カウントダウン

 瀬田と別れ、僕たちも家に向かって歩き出していた。


「瀬田先生、すごく面白い人だね。また、せんせいとは全然違うタイプ。ああいうお医者さんも、きっと人気あるんだろうなって思うよ」


「そうだな。それにアイツはああ見えても、学生時代から秀才でね。大学病院内で次期教授候補の呼び名が高いんだ」


「ええ、そうなんだ。そうなふうに見せないところが、カッコいいね」


「うーん::、カッコいい::かなあ::」


 彼女の言葉をすんなりと飲み込むことができなかった僕は、無意識のうちに大人げない反論をしてしまっていた。


 少し間が空いた後、彼女がピョンと僕の腕を両手で抱え込み、


「でも、一番カッコいいのは、せんせいだよ」


 と耳元でささやいた。


――別にそういうのを期待していたわけではないんだけど::


 でも、悪い気はしなかった。


「ねえせんせい? 私の事、瀬田先生に相談してくれてたんだ?」


 と彼女が嬉しそうに聞いてくる。


 それは嘘では無かったので、そうだと答えた。


 彼女はウフフと笑うと、さらにつよく僕の腕を抱きしめた。


「瀬田先生が私を喜ばせようとして、大袈裟に言ってたのはちゃんと分かってるよ。それでも、少しでも私の事を考えてくれてたってだけで、十分だよ」


 僕の顔を見上げて、イヒヒヒと笑う。


「今日は、沢山甘えちゃおっと」


 と、彼女は体重を僕の体に預けてきた。


 咄嗟のことで僕がよろけてしまい、おいおいと優しくたしなめようとした瞬間、彼女が僕の手をつかんだまま膝から崩れ落ちた。始めはなにかの悪ふざけかと思ったが、様子がおかしかった。


「どうした? 大丈夫か?」


 彼女の肩を抱きかかえ、しっかり立つように促したが、全く足に力が入らない様子だった。


「急に両足がしびれて::、力が入らなくなっちゃった::。ごめんねせんせい::。お酒のせいかな::」


 両足のしびれ::、嫌な予感がした。


「ちょっと一回休もう」


 来た道をもどり、むらさきの前のベンチに彼女を腰掛けさせた。


「痛い所はある?」


「実は、さっき急に背中がものすごく痛くなって今も、続いてる::」


「ちょっと触るよ。痛かったら言って」


 彼女の背中を軽く押してみる。


 うっと痛みで顔が歪んだ。


 理由は明白だった。脊椎に転移した癌細胞が骨を蝕み、圧迫骨折を起こしているようだった。


 さらに良くなかったのは、しびれとして神経症状が出ていることであった。早急に手術や放射線治療を行わないと、二度と歩けなくなる可能性があるからだ。


「::救急車を呼ぼう」


 そう言った僕を、彼女は慌てて、


「そんな、大袈裟だよ。少し休めばましになると思う」


 と思いとどまらそうとした。


「君が思っているよりも、病態はずっと深刻なんだ」


 そう言った後に、なんて不安にさせるような言い方をしてしまったんだと後悔したが、彼女はすぐに、


「こめんなさい、せんせいの言う通りにします」


 と言ってゆっくりと僕の手を握った。


 救急要請をして約二十分後、救急車がサイレンを鳴らして到着した。


 ストレッチャーの上に横たわり、


「また、救急車のお世話になっちゃたな::」


 と彼女は残念そうにつぶやいた。


 救急車は再びサイレンを鳴らし、すぐそばの大学病院に僕らを運んだ。












 救急室内に彼女はストレッチャーにのせられたまま搬送され、僕はそのすぐ横についていった。


 この日の救急当直医は、見たことのある内科の医者であった。あちらも僕の事を認識したらしく、少し驚いた様子であったが特別、詮索はしてこなかった。


 彼女が僕の外来に通院中である事と、今まででの経過、そして腫瘍の骨転移による腰椎の圧迫骨折が疑われることを手短に説明すると、すぐにCTを撮像してくれた。


 画像を見るとやはり、転移が疑われた腰椎がひしゃげるように圧迫骨折をきたしていた。


 僕から整形外科の当番の先生に電話で相談をすると、すぐに救急室にきて彼女の診察をしてくれた。


 やはり、明日すぐに手術が必要との事であった。


 彼女の不安を少しでも和らげることができればと、ずっと彼女の手を握っていた。彼女は、僕に気を使っているようであったが、気にしないでと言うと、ありがとうと静かにつぶやいた。


 その日はそのまま緊急入院となり、翌日に椎体固定の手術を受け、彼女が歩けなくなることは防ぐ事ができた。ただこの一件で、彼女の体の中の病魔は刻一刻と進行しているという事実を、改めて思い知らされることとなった。手術後のリバビリの頑張りのかいもあり、入院して二週間後にはほぼ今まで通り歩行できるまでに、彼女の運動機能は回復していた。ただ、体に負荷のかかる運動や長距離の歩行は禁止された。


 整形外科の主治医から、このまま入院を継続してリハビリを続けるために、リハビリ病院への転院という選択肢もあると、僕と彼女に説明があった。


 彼女は不安そうに僕の顔を見たが、僕はすぐに、家に帰りますと返事をした。


 僕らに残されている時間はもうそう長くは無かった。






 退院してから、彼女は退職をした。彼女の仕事はデスクワークだったので続けられない事はなかったが、少しでも体の負担を減らすためにと、退職を提案した僕の意見に彼女は素直に従った。


 それ以降、炊事や洗濯なども僕が行うようにした。毎晩、僕のなれない手料理を振る舞うことなったが、彼女はかならず美味しいと喜んでくれた。


 彼女の身体のことを考え、医療用のベッドを彼女の入院中に購入した。


 ベッドの角度を電動で細かく調節することができ、腰に負担がかかりにくくなったと彼女は喜んでいた。


 各々のベッドに入り、電気を暗くする。


おやすみと言ったあと、彼女が暗闇の中でささやいた。


「ねえせんせい?」


「ん?」


「私の願い事、覚えてる?」


「うん」


「ひとつ目は、私の中では叶ったって思ってるよ。色々な所に連れて行ってもらって、とっても楽しかった。でもふたつ目はまだだよね」


「そうだね::」


「::やっぱり難しいかな::」


「正直なところ、あまり遠出は望ましくないと思う」


「::そうだよね::」


「::」


「せんせい?」


「ん?」


「わがままを言っているのは分かってるけど::、やっぱり諦めたくないよ」


「そう::」


「::::」


「分かった。今週末、舞鶴に行こう。君になるべく負担がかからないように、行き先は僕が決めておく。それでもいいかい?」


「うん::」


「::」


「::せんせい。ありがとうね」


「いいよ::、お互いに後悔はしたくないから::」


「うん::、おやすみなさい」


「おやすみ」


 その週末僕達は、僕の故郷の舞鶴に行くことにした。


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