アイとケイ
物心がついた頃から、坂木ケイの隣にはいつもアイがいた。両親から引き継いだ二人の遺伝子は当然、寸分違わぬものだったので、顔も背恰好も声も瓜二つだった。
幼少期まで、ケイはなんでもアイの真似をしたがった。着る服も、身につけるヘアアクセサリーも、買ってもらうお菓子も、すべてアイと同じものを望んだし、それはアイも同じだった。
二人ともそれが当然だと思っていて、そうすることで周りのおとな達が喜んでくれることも、よくよく理解していた。
彼女達は、小さい頃から評判の美人姉妹だった。通っていた幼稚園の園児の中でも群を抜いて可愛らしい顔をしていたし、ましてそれが二人いるとなると、その破壊力は凄まじかった。そして小学校に上がってからの二人は、共に運動神経がよく足も早い上に、学業の成績も申し分のないものだったので、校内の生徒だけでなく、その保護者達からも一目おかれる存在であったのはいうまでも無い事だ。
そんな彼女たちにも、ちょっとした物の考え方や、好きなアニメのキャラクター、苦手な食べ物など、相違のある点はいくつかあったが、それは二人の共通点の多さからすると誤差の範囲内であった。
だが学年が進むにつれて、二人にとって共通点であった部分が、オセロの石をひっくり返すように少しずつ相違点へと変わっていった。
そして小学校四年生の時、ケイは自分がアイとは根本的に違う人間であるということを強く認識させられる出来事があった。
彼女たちの通っていた小学校では四年生より高学年の生徒は、半ば強制的に部活動に参加させられた。週に一度、活動時間は二時間程度のものであったが、運動系、文科系ともに選択肢は多かった。
ケイは以前からバスケットボール部に入ることを決めていた。運動の得意な女子のほとんどはバスケ部に入ることが通例となっていたし、一つ上のあこがれていた先輩からも入部を誘われていたので、ケイにとって他の選択肢は無いも同然であった。
そして自分と同じくらいに優れた運動神経を持っていたアイも、当然同じ考えであると思っていたのだが、実際に彼女の下した選択を聞いた時、ケイは自分の耳を疑った。
「わたし、化学実験部にはいることにした」
「えっ::::」
呆気にとられて、ケイはしばらく返事ができなかった。
「なんで::::化学部なんかに入って、恥ずかしくないの?」
険しい表情でケイがアイに問いかける。彼女にとって、バスケ部以外にはいる女子は全員嘲笑の対象であったのだ。
「全然。だって、爆発とかしたら楽しそうじゃない。それにバスケは体育でもできるし」
対照的にアイの表情は非常に穏やかだった。
「ちょっと待ってよ::。ねえ、おねがい。アイも一緒にバスケ部にはいろ?」
自分の分身が化学部に入ってしまうことが、まるで自分のことのように屈辱的に感じたケイは必死だった。
「わたしと一緒がいいなら、ケイも化学部にはいればいいじゃない」
さらりとアイが言う。
「やだよ!化学部なんて、運動の苦手な陰キャがいくところじゃない!」
ケイの語気が否応なしに強まる。
「またそうやって決めつける。とにかく、わたしは化学部に入るからさ。お互い好きなことができれば、それでいいじゃない」
アイは苦笑いを浮かべながら、諭すようにケイにそう言った。
ケイは半ベソをかきながら、その事を父親に伝えた。せっかく部活に入るんだったら体を動かす運動部の方がいいんじゃないのか、などと説得してくれやしないかと期待したが、
「双子で同じ環境で育って来たのに、本当に面白いね」
と頬を緩めながら言うのみであった。
また、その年度のバレンタインデーにも事件は起きた。実際に事件というほどの出来事では無かったのだが、そう言うに値するほどにケイの心は傷ついたのだ。
「ねえ、ケイ」
同じ部屋で一緒に宿題をしていた時、アイが意を決っした様子でそう声をかけた。
「ん?」
「あのさ、来週、バレンタインデーじゃない?」
