第18話 勘違い

<side月坂蓮>


「あの……このベルって……どこまで、聞こえてるんですか?」


「どこまで? どういう意味だ?」


僕の言葉にルーファスさんは本当に意味がわからないといった表情を見せた。


うーん、なんて言ったら伝わるかな?


「その、ルーファスさんがベルを鳴らすと……すぐにクリフさんが部屋にこられますよね?」


「ああ、そうだな。そのためのベルだからな」


「その……こんなちっちゃな音も、外に筒抜けってことなのかなって……ってことは、僕の……その、声も外に聞こえてるのかなって、思って……」


もしかしたら今、こうして話している声も外にいる騎士さんやクリフさんに聞こえてるんじゃないかと思ったら、恥ずかしくてどんどん声が小さくなってしまう。


見れば、さっきまで不可解な表情を浮かべていたルーファスさんが笑っている。


「ああ、なるほど。そういうことか。私がきちんと説明していなかったから勘違いさせていたのだな。レンを不安にさせてすまない」


「えっ? 勘違い? それはどういう意味、ですか……?」


「ふふっ。レン、心配しなくていい。このベルの音を聞いてクリフが部屋にきているわけではないんだ。このベルを鳴らすと、クリフの胸につけているバッチが震えて知らせるようになっているんだよ」


「じゃあ、僕の声は外には……」


「もちろん一ミリも聞こえていないよ。この部屋は完全防音だから、どこで話しても外に漏れ聞こえることはない。扉の前で警備している騎士たちにも一切聞こえていないよ。まぁ、訓練を積んだ騎士だからもし、この部屋に賊が現れた時にはその殺気でいつもと違う気配を感じ取ることはできるがな」


「気配……ああ……そう、なんだぁ……」


ルーファスさんの言葉に安堵のため息が漏れる。


「レンはそれが心配だったのか?」


「だって……恥ずかしいから」


「もしかして、後孔を拡げるのが風呂場がいいと言ったのも?」


「……ルーファスさん以外の人に、声が聞かれたら恥ずかしいなって……」


恥ずかしさに震えながら頷くと、ぎゅっとルーファスさんの胸に抱かれた。


「レン……それは私は特別だということだな?」


嬉しそうな声でそう尋ねられて僕はルーファスさんの腕の中で頷くと、


「ああ、なんて幸せなんだろうな」


とさらにぎゅっと抱きしめられた。


「レン……其方の声も何もかも全て私だけのものだ。他の誰にも与えたりはしないよ」


「じゃあ、ルーファスさんの声も……何もかも僕のものってことですよね?」


「ああ、そうだ。嬉しいか?」


そう問われて考えることもなく声が出た。


「はい。僕だけのルーファスさん……嬉しいです」


背中に回した手でぎゅっと抱きつくと、ルーファスさんは僕の耳元で


「レン……愛してるよ」


と言ってくれた。



こんな幸せな場面なのに『きゅるるっ』と我慢できないお腹がまた鳴り出した。


「ふふっ。レンの腹は限界に近いようだな。すぐに食べさせてやらないと」


そう言って、抱きしめていた腕を離し僕を見た瞬間、


「――っ!!!」


と息を呑んだ。


「??? ルー、ファスさん? どうしたんですか?」


急に動きの止まったルーファスさんにびっくりして声をかけると、突然ルーファスさんの鼻からツーッと赤いものが垂れてきた。


「わぁっ!! ルーファスさんっ!! 鼻血! 鼻血が出てるっ!!」


慌てて目に入ったふわふわのタオルをルーファスさんの鼻に当てようと引っ張った瞬間、自分の肩からするりとタオルが落ち、そのまま半裸になってしまっていた。


「わっ!!」


露わになってしまった胸を隠そうとタオルを引っ張ると今度は自分のささやかなモノが見えてしまう。


「――っ!!!!!」


それを見てさらにルーファスさんの鼻血が勢いを増し、鼻に当てていたタオルがどんどん血に染まっていく。


「わぁーっ!!! どうしようっ!!」


ルーファスさんの血の量に焦った僕は慌ててベッド脇に置いてあったベルを力一杯鳴らした。


すると、ドンドンドン!! とものすごい勢いで扉が叩かれたかと思うと、


「ルーファスさまっ! レンさまがどうなされたのですかっ???」


と慌てふためいた様子でクリフさんが寝室に飛び込んできた。



<sideルーファス>



レンの質問がまさかベルのことだとは思わなかった。

確かにこの小さなベルを鳴らすとクリフが飛んでくるのだから、そう思っても無理はない。


自分の声が外に漏れ聞こえていると心配して、マッサージを寝室ではなく風呂でと言っていたレンのいじらしさも可愛かったし、それに何より私以外には聞かれたくないと思ってくれたのも嬉しかった。


