第7話 将臣の願望


「さて」


 帰宅途中にコンビニで弁当を買い、自宅に戻ったオレは居間のテーブルの前にちょこんと座っている杏に声を掛ける。


「まずはどう言う経緯でああなったか教えてくれ、杏」


 初めは口を閉ざしていた杏だが、ゆっくりと事の流れをオレに話し始める。


「……成程ね。ま、家出して最初に出来た仲間だ。ある程度引っ張られてしまうのは仕方が無いかもしれない。でも何でオレの所で居候してるとは言えなかった?」


「……あの人達、余り素行の良い人達じゃないから……将臣に迷惑がかかったら申し訳無いと思って……」


「やれやれ、そんな事を気にしなくても良いのに。あんなガキ共にどうこうされる程、オレはヤワじゃ無いよ」


「あと……」


 杏はギュッと握った手を見つめる。


「あと?あと何だ?言いたい事があるなら何でも聞くぞ?」


「あと……私がここに居たら……将臣と椿さんとの邪魔になるかな……って」


「椿?」


 思わぬ名前が杏の口から出て来て、ちょっとびっくりしてしまう。


「何で杏が椿の事を……ってあれか、オレと椿の会話を聞いていたのか」


 黙ったままコクリと頷く杏。


「ごめんなさい。盗み聞きをするつもりは無かったの。でも……将臣と椿さんの前に出て行き難くて」


「なーるほどねぇ」


 オレはふいーっと大きい溜息を付く。


「あのなぁ、杏。確かに椿とは昔付き合っていたが、別れてからもう随分経つ。それにあいつは海外でも有名なバイオリニストで今は日本に住んでいない。まぁ確かに無理矢理にでも連れて行くとか訳の分からない事を言っていたが……あいつとオレは住む世界が違いすぎる。ヨリを戻す事もオレがここからいなくなる事も無い。だから気にするな」


「……でも……いつまでも将臣に迷惑を掛ける訳には……」


「なぁ杏」


「えっ?」


 オレの呼びかけに杏は顔を上げる。


「オレが杏が居て迷惑だなんて……一言でも言ったか?」


「言ってない……でも将臣は優しいから……そう思っててもきっと口には」


「杏」


 オレは杏の言葉を遮るように名前を呼んでじっと見つめる。


「杏はオレの事を信用していないのか?」


 杏は黙って首を横に振る。


「杏はオレが嘘を言うと思ってるのか?」


 再び杏は首を横に振る。


「だったらオレの言葉を信じろ。オレはお前の事を邪魔だなんて思っていない」


「でも……でもっ!私っ!将臣に何も返せていない!お掃除とお料理くらいで……その……きっと椿さんが将臣にして上げた様な事も……私は……出来ないから……」


「んー?……あぁ前にも言っていた『そう言う事』か……この前も言っただろう?そう言った行為を見返りで貰う為に居候させているんじゃない、と」


「分かってる!!分かってるけど……」


「……つまり、杏はオレに助けて貰う価値を自身に見出だせない、と言う事か?」


 杏はコクリと頷く。


「やれやれ。杏、前にも言っただろう?お前を助けるのはオレが好きでやってる事だ。オレの気まぐれだ。だから気にするな」


「でもっ!」


「強いて言うならなぁ……オレはお前が咲き誇る所を見てみたいって事かな」


「……咲き誇る?……私が?」


「そそ。お前はまだ蕾みたいなもんだ。でもこれから広い世界に行って、綺麗に咲き誇る可能性がある。みんなが見て褒めてくれる様な花をな」


「だが、今のお前には影が差している。が当たっていない。その影が何なのか……オレには分からない。でも、もしオレがその影を少しでもずらせる事が出来るのならば助けてやりたい。陽を当ててやりたい。そしていつの日か、どこかで大輪の花を咲かせてくれたらオレは嬉しい」


「花を……咲かせる」


「オレはひいらぎ薬舗ここから動けないし動くつもりもない。まぁ……色々しがらみがあるからな。だからせめて、綺麗に咲き誇る花を遠くからでも良いので眺めていたい。杏を助けるのはオレの楽しみでもある。だから気にするな」


