第2話 家出の理由


「熱っつぅ!」


 オレは古びた丸テーブルの上に、お吸い物が入ったお椀を2つを置く。


「めっちゃ熱くて火傷するかと思ったぜ!」


「ふふっ。火傷しても薬屋なんだから良いじゃない。家に売る程、薬があるんだから」


「おん?随分とまぁ生意気な口をきく小娘だのぉ」


「いししっ」


 杏はフードの付いたパーカーを脱ぎ、肩までかかる髪を一本に纏めている。

 店に入ってきた時とは大分雰囲気が変わり……随分とリラックスしている様に見える。

 即効性のある生薬を組み合わせた煎じ茶だったのに加え、空きっ腹だったので上手く効いてくれたかな?とひとまずホッとする。


「ほれ、とりあえず簡単に作った飯だけど」


 白米の上にキャベツの千切りを敷き、昨日から生姜タレに付けておいた豚肉を炒めて乗っけただけの生姜焼き丼だが、杏はくりくりとした大きな目を輝かせる。


「わっ、美味しそう」


「遠慮無く食え。おかわりも有るぞ?」


「そんなに食べたら太っちゃうよ」


 杏は口をぷくっと膨らませる。


「良いんだよ、杏辺りの年齢の時はちょっと太ってるくらいが。世の中、栄養失調みたいな女の子が多すぎておかしいぞ?」


「えっ……将臣って、デブ専?」


 そう言って眉を潜め、杏はオレをジト目で見つめる。


「はぁ?何でそうなるんだよ……まぁ良いから冷める前に食え」


「はぁい……ふふっ、いただきます」


 杏は手を合わせて一礼をする。


 その様子を見てオレは心の中で「……ほーん」と声を上げる。

 それなりに……ちゃんと教育は受けてそうだな。

 それなのに家出をする理由とは……まぁ考えてもしょうがない。気が向いたら話してくれるだろう。


「わっ、美味しい」


「うんうん、そうだろう?生姜焼き丼はオレの得意料理なんだ」


「へー、将臣って料理が得意なんだ。他に何が得意なの?」


「そうだな。牛丼に親子丼、あとロコモコ丼に焼肉丼かな」


「……全部丼ものじゃん」


「洗い物が少なくて済むだろ?」


「マメなんだかグータラなんだか」


 クスクス笑いながら杏は箸を進めて行く。


「そう言えば、杏はいつから家出をしてるんだ?」


「……んー、4日前」


「ここに来るまでどうしてたんだ?」


「マンガ喫茶に泊まったり……後は広場で仲良くなった子達とカラオケボックスに居たり」


「そっか。とりあえず危ない目に合わないで良かったな」


「……将臣は……今までに私みたいな子をこうやって助けた事があるの?」


 杏は顔を少し伏せ、上目遣いでオレに問いかける。


「何で?」


「何となく……だけど」


 オレは腕を組んで、うーんと首を傾げる。


「似たようなケースは無くもないが、今回みたいに寝床を貸す事は初めてだな」


「そう……なんだ」


「まぁ、助けようとした事はあるし、色々助言した事もある。でもな、人って自分から助かりたいって思わないと、幾ら周りが助けようとしてもダメなんだよ。また元の場所に戻っちまう」


「じゃあ何で……私を……泊めてくれるの?」


「んー?何でだろうなぁ。さっき下でも言ったけど……気まぐれ?」


「何よそれ」


「強いて言えば……杏を見ててな?何となくだけど『誰かに助けて欲しい』って言うのを感じたのよ。本当にただそれだけ」


「……そっか」


 丼を空にした杏が箸を置く。


「お、完食!偉い偉い。おかわり居る?」


「ふふっ、大丈夫!ありがとう将臣。ごちそうさま」


 杏は空になった丼をじっと見つめる。


「……あのね……家出した理由、話しても良い?」


「おお、良いぞ。杏の好きな様に話してくれ」


 オレは極力、杏が話しやすい雰囲気を作る。


「……元々私は本当に普通の家で育って来て……お父さんもお母さんも仲が良くて……でも私が中学1年生の時にお父さんが病気で急に亡くなってしまって」


「そりゃ……大変だったな」


「……うん」


「それでも……お母さんは女手一つで私を育ててくれて、高校も希望の所に入れて」


「そりゃ立派なお母さんだ」


「うん……それで……高校1年の冬にお母さんが再婚する事になったの。私は複雑な気持ちだったけど……お母さんも一人では大変そうだったし……何よりも新しいお継父とう……さんの事を好きみたいだったし……私も賛成したわ」