お互いに愛を確認したところでレンの可愛い腹が鳴って、食事を摂らせようと体を離した時、私の目に飛び込んできたのはレンの可愛らしい裸だった。

レンの綺麗な身体が全ておくるみの隙間から見えてしまっている。


寝室で不意に見えたその美しい裸体に目が釘付けになり、一瞬にして興奮し滾った熱が鼻血となって噴き出してしまった。


私が突然鼻血を出して驚いたレンが自分の身体を包んでいたおくるみで私の鼻血を拭ってくれようとしたのだが、そのせいで私の眼前にレンの綺麗な裸体が晒されてしまった。


そのあまりにも美しい身体に興奮が止まらなくなってしまい、鼻血は止まるどころかどんどん勢いを増していく。

レンがあてがってくれたタオルはどんどん血に染まり、パニックになってしまったレンはクリフを呼ぶためのベルを思いっきり鳴らしてしまったのだ。


あれはベルの大きさによってバッジが受け取る振動も増す。

緊急事態であればあるほどベルを激しく振りバッジへの振動も増すのだ。


それを知らないレンが激しくベルを鳴らしたために、クリフはとんでもないことがこの部屋で起こったのだと思い、扉を蹴破るくらいの勢いで部屋に飛び込んできたのだ。


寝室の扉がガチャリとなった時に我に帰った私は、一瞬で今の状況を整理し、裸になっているレンの身体を布団で覆い隠した。


「ルーファスさまっ! レンさまがどうなされたのですかっ???」


と寝室に入ってきたクリフが目にしたのは、布団にくるまり顔だけ出しているレンと、血塗れになったレンのおくるみを手にしている私の姿だった。


この時クリフが、私が無理やりレンを襲いレンを血塗れにしたと勘違いしているとは、その時の私には考える余裕もなかった。



<sideクリフ>


レンさまがルーファスさまの伴侶になることを承諾してくださったことは、この上ない幸せであった。

ルーファスさまのお父上であられる、前国王エルヴィスさまもずっとルーファスさまに生涯の伴侶が現れることだけを願っておられたのだから。


ルーファスさまが成人なさって15年も経ってからようやく現れた生涯のご伴侶さまが異世界から来られたお方であったというだけでも驚きだったが、元の世界に帰りたがっていると伺った時は目の前が真っ暗になる思いだった。

もし、本当にレンさまがお帰りになったら、ルーファスさまは自身できっと命を絶たれる……いや、それどころか神の手によって命を落とすことになるだろうと思っていたからだ。


ルーファスさまの強い想いがレンさまの心を動かし、この世界に留まることを決意なさったとご報告をいただいた時は、飛び上がるほど嬉しかった。


この15年の間、ルーファスさまのご伴侶さまがいつ現れてもすぐに結婚式が執り行えるようにしていたから、レンさまのお気持ちが変わらぬうちに明日にでも結婚式を……と思っていたのだが、ルーファスさまから指示されたのは1ヶ月後。

あれほどレンさまとの結婚を待ち侘びていらっしゃったのになぜひと月もお待ちになるのか、私は不思議で仕方がなかった。


それでもルーファスさまのご指示には従わなければならない。

ひと月後の結婚式に向けて滞りなく進めていかなければならないと思いつつも、やはり理由が気になる。


ルーファスさま付きの世話役として知っておかねばならないと思い、私はまだ城内におられたイシュメルさまの元へ向かった。


イシュメルさまは最初こそ、レンさまの個人的なことだからとお話しくださらなかったが、なんとか食い下がると教えてくださった。


どうやら、ルーファスさまのお大事なものをレンさまが受け入れられるようになるまでにひと月ほどかかるとのことで、レンさまのお身体のことをお考えになってイシュメルさまがそうご指示なさったそうだ。


私に教えてくださったのは、ルーファスさまが我慢できずにレンさまに襲いかかったりしないようにという監視の意味も込めてだったようだ。


ルーファスさまがレンさまに襲いかかるとは到底思えないが、なるほど……考えてみれば、確かにそうだ。


レンさまはもう疾うに成人を迎えられたそうだが、この世界の10歳くらいの子どもたちとほぼ体格が変わらない。

それであの逞しい身体をお持ちになったルーファスさまの夜伽のお相手をなさるのだ。

少し解した程度ではルーファスさまのお大事なものを到底受け入れられそうにない。


イシュメルさまが仰るには、今まで異世界より来られたお方も十分に解して臨まれても、寝室が血の海になったというのだから、ルーファスさまがレンさまのためにひと月我慢なさるのは当然かもしれない。