「……椿さんもそうなの?」


「まぁあいつとは色々あったけど……あいつもオレなんかと一緒にいるよりも世界へ行くべきだった。実際にあいつは世界を相手に今、素晴らしく咲き誇っているからな。だからあいつがオレと別れるって選択肢を選んだ時も納得したし、そう有るべきだったと今でも思う」


「もし杏がオレに何かを返したいなら、将来何処かでみんなが喜ぶような花を咲かせてくれ。今のお前は蕾だけどきっと出来るはずだ」


「……私に……出来るかな」


「出来るさ。杏は良い蕾を持っている。きっと、出来るさ」


「……うん……頑張って……見る……」


「おう!まぁ人生先は長い。余り無理をせずにマイペースでな」


「……うん……ありがと、将臣」


 ようやく杏に薄っすらと笑顔が戻る。


「さっ、それじゃ飯でも食うか!とりあえず元気になるには腹一杯食わないとな!」


「……ふふっ。それじゃ、私、お弁当温めてくるね」


 そう言って杏は弁当を持って台所へ向かう。




「オレはここで朽ちて行く運命だからな。だから……せめてお前は綺麗に咲いてくれよ?楽しみにしているからな」


 オレは杏の後ろ姿を見送りながらぽそりと呟いた。





「ご馳走様でした」


 杏が手を合わせてお辞儀をする。


「おうおう。それにしても久しぶりにコンビニの弁当を食べたけど随分と美味くなったんだな。種類も豊富でビビったわ」


「えっ、以外。将臣はコンビニのお弁当、常連さんかと思ってたわ」


「お前あれだろ、オレを寂しいズボラ独身男性だと思ってるだろう?」


「そんな事ないよっ……いししっ」


 杏が悪戯っ子の様に笑う。

 ま、ちょっとは元気が出てきて良かった、とオレは軽く胸を撫で下ろす。


「まぁズボラも寂しい独身男性もあっているんだけどな?ただ普段、結構色々な差し入れを貰うんだよ。食材も含めて。だから買い出しも少なくて済むし、食料には意外と困らないんだよなぁ」


「確かに……将臣、良くお客さんから色々差し入れ貰ってるよね……でもあれって『放っておいたら死んじゃいそうだから』みたいな感じかと思ってた」


「失礼な!……きっとみんな、オレの優しさに感謝してお礼の品を持って来てくれるのさっ」


 ふふんっと胸を張るオレを杏はじっと見つめる。


「確かに……将臣は……優しい」


「……おいおいおい、オレのボケを華麗に潰してくれるなよ。そんな風に言われたら恥ずかしくて逃げたくなるわ!!新手の嫌がらせか!?」


「えっ?……ふふっ、あははっ」


「笑って誤魔化すなよ……」


「ふふっ」


 杏は笑顔を浮かべながらじっとオレを見つめる。


「ほら……食べ終わったなら、風呂にでも行って来い。嫌な事があった時は風呂に限る。風呂は命の」


「洗濯だからな、でしょ?」


「オレの決めセリフを取るなよ……」


「いししっ……うん、お風呂……いただくね?」


 そう言って杏はスッと立ち上がり、浴室へと向かって行った。





 私は身体に纏わり付いた嫌な物……ファミリーレストランで着いたタバコの匂いや、香水の匂い……肩を掴まれた時の嫌な感触を全て洗い流して行く。

 そうする事によって私の身体は再び、将臣が与えてくれた落ち着く良い匂いで包まれて行く。

 今日、隆に肩を掴まれて本当に嫌だった。心の底から男が嫌だと思った。なのに……将臣に手を繋がれた時は本当に安心した。将臣の腕を掴んでギュッとした時は……心が震えるのが分かった。

 ゆっくりと湯船から出て、浴室の鏡に映った自分をじっと見つめる。

 みんな……そう言う事ばかりを求めていると思っていた。

 鏡に映る身体のみを……求めて来る人ばかりだと。


 でも、将臣は違う。

 決してそう言う風に私を見なかった。


 今はむしろ……私は、私自身を将臣に差し出したいとさえ思っている。

 私の内も外も将臣で満たして欲しい。

 これが……恋と言うものなのだろうか……


 あれ程嫌悪していた『そう言う事』も……相手が将臣だと思うと、期待と不安が入り混じった不思議な気持ちになる。


「よしっ」


 私は鏡に写っている自分にエールを送る様に声を掛け、浴室を後にした。



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