


 大向井の瞳は、自然と、徐々に血走っていた。


「私も気持ちとしては、殴りたい。今すぐ殺したい。お前が逃げ出してから確認できただけで数百人以上亡くなっている。それ以上の人数が行方知らずになっている。死体すら残っていない。でも今は、殴らない。君はまだ私の生徒だからだ」

 加々見は何かに気付いたように、また笑う。下衆な笑みになっている。

「とことん変態だ。転生者、全員同じ学び場に集めているんだな? 狂人め。それこそお前の判断だろう」

「お前の所在を特定してから、日本各地に転生していった12人を、集めることは確かにかなりの重労働だった。魅了の魔法もむやみに連発しすぎて、無駄に魔物が受肉してきて世界を荒らしたよ。しかしこうしてお前が覚醒した場所へ、戦力12人と私がいる。教員という立場の方が自然に、15歳の少年少女のもとにいることが可能だった。それだけだ」

「ここに送り込んできたあいつらは狂っているが、それを実行できてしまうお前も、十分狂っているよ」

「ブラック企業は問題だが、ブラック企業に応えてしまえる人材もまた、ということか。同感だ」

 加々見は終始楽し気だった。

「昔話するために来てくれたのか。? 懐かしいな、俺にとってはちょっと長い夢でも観ていたような感覚に過ぎないが」

「目覚めたようなので、忠告と解説にきた。お前を今すぐ消滅させることはしない。なにを企んでこの転生したのか、そこまでは察せていない。覚醒した数千の魔物相手がダルいから逃げ出した、というのが有識者の意見だ。又は、ろくでもないことを企んでいるというのが、私と国王の共通見解。なにをやらかすにしろ、なにもしないにしろ、お前は常に監視されている、それを忘れるな、ということだ」

 加々見は楽し気に笑っているだけだった。そして首を振る。

「俺はいいんだよ。それよりだ。こいつだ、こいつ」加々見が人差し指で、自分の顔を指さす。「襲われるぞ。受肉してきた魔物に。俺の意識が復活したんだ。鼻のいいやつなら、すぐに食いつく」

「それも転移前の王宮魔術師からの見解だが、お前がこちらに転生し目覚めた瞬間から、向こうでは魔物の脅威が薄れるだろう、とされている。勘のよい、腹を好かせた魔物の多くは、より本能的に魔王を殺した人間の匂いを理解している。大陸での肉体を必然的に捨て、魂と精神だけで、こちらの世界に受肉してくるだろう、という推測がなっている。12人の未来ある若者を最低15年は転生させるんだ。大陸の魔物に関しての絡め手もなければ、納得されん」

「襲われることはわかっているから気にするな、ということだな」

「対応策はすでに打ってあるから、お前が気にすることではない」

「何から何まで。お前はほんときちんとこなす。真面目だな。もういい加減、全部投げちゃっていいんじゃないか。クソ真面目よ」

 加々見の軽口はとまらない。

 大向井は首を振る。

「責任がある。12人に対して。貴様を1年かけて、この世界から、完全に抹消する。お前の目的がなんであれ、だ。12人の生徒たちも帰還する。肉体は大陸で十全に保持されている。名誉も、ついでについてくる。15年の歳月は、心にのしかかるが、少し長い訓練みたいなもんだ。命はかかっているが。お前を抹消すれば、彼ら彼女らの大陸での余生は保障される」

 加々見が、今日1楽し気に笑っていた。わかったわかったといわんばかりに手を横へ振る。


「で、お前は? どうなるんだ。どうなるんだ。暴走魔物を世に解き放った、稀代の犯罪者である勇者の仲間であり、友であったお前は」

 

 大向井の表情は変わっていない。

 彼の覚悟はすでに15年前から完了済だった。


「私は、早急に事態収束の手筈を整えるため、肉体ごとの転移をした。見ての通り、あの頃から普通に15年、歳も取った。帰還手段はない。魔王の転生秘術書にその記載はなかった。転移はあくまで緊急脱出措置としてのもの。日本でお前を完全抹消するための手筈を整え、お前を殺し、この世界で人生を全うして死ぬことが、私の使命だ」


 加々見が笑う。ほんと狂いまくりだな、と叫んでいる。

 同感だ。大向井も同じような顔になり、同じように答えた。

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