第6話 恋心




 お昼前に出て行った杏が夕方になっても戻らず、こりゃ何かあったかな?と心配し始めた時に「カランカラン」とドアが空いて楓が店にやって来た。

 いつもの薬を渡した後、「あ、そう言えば杏ちゃんを街で見かけたよ。何か良くなさそうな奴に肩を抱かれながらラブホ街の方へ歩いてたけど、臣っち振られたん?」とニヤケながらオレに伝えて来た。


「そんな訳ねーだろ……」と溜息を付きながら急いで店仕舞を始めたオレを見て、「臣っちも大変だねぇ……人が良いから」とニマニマ笑ってる楓を横目に、走ってラブホ街まで来たけど……どうやら間に合ったようである。


「全く……帰りが遅いと思ったらこんな所で道草を食ってたのか……帰るぞ杏」


「おいおい、待てよおっさん。杏ちゃんはこれからオレとゆっくり過ごすんだよ。変な横槍いれんじゃねーよ」


 杏の肩を抱いている軽薄そうなチンピラ崩れがオレを睨む。


「おっさんて……オレはまだ28歳だっつーの……それに……おいガキンチョ。お前は空気が読めないのか?お前がウザすぎて杏は大泣きしてるじゃねーか。さっさと杏の肩から手をどかせ」


「あぁ!?テメェ喧嘩売ってるのか?」


 男は杏から離れこちらに歩いてくる。


「おい、上等だよ!!おら、やんのかよ!!!」


 そう言って白衣の襟をぐいっと掴む。


『やんのかよ!!』とか……若いなぁ、と普段なら苦笑している所だが何故か今日はそう言う気になれない。只々、目の前の男が心底ムカつく。

 ふと、男から目を逸らし杏を見ると……折角消えかかっていた影がすっかりと杏を覆ってしまっている。

 今日一日で何があったかは知らないが……ここ数日の杏の努力が無に帰した訳だ。

 恐らく咳止めのODを勧めたのもこいつらだろう。

 そう思うと……良くないなぁと思いつつ、腹の底に暫く忘れていたドス黒いものが溜まって行く。



 オレは左手の親指で白衣の襟を掴んでいる男の肘の内側をぐぐぐぐっと強く押す。

 と、同時に右手で男の髪の毛を掴み顔を近づける。


「いててててててててて!!!!!」


 余りの激痛に白衣を掴んでいた手を離し、痛みに顔を歪めている男に小さい声で呟く。


「テメェ?……おいクソガキ、誰に口を聞いてるんだ?


 男の目に恐怖の色が浮かぶ。


「杏にクソみてぇなOD勧めたのもお前等だろ?……そんなにラリるのが好きなら……にして沈めてやろうか?お?」


 男は「いや……あの……」とモゴモゴと口籠る。


 その時、オレの後ろから「おい、何をやってるんだ!!」と声がする。

 ふいっと振り向くとそこには腕を組んだ制服姿の警官が立っていた。


 警官はこちらにつかつかと歩み寄り、オレの目の前に立つ。

 オレは男から手を離し、じっと警官を見つめる。


「……っくっくっく。良い歳して何やってんのよ、将臣」


「はぁ……ほっとけよ勇次。全く……お前にこんな所を見られるなんてツイてないわ」


「あーっはっはっは」


 同級生で中学から付き合いのある矢上勇次は手を叩いて笑う。


「いや、まさか巡回中にこんなホテル街で将臣に会うとはな。しかも白衣姿とかマニアック過ぎるだろ。何だよ、痴話喧嘩か?」


「……そんな訳あるかい。ちょっと事情があってそこに居る女の子を預かっていてな。たった今、迎えに来た所だ」


「成る程?で、そこのチンピラが獲物を横取りされて絡んで来たって訳か。に」


「ま、時代だ。しゃーない」


 オレはやれやれと肩を竦める。


 くくっと笑った後、勇次は腕を押さえて座っている男の元へ歩いて行く。


「おう坊主。何があったかは知らないが、泣いている女の子をホテルに連れ込むのは良くねぇなぁ。今日の所は素直に帰っておけ」


 そう忠告した勇次を、男は涙目になりながら睨む。


「オメェ警官だろ?今オレは暴行を受けたんだぞ!?何で捕まえねぇんだよ!!」


 その言葉を聞いた勇次はハァと小さく溜息を付き、腰を降ろして男を睨む。


「オメェ、じゃねーんだよ。都合の良い時にだけ警察使ってんじゃねーよ。だったらオメェも引っ張っるぞ?叩いたら随分ホコリが出そうなナリしてるけど良いのか?」


 勇次の言葉を聞いた男はグッと詰まる。


「後な……勘違いしてるようだけど俺は?……お前みたいな若造はこの街の事を知らないだろうけど……喧嘩を売る時はちゃんと相手を見てから売れ」


「……」


「ほれ、さっさと仲間の所に帰れ。あぁ、それとな……俺等警察だって出来る事ならお前等の居場所は潰したくないが……これ以上おいたが過ぎる様なら流石に潰さないと俺等のメンツも立たん。程々にしろと周りに伝えておけ」


 男は無言で立ち上がり、腕を抑えながら暗闇に消えて行った。


「やれやれだ……おい、将臣。女の子は任せて良いんだろうな?」


 勇次は立ち上がってオレを見る。


「ん?あぁ。オレが責任を持って連れて帰るよ」


「頼むぜ?この後、白衣のままラブホに消えるとか勘弁だぞ?笑いが止まらなくて死んじゃうからな?俺」


「はぁ……そんな訳ねーだろ……全く」


 勇次に聞こえる様に大きな溜息を付く。


「くははは。それじゃーな将臣」


 勇次は立ち上がってオレに背を向け、その場を後にしようとする。


「あっ、一応言っておかないとな」


 こちらに振り向かず、勇次は言葉を続ける。


「将臣……俺に捕まるような真似……するなよな?」


「……しねーよ。幾つだと思ってるんだよ。ガキじゃあるまいし」


「くははっ。確かに、だな。またな将臣」


「またな……勇次」


 その場から去って行く勇次の背中を、オレはじっと見つめた。





「さて、杏」


 オレの言葉を聞いて杏はビクッと身体を震わせる。


「言いたい事は山程あるが」


「……」


「とりあえず腹が減ったんで家に帰るぞ?食材は買ったか?」


 杏は大粒の涙をポロポロとこぼしながら首を横に振る。


「仕方の無い奴だな。それじゃ帰り際に弁当でも買って持ち帰るか」


 オレは杏の頭をポンポンと撫でる。


 無言でコクリと頷く杏。


「んじゃ行くか」


 そう杏に告げるが、杏は下を向いて泣いたまま動こうとしない。


「しょうがねーなー。ほら、行くぞ」


 そう言ってオレは杏の手を優しく握る。

 杏は一瞬身体を固くするが、オレの手を握り返しギュッと腕に捕まってくる。


 こんな姿を誰かに見られたら……絶対に色々誤解されるだろうなぁと苦笑しつつ、オレと杏はゆっくりとひいらぎ薬舗へ歩いて行った。







 ポロポロと涙を流しながら私は歩く。将臣に手を繋いで貰って。そして将臣の腕に抱き着きながら。将臣からはとても良い匂いがして、私の心はそれだけで癒やされて行く。綺麗になって行く。私は私の気持ちにようやく気が付く。




 あぁ、私はいつの間にか、将臣に恋をしていたんだ、と。







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