第22話 涙の理由(わけ)

<sideルーファス>


お互いに白の婚礼衣装に着替え、レンを腕に抱き神殿への扉を開けると、


「陛下、レンさま。お待ち申し上げておりました」


と深々と頭を下げながら神殿長自ら出迎えてくれた。


珍しい。

通常なら、あの広間で我々を出迎えるはずなのに。

よほどレンが特別だと見える。

神殿長の視線がレンだけに注がれているからな。


神殿長とは時折、神託を伝えに会うことはあるが、私が神殿に入るのは久しぶりだ。

父上の跡を継いで国王となる儀式を行ったとき以来か。


ここはいつも変わらず不思議な空気を保っているな。


「陛下。結婚の儀を執り行う前に、レンさまとお話しさせていただいてもよろしゅうございますか?」


「ああ。神殿長である其方の話を遮るつもりはない。この神殿に足を踏み入れた時点で、ここの長は其方だ。私は大人しく待つとしよう」


私はそっとレンを腕から下ろした。


「ふふっ。陛下、良いお心がけでございますね」


にっこりと微笑む神殿長を前にレンは少し緊張しているようだ。


「レン、大丈夫だ。何も恐ろしいことはない。レンは神に選ばれた私の生涯の伴侶なのだからな」


「は、はい。でも、ルーファスさん……手を繋いでいてもらえますか?」


「ふふっ。もちろんだ。離れたりしないよ」


大きな手でレンの小さな手を包み込むと、緊張で少し震えていた手が落ち着きを取り戻し始めた。

大丈夫、私がついているからと念を送りながら、私はレンを見守り続けた。


「レンさま。陛下のご伴侶となることをご決断いただき、誠にありがとうございます。この決断はレンさまにとってはお辛いものであったのではないですか? ご両親もあちらにおられたのでしょう?」


神殿長は今までに聞いたこともないような柔らかな声でレンに話しかける。

レンは何もかも承知の上で私の伴侶となることを選んでくれたわけだが、神殿長になんと答えるだろうか……。


私の緊張が手を伝わってレンに気づかれなければ良いのだが……。


「確かに……僕にとっては大変な決断でした。これまで生きてきた世界での『月坂蓮』としての人生を全て捨て去って、新しいこの世界でルーファスさんと共に一から生きていこうと即決することは僕には難しかったです。その間、ルーファスさんには待たせてしまって申し訳ないと思っていましたが、ルーファスさんはそれを一度も咎めることもなくただじっと待ち続けてくれたのです。そして、僕が元の世界に帰ることを望んだら、自分が命を落とすことになったとしても僕の望むようにしてやりたい……そう言ってくれたことで、僕の気持ちは決まりました。もちろんあちらにいる両親に会いたくないといえば嘘になりますが……それでも、両親は僕が大好きな人と一緒にいることを望んでくれるでしょう。ルーファスさんの伴侶になることは、今までの人生の中で最も幸せな決断だったと自信をもって言えます」


