第13話 母と娘


「もう……やめて!!お継父とうさん!!!」


 私は手を強く握りしめ、お継父さんを真っ直ぐ見つめる。


「杏……私はお前の主体性を尊重してきた。高校を不登校気味になりそのまま学校を辞めた時や、夜に頻繁に家を空けるようになった時も。お前のやりたい様にやらせて来た。生活だって何一つ不自由な事は無いはずだ。何が不満なんだ?」


「……お継父さんは……お継父さんは私の気持ちを尊重していたって言うけど……違う……違うよ!!お継父さんは家の事が……私の事が面倒だから放っておいただけじゃん……一度も……ただの一度も『どうした?何があった?』って……私に聞いてくれた事すらなかったじゃん!!!」


 私は大粒の涙を流しながら、ずっと心の内に溜め込んでいた思いをお継父さんにぶつける。


「……確かに、私は家の事に関しては桜に任せっきりだったかも知れない。だがしかし、親は私一人では無い。お前には母親が……実の母親の桜がいるじゃないか……何故桜に相談しない?」


「そうよ、杏……お母さんは何度も何度もあなたに何が不満なのかを聞いたけれど……あなたはその度に口を閉ざして……杏……お願い……あなたの気持ちを……本当の気持ちを教えてちょうだい」


 お母さんは涙を頬に伝わせながら私を見つめる。


 そんなお母さんを見て、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 お母さん……ごめんなさい……本当にごめんなさい!!!……今まで本当の事を言えないで……いっぱい迷惑を掛けちゃって……心配を掛けちゃってごめんなさい!!!

 私は手をギュッと強く握りしめ、口を開く。


「私っ……今までっ!」


 その私の言葉に重ねるように、あの男が……龍二が私に声を掛けて来た。


「そうだぞ?杏!言いたい事があれば遠慮なく言って良いんだぞ?お前が元に戻れば……全ては上手く行く。?」


 お継父さんとお母さんの後ろで……あの嫌な……薄笑いを浮かべてこちらを見つめる。

 その笑みを見た瞬間……私の身体は固くなり声が……出なくなってしまう。

 お風呂場で受けた恐怖が……夜な夜な受けたあの嫌な思い出が……トラウマとなって私の身体を何も出来ないように押さえつける。

 伝えたいのに……お継父さんとお母さんに、全てを話したいのに……

 言葉を出そうとするのだけれども……まるで声の出し方を忘れた様にただ口をパクパクとするだけで……一言も喋る事が出来ない。


「どうしたの?杏……また……教えてくれないの?」


 お母さんが悲しそうな目をして私を見つめる。

 お継父さんは呆れた表情を浮かべて私を見つめる。

 お義兄ちゃんは……龍二はお前には無理だよ、と言わんばかりに勝ち誇った表情を浮かべ私を見つめる。


 頑張れ……私の横には……将臣が居る!!勇気を出せ!!!