「そうだね」
「わたしさ、、、実は、チョコをあげたい男子がいるんだよね」
「そうなんだ、、、」
アイからの突然の告白に、ケイは少なからず動揺したが、それを出さないようにさりげなさを装って返事をした。
「だからさ、、、一緒に手作りチョコレート作らない?」
実はケイにも、好きな男子がいた。一年生の頃からずっと、淡い恋心を抱き続けてきたその相手は、学年で一番足が早く、どんな場面でも気づけば輪の中心にいるような、いわゆる学年の人気者だった。
「いいけど、、、わたしは別に、あげたい人いないからなあ、、、」
ケイは、自分でもびっくりするくらい自然に嘘をついていた。
「じゃあさ、女子の友達にあげる友チョコでもいいじゃない! とにかく、一緒に作ろうよ」
「わかった、、、。ところでさ、誰にあげるつもりなの?」
「、、、嶋中くんって分かる?」
ケイの方を見ずに、アイが恥ずかしそうにささやいた。
「ああ、、、化学部の?」
「そう」
ケイは、アイの想っている相手が自分と同じでは無かったことにまず安堵した。
そしてその嶋中くんとやらを必死に思い出そうとしたが、アイと同じ化学部に属しているメガネをかけた大人しい男子であるという情報以上のものをひねり出すことはできなかった。
「あのさ、、、嶋中くんの事、他の誰かに言ったことあるの?」
「うん。コトミとかヨウコは前から知ってる。ていうか、多分本人も分かってると思う」
「えっ、、、」
「うん、、、でも、その方が意識してもらえるっていうか、、、なんとなく有利な気がするんだよね」
「あ~、なるほど」
そう答えてはみたものの、ケイにはアイの言っていることの意味がほとんど理解できなかった。
「ケイには、そういう人いないの?」
アイは、ケイが少しでも話しやすくなるような雰囲気をつくろうと、秘密を共有するような調子で、ヒソヒソと小声で尋ねた。
「うん、、、いない」
「そっか、、、ごめんね、付き合わせちゃって」
「ううん、わたしもエリナとチョコの交換する約束しておくよ」
ケイの作り笑顔はとても自然だった。
「ありがと。じゃあ、今週の日曜日につくろ!」
「うん」
それで、その話は終わった。
その日の夜、ケイはベッドの中で悶々としていた。色々な感情が彼女の胸のなかでグルグルと渦巻いていたのだが、それらを端的に言い表すならば、ずばり嫉妬と後悔だった。
ケイにとって自分の想い人を他の誰かに教えるなど、考えられない事であった。そういった感情を持つこと自体恥ずべき事だと思っていたし、それを他の誰かに伝えてしまうことで、当の本人に自分の気持ちが知られてしまうリスクを考えると、気持ちは誰にも言わずに心の中に秘めておくのがベストだとケイの中で結論づけられていた。
もちろんアイにも教えるつもりは無かったし、アイがその様な話をケイにしてこないのも、自分と同じ考え故だと思っていた。
ところが突然のアイの告白により、今まで保たれていたその均衡はいとも容易く破られたのだ。
もしもアイのように振る舞えたら、相手が自分の事をどう思っていようがきっと納得ができるはず。そんな事はケイも重々承知していた。
けどみんながみんな、アイのように強いわけじゃない。むしろわたしのように、自分の気持ちを押し殺して過ごそうとする人の方がきっと多いはず。
ケイは、何度も自分の心にそう言い聞かせた。
ただあの時、アイがくれたチャンス。自分の気持ちを双子の妹に告白する絶好の機会を彼女は与えてくれたのに、わたしはそれをまんまと逃した。あの時ほんの少し勇気を出して、実はわたしにも好きな人がいるから一緒にチョコを作って、それをあげたい。
たった一言、そう言えていたら、、、。
ケイは、隣のベッドに目をやる。
アイがしずかな寝息を立てていた。
ケイはその夜、一睡もできなかった。
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