「それから……お母さんと私はそれまで住んで居た所から、お継父さんのお家に引っ越す事になって」


「でも……あの……やっぱり……色々上手く行かなくて……お母さんの為に我慢するべきだったんだけど。ダメで……」


 杏はギュッと握った拳をじっと見つめる。


「そうこうしている内に、お母さんともぎくしゃくする様になっちゃって……高校も休みがちになって」


「それで、高校を中退した、と」


 杏はコクリと頷く。


「もうどうして良いか分からなくて……最後はお母さんと言い合いになって家を飛び出して……来たの」


「成る程、ね」


 オレは「ふーっ」と一息ついて、天井を眺める。


「でも、もう今日で5日目になるけど家に連絡を入れないで良いのか?心配してるだろう、お母さんも。もしかしたら捜索願を出しているかも知れないぞ?」


「……大丈夫……多分……警察に連絡して大事になるのは嫌だろうから……特にお継父さんが」


 杏の様子を見て、まだ何か話していない事があるな、と何となく気が付くが深く聞くのは辞めておこう。また気が向いたら話してくれるかもしれない。


「わかった杏。色々話してくれてありがとうな」


 そう言ってオレはぽんぽんと杏の頭を撫でる。


「えっ」と言う表情を浮かべ、杏は顔を上に上げる。


「さて、杏に幾つか話したい事がある。別にお説教じゃ無いし、無視してくれても構わない。ただまぁ、杏よりちょっと長く生きてる奴からのアドバイスみたいな物だ、気楽に聞いてくれて良いからな?」


「……うん」


「さて、まず1つ目。高校を中退してどうして良いか分からない、もう人生終わったみたいに考えてるかも知れないけど、正直そんな物はどうにでもなる。意外と人生は長い。高卒認定を取って進学する手もある。人生詰んだと思っても結構どうにかなるもんだ。何て言ったって、ちゃらんぽらんなオレが普通に生きて行けてるんだからな」


「……ふふっ、将臣が言うと説得力があるね」


「だろう……ん?それって悪口か?」


「違うよ、褒めてるんだよ」


 杏は薄っすらと目に涙を浮かべ、笑いながらオレの方を見る。


「まぁ、良いか。はい、では次2つ目。この後、お母さんにメールを打つ事。『私は今、安全な所に居ます。もう少し心が落ち着いたら家に帰ります。心配しないで下さい』って」


「えっ……」


「まぁ色々な事情があるんだろうけど、一応無事って事は伝えておけ。どんな親でも……心配はする物だし、とりあえず警察に通報する確率もぐっと減るだろう」


「でも安全な所って……私、保護施設みたいな所には行きたく……」


「はい、3つ目。杏、とりあえず色々気持ちの整理が付くまでここにいろ」


「えっ」


「狭い家だが別にお前一人が増えた所で大して変わらん。寝床はオレの寝室を使え。オレは居間で寝るから」


「でも……それじゃ将臣に悪いし……申し訳な」


「はい4つ目。杏、とりあえずお前、風呂に入って来い」


「えっ?……あっ!……もしかして……私……匂う……?」


「匂わないよ。ただ年頃の女の子が満足にお風呂にも入れていないってのは良くない。良く言うだろ?『風呂は命の洗濯だ』って」


「えっ……知らない……何それ」


「うっ……ジェネレーションギャップ……」


 歳を感じ、若干凹んでしまう。


「ま、まぁとりあえずオレの新品のトランクスとパジャマを渡すから風呂に入って着替えろ。後、洗濯機は自由に使って良いよ」


「……ねぇ……私……本当に返すもの無いよ?」


「ん?礼の事か?そんな物はいらないよ。さっき言っただろう?」


「……うん……」


「ま、それでは気が引けるって言うなら……居候する間、掃除と飯をお願いするよ。オレが飯を作ると毎日丼飯だからな」


「……ふふっ、それじゃ居候している間に私、ぷくぷくに太りそう」


 杏は笑いながら大粒の涙をこぼす。


「だろ?じゃ、これで契約成立な?オレは着替えを用意してくるよ」


 そう言って立つオレを杏が呼び止める。


「あの……将臣……さん、ありがとうございます」


 杏はペコリと頭を下げる。


「『さん』付けは止めてくれよ……何かこう……むずむずする。『将臣』で良いよ」


「……ふふっ……ありがとっ。将臣」


「そうだな……うちに来た時の……今にも死にそうな顔よりは、まだ今の顔の方が100万倍良いぞ?」


 そう言ってオレは、笑みを浮かべながらぽろぽろと大泣きしている杏に手を振って風呂を沸かしに部屋を出て行った。










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