第9話 心の傷
私は……『私の家』の前に立つ。
自分の家の筈なのに、『ただいま』と言って帰ってくるべき場所なのに……足が、そして身体全体が家に中に入る事を拒否している。
「行かなきゃ……行ってお母さんにちゃんと話さなきゃ……私が……こうなってしまった理由を」
私は大きく深呼吸をして、玄関のドアを開け小さい声で『ただいま』と言って中に入っていった。
玄関を上がり居間に向かうと、ダイニングチェアに座ってカタカタとパソコンで仕事をしている母親の桜が目に入った。
「お母さん……ただいま」
私の声を聞いたお母さんはハッと顔を上げる。
「杏っ!……もう……心配をかけてっ!」
そう言ってガタッと立ち上がり私をぎゅうっと抱きしめる。
「もうっ……本当に……心配したんだからっ」
そう言ってぽろぽろと涙を流す。
「ごめんね……お母さん……ごめんね……」
色々な気持ちを抱えながら、私もお母さんをぎゅっと抱きしめると大粒の涙が頬を伝って行った。
「はい、お茶」
「ありがとう……お母さん」
「……身体の調子は大丈夫なの?どこか調子を悪くしてない?」
「……うん……大丈夫」
温かいお茶をゆっくりと口にする。
「こんなに長い間……何処にいたの?」
それを聞いた私は下を向いて口をつぐんでしまう。
「……言いたくないのね……でもこれだけは教えて?どうして家出なんか……いいえ、その前から家に帰って来ない日がちょくちょくあったりして……何度聞いても答えてくれないし……学校で何か合あったの?それとも……この家に帰りたくない何かがあるの?」
私は手をギュッと握って気を強く持つ。
将臣……将臣っ……!私……頑張るから!!
「あのね、お母さん……実はね」
私は顔を上げてお母さんの目を見つめた時、居間の外から……「あの人」の声がした。
「あれっ?話し声が聞こえると思ったら杏じゃないか!」
そう言って……義兄の……龍二が居間へ入って来た
「あら、龍二さん。今日は大学は良いの?」
「あぁ母さん。今日は取っている授業が無くてね。1日ゆっくり出来る日なんだ」
龍二は笑顔でお母さんに答える。
「そうだったのね。杏、龍二さんもあなたの事を心配して色々探してくれたのよ?」
「……ごめんなさい」
私は再び下を向いて口をつぐんでしまう。
頑張るって決めたのに……将臣にも言ったのに……この人の顔を見ると……身体が強張って何も言えなくなってしまう。
「いや、とりあえず無事で良かった。まぁ杏くらいの年齢の時は色々あるもんな。そんなに気にしなくて良いからな?」
そう言って龍二は私の肩にポンッと手を置く。
その置かれた手から……とても嫌な物が……私の肩から広がって、身体全体を覆って行く。
「それで杏、さっきの話だけど、一体何があっ」
「お母さん!」
私はお母さんの話を遮るように声を上げる。
「私……疲れちゃったから……一度自分の部屋に戻っても良い?」
「それは構わないけど……」
その言葉を聞いた私は、逃げるように居間から出て階段を駆け上がり、2階にある自分の部屋へと駆け込んだ。
部屋に入った私は綺麗に整えられた布団に潜り込んで頭から掛け布団を被る。
「やっぱり……やっぱりダメだよぉ将臣……言えないよぉ……怖いよぉ……将臣……将臣ぃ……」
私はガタガタと震えながら大粒の涙をこぼし、将臣の名前を呼び続けた。
最初に気がついた異変は、部屋の
あれ、おかしいな?お洗濯に出し忘れたかな?と思ったけどお揃いのブラジャーは有るし、ショーツだけが無い事に疑問を抱いたが大して気にもしなかった。
そのショーツは、何故か洗面所横のランドリー室で見つかった。
そしてそれから……同じ様にショーツが無くなる事が度々起きた。
いずれも無くなったショーツは後でランドリー室から見つかった。