 そう自分を奮い立たせるが……身体が……言う事を効かない。

 私は……いつもそうするように、手をギュッと握って下を向き、ただひたすらに大粒の涙を流し黙ってしまう。


 周りはシーンと静まり返り、店内には私が嗚咽する声だけが響いていた。


 その時、一人の男が口を開く。


「まぁまぁ、ここではお嬢さんも話し難い様ですし……どうですか?柊さん。ここは杏さんに一度自宅へ帰って貰って家族水入らずで話していただいた方が宜しいのでは?」


 山下と言う男がニヤニヤと笑みを浮かべながら将臣に話しかける。


「それにこんな状態が続くようならば……今日は私も私用と言う事で来てますが……仕事でここへ来ないといけなくなりそうですなぁ」


 将臣を見る山下の目がギラリと光る。


 このままでは将臣が警察に……将臣にまで迷惑をかけてしまう……もう私は……家に帰るしか……そう私の思考が停止し始めた時、どこかでスマートフォンの着信音が聞こえる。


「あっ、私ですな。申し訳無い。すぐに切ります」


 そう言って胸からスマートフォンを出し、画面を見た山下の表情が変わる。


「……すみません……少々失礼します」


 ヘラヘラさせていた表情を一変させ、神妙な面持ちで山下はお店の外に出て行った。


 そうして再び店内はシーンと静まり返る。

 すると将臣がふぅと溜息を付いて口を開いた。


「確かにオレは部外者かも知れない。だけどこれだけは言わせてくれ」


 店内に居る人間全てが将臣を見る。


「杏のお母さん……桜さん、だったかな?桜さん……あなたにとっての幸せは何だ?」


「えっ……?」


「杏から多少の事は聞いている。早くに旦那さんに先立たれ、女手一つで頑張って杏を育てて……そしてそこにいる区議会議員の宮ケ瀬さんと再婚して新たに家庭を築いて」


「……はい」


「あなたにとっての幸せは……地位や名誉のある男と再婚して経済的にも不自由の無い生活を送る事なのか?」


 一瞬だけ考え込んだ後、お母さんは将臣に即答する。


「いいえ?……私にとっての幸せは……ただただ子供の……杏の……幸せだけです!……それさえあれば……他に何も……いりません!!」


 そのお母さんの言葉を聞いた私は……手をギュッと握りしめながら再び大粒の涙をこぼす。

 お母さん……お母さん!!……ごめんなさい!!!……お母さんを悲しませて……本当にごめんなさい!!!

 そう何回も何回も心の中でお母さんに謝り続ける。


 するとふと、頭に暖かい感触を感じる。

 将臣が……私の頭を……撫でてくれていた。


「聞いたか杏。良いか?お前のお母さん……桜さんが望んでいるのは杏の幸せだ。それ以外の何物でも無い」


 私は声を上げながら泣き、将臣の言葉に何度も頷く。


「だから……しっかりしろ。前を向け……ほら、そんなに泣きじゃくって」


 そう言って将臣は白衣のポケットからハンカチを取り出して私に渡す。

 私は受け取ったハンカチで顔全体を覆いゆっくりと涙を拭いて行く。

 すると……ハンカチからはこのお家の……将臣の……私を安心させてくれる……大好きな将臣の匂いが香り、私を優しく包み込む。

 その瞬間、私は私を縛り付けている恐怖……トラウマの鎖を引きちぎり、真っ直ぐ前を……龍二を見つめる。




「私はずっと……お義兄ちゃんに……龍二さんに性的な暴行をされてきました」




 店内の空気が一瞬にして凍り付く。

 宮ヶ瀬と、桜が同時に龍二の方へ振り向く。




「な、何言ってるんだよ……そんな事……そんな事する訳無いだろ!!あいつが……杏が嘘を付いているだけだよ!!!本当はただ遊び呆けたいだけで、訳の分からない嘘を付いてオレのせいにしやがって!!!!」


「龍二……」


「龍二さん……」


「ちょっ……親父も母さんも杏の言う事なんて信じるなよ!!!学校だって不登校で辞めちゃうような奴だぜ!?」


「……私……お義兄ちゃんに嫌な事をされる様になってから……部屋の箪笥から下着が無くなったり、お風呂に入っている時に脱いだ下着を持っていかれたり……夜な夜なみんなが寝静まった頃に私の部屋に来て……私の胸や股間を触ったり……そんな事をされている内に男の人が怖くなって……学校の男の子も怖くなって……学校に行けなくなって……家も夜になるとお義兄ちゃんが……そう言う事をしに部屋へやって来るから家にもいたくなくて……」


「どうして……どうして言ってくれなかったの杏!!」


「お母さんには……幸せになって欲しかったの!!!お父さんが死んじゃってからお母さんは私の為に一人で頑張ってくれて……お継父さんと……宮ケ瀬さんと再婚して……やっと少しは楽になったお母さんの……幸せが……私の所為で壊れちゃうのがどうしても嫌だったの!!!!」


「でも……でも、結果的にお母さんを悲しませる事になって……傷つけて……本当に……本当にごめんなさい!!!!!!」


 私がそう心の内を……感情を吐き出すと、お母さんは私の元へ走ってきてギュッと抱きしめてくれた。


「ごめなさい杏……気がついて……上げられなくて……本当にごめんなさい!!!!」


「お母さ……ん。やっと……やっと言えたよお母さん……私……ずっと……苦しかったよ……」


「ごめんなさい……本当に……ううっ……杏……本当に……ごめんね」




 私とお母さんの間にあった溝は全て埋まり、私はお母さんとギュッと抱きしめ合ってずっと涙を流し続けた。





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