第11話 甘い時間と不思議な二人

<sideルーファス>


王家の書庫でひたすら真剣に書物を読み耽るレンを見て、複雑な思いを抱えていた。

レンにとって望むことをしてあげたいと思いつつも、元の世界に帰る方法など見つからなければいいと思う自分もいて、それがレンへの裏切りではないのかと自分で自分が許せない。


けれど、もし、レンが本当に元の世界に帰ってしまったら……?

もう私は、ずっと待ち続けた生涯の伴侶と離れて生きていける気がしないのだ。

出会わないうちなら我慢もできた。

それこそ、一生一人でいる覚悟もしていたのだ。


だが、私は出会ってしまった。

そして、レンの温もりも抱きしめた感触も私を呼ぶ可愛らしい声も全て知ってしまった。


それを何もなかったことにして今まで通り暮らすことなどできるはずがない。

そう思いながらも、あんなにも真剣に元の世界に戻れる方法を探そうとしているレンを止めることもできない。


そうだ。

私はただレンに嫌われたくないだけなのだ。

物分かりがいい風を装っているが、心の中ではレンに帰ってほしくない。

ただそれだけだ。


けれど、レンが両親を恋しがって悲しむ姿も見たくない。


ああ、もう私はどうしたらいいのだろうな……。


「ルーファス、お前……酷い顔をしてる。少し休憩しないか?」


「レナルド……」


「レンくんもそろそろ休憩させないと、あの子の身体には負担がかかりすぎていないか? クリフに伝えてくるから、お前はレンくんに声をかけておいてくれ」


確かにそうだ。

あの小さな身体は体力も消耗しやすいことだろう。


私はレンに中庭で食事にしようと声をかけた。

すると、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。


ああ、こうやってレンの笑顔をずっと見ていられたら……私はそれだけで幸せでいられるのに。




「わぁっ、すっごく広くて綺麗なお庭ですね。花壇も噴水も綺麗っ!!」


「気に入ってもらえて嬉しいよ。今日はいい天気だし、外で食べるにはもってこいだな」


「ルーファスさま、あちらの東屋にお食事の支度が整っております」


私たちの姿を見かけてさっと近づいてきたクリフが示した場所を見れば、数人の使用人たちが我々が到着するのを待ちかねているようだ。

遠目に見ても、東屋のテーブルには綺麗に食事が並べられているのがわかる。


だが、せっかくならレンを喜ばせたいのだ。


「東屋か……」


「何かございましたか?」


「レン。せっかくこんなにいい天気なのだから、草の上に敷物を敷いてその上で食事をしないか?」


「わぁ、楽しそうですね」


「そうだろう? クリフ、せっかく用意してくれたところ悪いがそのようにしてもらえるか?」


「承知いたしました」


クリフはそういうが早いが、すぐに東屋へ駆け出して行きあっという間に大きな木の下に敷物を敷き、低めのテーブルに料理を綺麗に並べ直していた。


「すごいっ! もう準備ができてますね」


「ああ、この城の使用人たちは皆優秀だからな」


レンの手を取って、木の下に向かうとレンはさっと靴を脱いで敷物の上に乗った。


「レン? どうして靴を脱いだのだ?」


「えっ? だって、靴のままでは敷物が汚れてしまいますよ? そうなったら洗うのも大変ですし、それに……こんなふかふかの敷物は裸足の方が絶対気持ちいいじゃないですか。ルーファスさんも裸足になりましょうよ」