さすが、ルーファスさま。

レンさまのお身体のために自分の欲望すらお捨てになるのだと私は安堵したのだ。


イシュメルさまからのお薬を部屋に届け、今からマッサージをなさるとのことで、イシュメルさまのお話を聞いたばかりで少し心配ではあったものの、ルーファスさまのレンさまを想うお気持ちを信頼しながら、私は結婚式のことについて一人考えていた。


その時だった。

私の胸のバッジがけたたましく震え出したのは。


この胸のバッジはルーファスさまの部屋に置かれているベルと連動していて、ベルを鳴らす大きさによって震え方が変わる。


優しく振れば優しく震え、激しく振れば激しく震える。

その震え方によってルーファスさまの用事がどれほどのものかを判断することができるのだが、今回のそれは前国王であられるエルヴィスさまの頃から今まで、ただの一度もないと言い切れるほど激しい震え方だった。


そう、それこそとんでもない緊急事態。

まさしく人の生死にかかるほどの緊急事態だ。


一体、ルーファスさまの部屋で何が?

そう思った時、頭に浮かんだのは先ほどのイシュメルさまとの話。


もしかして、レンさまのお身体に欲情なさって興奮を止めることができずに、ルーファスさまが無理やりレンさまを組み敷いたのではないか。

そして、レンさまのお身体が血塗れに……。


そうであればこの激しいバッジの震えは合点がいく。


ああっ!

私がバカだったのだ。

15年も待ち続けてきたご伴侶さまの裸を目にすれば、ルーファスさまの鋼のような理性も一瞬にして粉々に砕け散るのはわかっていたはずだ!

だからこそ、イシュメルさまは監視のためにと私にお話ししてくださったというのに……。


レンさまがお怪我をなさったのは全て私の責任だ。

すぐにでもレンさまの元に駆けつけ、ルーファスさまから引き離さなくては!!


私は急いでルーファスさまの部屋へと駆けつけ、寝室の扉を開けた。


「ルーファスさまっ! レンさまがどうなされたのですかっ???」


そう叫んで寝室に飛び込んだ私がみたのは、血塗れのお包みを手に持つルーファスさまと、布団をすっぽりと被り茫然とした表情でベッドに横たわっているレンさまの姿だった。


あのお包みは……お肌の弱いレンさまのために特別に用意したもの。

それがあんなにも血塗れになっているということは……間違いないっ!!


ルーファスさまが無理やりレンさまに手を出そうとなさってお怪我をさせたのだ!


ああ、やはり私がついていなかったばかりにレンさまにとんでもない傷を負わせてしまった……。

悔やんでも悔やみきれない。


「クリフ……お前――」

「ルーファスさまっ!! 貴方さまはなんということをなさったのですかっ!! エルヴィスさまが生きていらしたらお怒りになりますよっ!! レンさまに無体なことをなさるなんてそんなこと!! もうレンさまをルーファスさまのおそばには居させられません!! すぐに客間に! いや、先にイシュメルさまをお呼びしてレンさまの診察を――」

「クリフっ!!! いい加減に落ち着けっ!!!!!」


あまりの出来事に混乱してあれこれと叫んでいると、ルーファスさまの怒鳴り声が響き渡った。


ハッと我に返り、ルーファスさまを見れば、ルーファスさまがあの血塗れのお包みを鼻に当てているのが見えた。


「えっ……ルー、ファスさま……それは一体、何をなさって、おいで……なのですか?」


「はぁーーーっ」


ルーファスさまは私の言葉に呆れたようにため息を吐き、


「あの、クリフさん……ルーファスさん、鼻血を出しちゃったんです。それで僕がタオルを……」


とレンさまが説明をしてくださった。


「えっ……はな、ぢ……でございますか? では、レンさまがお怪我をなさったのでは……?」


「僕はどこも怪我してないですよ、大丈夫です。あの、ルーファスさんが鼻血を出したから僕びっくりしてつい激しくベルを振ってしまって……驚かせてごめんなさい」


レンさまがそう仰ったことで、どうやら私の勘違いだとわかった。


「ルーファスさま、申し訳ございません! なんとお詫びを申し上げて良いか……」


慌ててルーファスさまに謝罪の言葉を述べながら深々と頭を下げると、


「お前……もう少し私を信用しろ!」


と呆れた声をかけられたものの、


「だが、お前がそれほどレンのことを心配してくれたことは嬉しく思う。レンもこれで何かあればお前が守ってくれるとあって心強く思ったことだろう」


と同時に優しい声をかけてくださった。


「ルーファスさま、ありがとうございます」


「ああ、誤解が解けてよかった。悪いが、今から着替えをするからしばらく外に出ていてくれ」


「承知いたしました」


「あ、それからイシュメルに話があるから部屋に来てくれと伝えてくれ。まだ城にいるだろう?」


「はい。すぐにお呼びいたします」


私は急いで部屋を出て、イシュメルさまの元へ向かった。

さて、お話とは一体何事だろう?

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