「レン……」


レンの必死な思いが握った手から伝わってくる。

ああ、私はなんと幸せなのだろう……。

世界中の幸せを一身に集めたようだ。


これからどれほど不幸が訪れてもこの幸せで跳ね返せる気すらしてくる。


思わず手の握りが強くなって、レンがこちらを振り返った。


「ああ、悪い。あまりにも嬉しくて……」


「これくらい平気ですよ」


レンの優しい声に癒されていると、


「ふふっ。久しぶりにこんなにも清らかな方にお会いできました。レンさまのお言葉にはなんの偽りもない。本当に心から陛下を愛していらっしゃる」


と神殿長が嬉しそうに笑顔を見せる。


こんなにも楽しげに笑う神殿長を見たのは初めてだ……。

レンは皆を笑顔にさせる能力に長けているようだな。


「さぁ、素晴らしいご夫夫の輝ける未来を祈って、結婚の儀を執り行いましょう」


神殿長に連れられ、レンと共に神殿の奥へと進んでいくと、数人の気配を感じた。


んっ? 珍しいな。

通常なら、結婚の儀は我々新郎新夫と神殿長だけのはずなのだが……。


すると、急にレンの足が止まった。


「レン? どうした?」


そう声をかけたが、レンは答えることもなく、ただじっと美しい涙をポロポロと流していた。


「レンっ! どうしたんだ?」


驚いて、レンをさっと抱き上げるとレンは私の肩に顔を寄せ、何かを必死で訴えかけている。


「大丈夫、ゆっくりでいい。無理しなくていいから……」


小さな背中を優しく撫でると、ようやく落ち着きを取り戻したように見えた。


ゆっくりと顔をあげ、私を見つめたレンの口から意外な言葉が発せられた。


「あそこに……父さんと、母さんがいます……」



<side月坂蓮>


神殿長との話を終え、とうとう結婚の儀が始まるらしい。

一気に緊張が高まる。

ルーファスさんに支えられながら冷んやりとした神殿の奥へと足を進めると、誰かが壁に並んでいるのが目に留まった。


同じような白い衣装に身を包んだ人が僕たちを見つめている。

その眼差しに何となく懐かしいものを感じて、じっと目を見つめるとその人の口元が『れ、ん』と動いたのが見えた。

えっ……今、僕の名前を呼んだのは……うそっ……。


頭に浮かんだ名を言う前に僕の目から涙がぼろぼろと溢れ落ちてしまっていた。

隣でいきなり涙を流した僕を見てルーファスさんが驚くのも無理はない。

心配そうに僕を抱き上げ、どうしたんだと尋ねてくれる。


でも、あまりにも驚きすぎて言葉が出ない。

これ以上心配かけたくないのに……。


焦って声を出そうとすると、大丈夫、無理しないで良いと優しい言葉をかけてくれる。


その言葉がどれだけ僕を落ち着かせてくれるか、ルーファスさんは知らないだろうな。


ルーファスさんのおかげで落ち着きを取り戻し、ようやく口にできた。


「あそこに……父さんと、母さんがいます……」


今度はルーファスさんが驚く番だった。

涙こそ出さないまでも、目を大きく見開いて何度も僕と父さんたちをみている。


「レン、今、あの者……いや、あの方達が父上と……母上だと、そう言ったか?」


「はい。あそこに居るのは、父さんと母さんに間違いありません」


「だが……レンは、違う世界から……」


「はい。でも……確かに僕の名前を呼んでくれました」


「神殿長……これは、どういうことなのだ?」


驚愕の表情を浮かべながら、ルーファスさんが尋ねると神殿長さんはにっこりと微笑み、ゆっくりと口を開いた。


「レンさまがこの世界に留まると決意なさったその瞬間、神によってお二人はここに呼び寄せられたのです」


僕がこの世界に留まると決めた時……それは……


――僕は元の世界には帰らない。ルーファスさんのそばで一緒にいたい。


ルーファスさんとイシュメルさんの前で宣言した時だ……。


「レンさまが指輪の力によってこの世界に来られたあと、お二人の前に神が現れたのだそうです」


「神が……?」


「はい。そして神はお二人にこう仰ったのです。

『レンは遠い世界の国王の伴侶として選ばれた。其方たちにはその伴侶に選ばれし息子を慈しみ育てた褒美としてなんでも欲しいものをやろう。永遠の命か? 金銀財宝か? それともこの世界の王となるか? なんでも欲しいものを言え』と。陛下……お二人は何を神に願ったと思いますか?」


「もしや……」


ルーファスさんは何かわかったんだろう。

そして、それは僕と同じ答えなのかもしれない。


ごくりと息を呑みながら、続きの言葉を待つ。


「ふふっ。お二人は考える間もなく、すぐに『蓮の元に連れていってください』と即答されたのですよ」


「――っ、父さんっ!! 母さんっ!!」


僕はもう我慢ができなくて、父さんと母さんのそばに駆け寄った。


「蓮っ!!」


二人にギュッと抱きしめられて、懐かしい匂いに包まれる。

本当に本物の父さんと母さんなんだ……。


「ねぇ、僕のせいで、ここまで来てくれたの?」


「ふふっ。違うわよ。母さんたちが蓮がいないと生きていけないと思っただけ。だからお願いしたの。お金も命も何もいらない。蓮のそばにいられたらそれでいい。どんな世界だって、蓮さえいてくれたらそれでいいって、そう思ったの」


「母さん……」


「父さんもだ。蓮がいない世界で王になって何が楽しいんだ? 蓮がいないのに金があって何を楽しめるんだ? 父さんはずっと言っていただろう? 貧乏でもいい、家族が一緒に居られたらそれだけで楽しいんだって……」


「父さん……」


母さんと父さんからの言葉にもう涙が止まらない。


「ここに来られてよかった。蓮の幸せな姿が見られたんだもんね。その衣装もすごくよく似合ってるわ」


母さんにそう言われて、自分が婚礼衣装を着ていることを思い出した。

母さんに褒められて照れるけど、嫌な気はしない。

だってルーファスさんとの大切な婚礼衣装だもん。


「でも、蓮……お前、相当悩んだのだろう?」


「えっ? なんでそれを……?」


「さっき、神殿長さまが仰っていただろう? お前がこの世界に留まると決めた時、私たちが呼び寄せられたって……」


「あっ、そうだ」


僕がこの世界に来て留まると決めるまで数日あった。

父さんたちが僕がいなくなってすぐに即答したなら、もっと早くこの世界に来てないとおかしいんだ。


「気づいたか?」


「うん、でもどうして?」


「神さまが仰ったんだ。蓮が国王さまとの結婚を悩んでいるとな。だから、父さんたちはずっと蓮のことを見守っていたんだ。蓮の決断を待とうって。蓮は優しい子だから、もしかしたら自分の幸せより父さんたちを心配して戻ってくるんじゃないかって、母さんと緊張していたが、お前がこの世界に留まると決断したと知らせが来て嬉しかったよ。やっとお前は自分の幸せを願ってくれたんだなって」


「父さん……ありがとう」


「あのお方がこの国の王さまか?」


「うん、ルーファスさんだよ」


僕が振り向くと、ルーファスさんは僕のところに駆け寄ってきてくれた。

きっとずっとタイミングを伺っていたんだろう。

せっかくの親子の対面を邪魔しないように気遣ってくれていたのかもしれない。


「レン……お父上とお母上に会えてよかったな」


「はい……僕、とっても幸せです」


僕が笑顔を見せると、ルーファスさんも嬉しそうに笑っていて、その綺麗な瞳に涙が潤んでいたのが印象的だった。

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