そう言ってにっこりと女神のように微笑むレンの姿に私はもちろん、レナルドもクリフもそして、周りにいた使用人たちもハッと息を呑んだ。


ああ、私の伴侶はなんと思慮深いのだろうな。


「そうか。なら私も靴を脱ぐとしよう」


「ふふっ。はい」


しかし、国王が人前で靴を脱ぐなど考えられないことだ。

クリフもレナルドも私の行動に驚いているが、レンの誘いを断ることなどできるはずがない。

レンを待たせたくないと急いでブーツの紐を引き、脱ごうとすると、


「あ、僕が脱がせてあげますよ」


そう言って、驚く私をよそにレンは私の前に座り込み、私の足を膝の上に乗せ小さな手で重い私の靴を脱がせてくれた。


「ルーファスさん、こっちの足も出してください」


「あ、ああ」


私は目の前で起きていることが信じられず、ただただ茫然と足を差し出すと、レンは嬉しそうに靴を脱がせてくれた。


「さぁ脱げました。どうですか? 裸足で敷物の上に乗るのもなかなか気持ちいいでしょう?」


「ああ、そうだな。実に気持ちがいい」


裸足で敷物に乗るなど、こんなこと初めてだ。

だが、敷物の下にある土や草の感触が足から伝わってくる。

レンの言う通り、本当に気持ちがいいな。



「今までは靴を履いたままだったんですか?」


「そうだな。裸足がこんなに気持ちいいものだったとは……素晴らしい発見だ。レンのおかげだよ」


そういうと、レンは嬉しそうに微笑んだ。

その笑顔に私だけでなく、レナルドやクリフ、そして他の者まで癒される。


その可愛らしい笑顔を私だけで見たいという独占欲もあるが、私の伴侶はこんなにも素晴らしい者なのだと見せびらかしたい気持ちにもなる。


そういえば、父上が言っていたな。


――クレアを部屋に閉じ込めて自分だけのものにしてしまいたい衝動に駆られる時がある。だが、それと同じだけ、この美しいクレアが私だけのものなのだと優越感に浸りたくなる。生涯の伴侶とは自分の心をも乱れさせてしまうほどの存在なのだ。