その後、箪笥からショーツがなくなる事は減ったのだが……私がお風呂に入っていると、お継父さんの連れ子である義兄の龍二が度々洗面所に来る様になった。
最初は「ごめん、ちょっと忘れ物しちゃって」と浴室の外から声を掛けてきたのだが、その内無言で入ってきて無言で出てい行く様になった。
そしてその度に……お風呂に入る前に脱いで洗面所にある洗濯機の中に入れたはずの私のショーツが……無くなっていた。
私は何度もお母さんに言おうと思ったけど……折角再婚したのに……お母さんの幸せを台無しにする様で何も言えなかった。
やがて龍二は、深夜寝静まった頃に私の部屋にやって来て……私が目を瞑っている事を確認して、胸や股間に顔を押し付けて……何か……自分で……そう言う事をして終わったら帰って行く様になった。
私は起きていたけど……怖くて……何も言えなくて……ただひたすらに龍二が帰って行くまでずっと我慢をした。
そんな折、私はとある男子に告白をされた。
大して話した事も無い、名前も良く知らない男子だった。
丁重にお断りしたけど、その時から……男子の目が怖くなった。
みんな……私を……私の身体をそう言う風に見ていると思うと、学校に行く事さえ怖くなった。
出来るだけ家にいたくないから友達の家に泊まるようになったり、公園で一晩過ごしたり……夜を家で迎える事が本当に怖かった。
そうこうしている間に学校に行くのも辛くなり……私は折角希望して入った高校を退学する事になった。
そして龍二が大学に入ると高校生の時とは違い、昼夜問わず家に居る事が多くなった。
龍二は何かに付けて私に触れるようになった。
肩を触り腰を触り、太腿を触り……そしてある日の夜……龍二はいつもの様に私の股間に顔を埋め……パジャマを……下着を脱がせようとした。
その時は咄嗟に目を覚ます振りをすると龍二は慌てて部屋から出ていったけど……私の精神は限界に達した。
次の朝、私はカバンに最低限の荷物を詰めて、この家を出て行った。
男の人の目も怖かったけど、一人になるのも怖かった。
だから人の多い繁華街に逃げた。
その時、声を掛けてくれたのが夕美ちゃんだった。
夕美ちゃんも同じ様に家出をしている子だったけれど、とにかく明るかった。
一緒に居ると何も考えず、刹那的に生きていける様な気がした。
ある時、もう考えるのが嫌になって死にたいと夕美ちゃんに伝えると、夕美ちゃんは考え事がパーッとなくなるお薬が有るよと教えてくれた。それをいっぱい飲むと……その時初めて『OD』と言う言葉を知ったけど……何もかもどうでも良くなるよ、と。
それを聞いてドラッグストアに行ったけど……売ってくれなくて……それで街外れの薬屋……ひいらぎ薬舗に入っていった。
カウンターに居たのは丈の長い白衣を着て、髪の毛がちょっとぼさっとした……男の人だった。
狭い店内で男の人と2人きりで……怖いはずなのに……何故か……その人は私に恐怖を感じさせなかった。
私が「楽に死ねる薬が欲しい」と言ったらその男の人はお店を閉めてくるから待ってろ、と言ってソファーに座る様、私に言った。
閉店した店内に男の人と2人きりなんて絶対に嫌な筈なのに……少なくてもそれまでは嫌だった筈なのに、気がついたら私は素直にソファーに腰を降ろしていた。
自分でも本当に不思議だったけど……男の人の言葉に暖かみを感じた。
それからその男の人は……将臣は……私に暖かさをくれた。
美味しいご飯もくれた。
良い匂いのするお風呂も……布団も……安心もくれた。
そして……男の人に対して恐怖しか無かった私に……恋心をくれた。
「将臣……将臣……会いたいよぉ……将臣ぃ」
私は布団の中で丸くなりながら、ひたすらに将臣の名前を呼び続けた……
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