今思えば、あの時は父上の仰っている意味の本質を理解していなかったのだろう。


だが、今ならわかる。

レンを閉じ込めて自分だけでずっと愛でて私だけのものにしておきたい。

レンが私だけに向ける微笑みを見せつけて私だけのレンだと見せつけたい。


こんな想いを今まで誰にも感じたことがなかった。


本当に生涯の伴侶とは途轍もない存在だ。

そんなレンと離れてなど暮らせるわけがないな。

父上と母上が一緒に亡くなったように、私もレンがこの地を旅立った瞬間命が潰えるのかもしれない。


だが、それでいい。

レンのいない人生など、もう私にはないのも同然なのだから。


ならば、レンといられるこの瞬間を楽しむことにしよう。

そうだ。

それでいいんだ。


「ルーファスさん、何から食べますか?」


「レンは何がいい?」


「僕はこのサンドイッチが食べたいです」


「じゃあ、これにしよう」


レンが食べたいと指差したハムとレタスの入ったサンドイッチをレンの口に運ぶと、レンはなんの躊躇いもなく口を開けパクリとそれを頬ばった。


小さな口はサンドイッチの隅っこを齧っただけだったが、それでもレンは美味しそうに頬を紅潮させた。


「このサンドイッチ、とっても美味しいですね。ルーファスさんも食べてみてください」


レンが新しいサンドイッチを手に取ろうとしたので、


「レン、私はこれが食べたい」


そう言ってレンの食べかけのサンドイッチを口に入れようとすると、


「ああ、ダメですよ。ルーファスさん」


と止められてしまった。


ああ、レンの食べかけが食べたかったのだが、さすがにそこまでは許してくれはしないか……。


がっかりした気持ちでそのサンドイッチを皿に置こうとすると、レンが私の手からそっと食べかけのサンドイッチをとり、


「もう! 僕が食べさせるんでしょう? 自分で食べちゃダメです」


と少し拗ねた様子で私をみながら、


「あ〜ん」


と可愛らしい声で食べさせてくれようと私の口の前へと運んでくれた。


私はただただレンの可愛さに茫然と口を開けると口の中にサンドイッチが入ってきた。


「ルーファスさん、どうですか? 美味しいですよね」


「ああっ、レンが食べさせてくれたから今まで食べたサンドイッチの中で一番美味しかったよ」


「ふふっ。ルーファスさんったら」


レンが……レンが、自分の食べかけを嫌がることなく……それどころか、それを私に食べさせてくれた……。

こんな幸せなことがあっていいのだろうか……。


私はその後も夢見心地でレンとの食事を楽しんだ。




<sideレナルド>



書庫で何を考えていたのか、どんどん顔色が悪くなっていくルーファスを見ていられず気分転換に食事をしに行こうと声をかけた。

きっとレンくんが元の世界に帰る方法を見つけてしまったら……と考えていたに違いない。


絶対に帰ってほしくないくせに、あいつはそんなことを決して言わないだろう。

自分の思いより人の気持ちを優先するやつだ。

それが国王として育てられてきたあいつの考えなのだろうが、それ以上に相手が生涯の伴侶だから余計なのだろう。

レンくんが悲しむことはしたくない。

たとえ、自分がそれで命を落としたとしてもそれを厭わないだろう。


できることならレンくんにはこの地に残って、ルーファスと共に幸せになってほしいが……私がいうことではない。

これは二人の問題だ。

だから、私はそばで見守るだけだ。


二人を書庫に残し、急いでクリフに中庭で食事をするからすぐに支度をするようにと指示を出した。

どうやらクリフはそれをすでに考えていたようで、食べやすい食事を料理長に用意させていたようだ。

やはり、前国王であるエルヴィスさまのおそばで支えていただけのことはある。


私は急いで書庫に戻り、ルーファスとレンくんと共に中庭へと向かった。


今日は風が心地良い。

日差しも強くなく、中庭で食べるにはもってこいの天気だろう。


見晴らしのいい場所にある東屋では数人の使用人たちが急いで食事の支度をしているのが見える。


クリフが準備が整ったとルーファスに話をしにいくと、ルーファスは何を思ったのか東屋ではなく敷物を敷いて食べようとレンくんに話を持ちかけた。


椅子とテーブルのある東屋で食べる方がはるかに食べやすいだろうし、レンくんがそんなことを喜ぶとは……と思ったが、私の予想に反して、レンくんは大喜びしていた。


ルーファスはきっとレンくんが喜ぶのがわかっていたのだろう。

私の知らないこの半日の間に二人の関係はどうやら変わってきているようだ。


クリフたちがあっという間に大きな木の下に食事ができるようにスペースを整え、ルーファスはレンくんを連れて敷物に乗ろうとしたのだが、レンくんは突然靴を脱ぎ始めた。


ルーファスはもちろん、私もクリフもレンくんの行動に驚きを隠せない。


だが、レンくんは靴のまま敷物に上がっては汚れて洗濯も大変だといい、しかも裸足の方が気持ちがいいと言い切った。


確かにあのふわふわな敷物に靴のまま上がれば土が染み込み、洗うのは一苦労だろう。

現に厩舎の近くにある洗濯部屋で女中たちが大変そうに洗っていたのを見かけたことがある。


あの時は特に気にも留めなかったが、レンくんのように裸足で上がっていればあの者の手間も随分と省けるはずだ。


裸足が気持ちがいいというのは付け足しの理由だろう。

きっとレンくんはこれを洗うことになる女中の気持ちを慮ったんだ。

なんと思慮深いことだろう。

レンくんこそ、王妃に相応しい。

だからわざわざ世界を超えてまでルーファスの伴侶に選ばれたのか……。

そう思わずにはいられない。



「なら私も靴を脱ぐとしよう」


ルーファスのその言葉にクリフは驚きの表情を見せ、止めようとしたが私がさっと手を伸ばし制すと、クリフははっと息を呑んで踏みとどまった。


クリフが止めようとする気持ちは痛いほどわかる。


リスティア王国の国王ともあろうものが人前で裸足になるなどもってのほかだ。

だが、あの嬉しそうなルーファスの表情を見ては止めることなどできるはずもない。


今は静かに見守っていてあげよう。

少しでも二人が楽しい時間を過ごせるように。


すると、急いでブーツの紐を取り靴を脱ごうとするルーファスの前に、突然レンくんがしゃがみ込んだ。


「――っ!!!」


私もクリフも、そして当の本人であるルーファスも、突然のレンくんの行動に驚きを隠せなかった。


だが、レンくんは動じることなく


「僕が脱がせてあげます」


とルーファスの足を膝に乗せ、丁寧に靴を脱がせていく。

そして、もう片方も同じようにあっという間に靴を脱がせた。


その手慣れた手つきに驚くのはもちろんのことだが、おそらくレンくんは靴を脱がせることがどういう意味を持つか知らないのだろう。


レンくんのいた世界がどうかは知らないが、この世界では靴を脱ぐのは風呂か、ベッドに入る時のみ。

すなわち、相手の靴を脱がせるということは、今から愛し合いたいという意味を表すことになるのだ。


レンくんのあの表情を見れば、レンくんにそんな気持ちはさらさらないのはわかる。

だが、ルーファスにしてみればドキドキものだろう。

愛しい人からそのようなことをされてよくぞ平気なふりができるものだ。

本当にルーファスの忍耐力に感心する。


敷物の上に裸足で下り立ったルーファスは幸せそうな笑みを浮かべ、レンくんと話をしている。

ああ、きっとこれからこの二人の中では中庭での昼食に裸足がつきものになるのだろうな。


「クリフ、あれが二人のルールだ。尊重してやってくれ」


「承知いたしました」


おそらく前国王であるエルヴィスさまとクレアさまにも二人だけのルールがあったはずだ。

いつかきっと我が息子ウォーレスも、ルーファスとレンくんのように、生涯の伴侶と二人だけの甘いルールを作っていくのだろう。


その時は私もクリフのように静かに見守ってやらねばな。



広い敷物にピッタリと寄り添って座るルーファスとレンくんの前には、外で食べやすいようにと配慮された料理が並んでいる。


クリフが二人の様子をじっと見つめているのは、レンくんが何を手に取るか、どういうものを好むのかを知るためだろう。

本当にクリフは執事として優秀だな。


レンくんがたくさんの料理の中からサンドイッチが食べたいというと、ルーファスはそれを手に取り、レンくんの口元へ運ぶ。

それをレンくんはなんの躊躇いもなく口を開け、それが当然だとでもいうようにルーファスの差し出したサンドイッチを美味しそうに頬張った。


「な――っ!」


驚く私を横目にクリフも使用人たちも気にしていない様子だ。


「クリフ……今のを見て、驚かないのか?」


「はい。昨夜からあのご様子ですので」


「昨夜から?」


レンくんは元の世界に帰りたいのではなかったのか?


驚く私の前でさらに驚くべきことが起こった。


サンドイッチがよほど美味しかったらしいレンくんはルーファスにも食べるように勧めると、ルーファスはレンくんの食べかけが食べたいと言い出したのだ。


国王が人の食べかけを口にしたいと言い出すのも前代未聞であるが、誰かの食べかけを口にするとすれば、それはもう伴侶しかいない。

それが普通だ。


ルーファスが手に持っていたレンくんの食べかけのサンドイッチを口に運ぼうとすると、


「ああ、ダメですよ。ルーファスさん」


とレンくんに止められていた。


ああ、流石にこれはな……。

と思っていると、レンくんはルーファスの手から自分の食べかけのサンドイッチを取り、


「もう! 僕が食べさせるんでしょう? 自分で食べちゃダメです」


と可愛らしく怒りながら、ルーファスに


「あ〜ん」


と優しく甘い声をかけルーファスの口へと運んだ。


私は一体何を見せられているのだ?

この二人はもうすっかり夫夫のようではないか。


んっ?

レンくんはこの世界に留まり、ルーファスの伴侶となってこの国を守っていく決心がついたのか?


いやいや、さっきまで書庫で真剣に帰る方法を探していたはずだ。


一体どういうことなのだ?


二人の様子を見れば、どう見たって仲睦まじい新婚夫夫。

離れ離れになることなど考えられないようなその姿に首を傾げながら、二人の甘い昼食風景をただただ見守るしかなかった。

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