第9話 幸せな時間
食事の後は風呂だ。
流石に一緒に入るのは理性が持たないかもしれないが、ここの風呂はレンには深すぎる。
溺れてしまう恐れもあるのだから、一人で入らせるわけにはいかない。
一緒に入りたい、だがレンの裸は刺激が強すぎる。
そんな葛藤の末、仕方なく浴場ではなくシャワールームに案内してなんとかことなきを得た。
レンがシャワーを浴びている間に私も急いで風呂を済ませ、レンのいるシャワールームに戻った。
私が戻ると、ちょうどレンも着替えを済ませた後でホッとした。
自室に連れ帰りすぐにレンに飲ませたのは、消化吸収を助ける薬とほんの少しの睡眠薬入りの水。
恐るべき体験をしたレンが魘されたりしないように、深い眠りへと
それに何より、レンが眠ってくれていたら私もレンに邪な思いを抱かずに済む。
無自覚に煽られて限界を突破し、レンに手を出してしまうのは絶対に避けなければいけないことだからな。
明日、私の仕事が休みだと告げ、レンにどこか行きたいところはないかと尋ねた。
「あの、じゃあ……その、僕がいた世界に戻れるかもしれない方法を探しに行きたいです」
「――っ、レンっ! それは――」
「ごめんなさい……ルーファスさんにはこんなによくしてもらって、お世話になってるのに。でも、僕……元に戻れる方法があるのかないのかそれが早く知りたくて……。この世界にはすごく興味があるんですけどそれを知らないままで、楽しめそうにないっていうか……みんなを騙しているようで申し訳ないっていうか……うまくいえないんですけど……」
レンは苦しげな表情で一生懸命言葉を選びながら、思いの丈を吐露した。
そこにはレンなりの覚悟というか、決意が見えたような気がしたのだ。
レンは絶対に帰りたいと思っているわけではないのだと。
方法があるかないかを知りたいのだと。
そう言っていると感じた。
だから私は、レンを明日王家の書庫に連れていくことを決めたのだ。
そこでどのような結果が出るのかはわからない。
それは私の賭けでもある。
それでもレンの覚悟や決意を無駄にはしたくない。
その思いでいっぱいだった。
表情が柔らかくなったレンを連れ、寝室にいきベッドに横たわる。
風呂に入って温まったばかりのレンからは甘く芳しい匂いが漂ってくる。
これはあの石鹸の香りではない。
レン自身から漂っている匂いだ。
ああ、なんといい匂いなのだろう。
その甘やかな匂いに陥落しそうになりながらも、レンに布団をかけた。
暖かな布団をかけたが細く華奢なレンは寒いと感じるかもしれない。
寒ければ私の布団を奪ってくれていいからというと、レンは冗談とでも思ったのか嬉しそうに笑いながら、そのまま眠りに落ちていった。
どうやらもう薬が効いたようだ。
レンの穏やかで可愛らしい寝息を聞きながら、私も眠りについた。
* * *
――るーふぁす……だっこしてぇ……。ふふっ。るーふぁす、あったかくて、いいにおい……。
レンっ!
ああ、なんて可愛いんだ!
もう絶対に手放さないぞっ!
そう叫んだ瞬間、腹に何か小さな衝撃を感じて目を覚ました。
なんだ、夢だったか……。
さっきの夢のようにレンを抱きしめて寝られたらどんなに幸せだろうか。
いや、同じベッドで寝られるだけ幸せだと思わなければ。
ふと隣で寝ているはずのレンに目を向ければ、私の腹に小さな手を投げ出し気持ちよさそうに眠っていた。
可愛らしい寝相だ。
さっきの衝撃はレンのこの小さな手の仕業だったか。
起こさないようにそっと指に触れるとひんやりとしている。
やはりレンにはこの朝の気温は少し寒かったようだ。
風邪をひかないように布団をかけてやろうと手を伸ばすと、レンが小さな身体を震わせながら私の元へと擦り寄ってきた。
「――っ!」
あまりの突然の嬉しい出来事に身体が硬直しつつ、レンの動向を窺っていると、レンは私の胸元にピッタリと顔を寄せスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
ああっ、寝起きで汗臭いかもしれない。
こんな匂いを嗅がせてレンが起きてしまっては……と、慌てて引き離そうとレンに触れようとしたところで、
「――っ!!!!」
レンが嬉しそうに微笑んだのだ。
「ぅん……っ、いい、におい……」
ポツリとそう呟くとまた気持ちよさそうにすやすやと深い眠りに落ちていった。
私は声が出そうになるのを必死に両手で口を押さえながらも、今、目の前で起こっている事実を信じられずにいた。
まさかさっきの夢が正夢だったとは……。
いや、これが夢……ということはないだろうな?
それくらい信じられない出来事だが、レンが私の胸元に寝ているその温もりが夢でないことを物語っている。
私はそっとレンを抱きしめてみた。
「ふふっ……あったかい……」
レンは嫌がるどころか、嬉しそうに微笑み可愛らしい寝言を聴かせてくれる。
ああ、ここはこの楽園だったな。
こんなにも幸せな時間があろうとは……。
もうずっとこのままでいられればいい。
そっと布団をかけ、私はレンとの温かく幸せな時間を味わい続けた。
<side月坂蓮>
大きなぬいぐるみに抱きしめられているような心地良い温もりの中で僕はゆっくりと目を覚ました。
あったかくて気持ちが良くて最高の気分だ。
あれ? こんなぬいぐるみ持ってたっけ?
でも、最高に寝心地がいい。
こんなにすっきりとした目覚めっていつぶりだろう。
スンスン
この爽やかな香り。
夢にも出てきたな。
そっか、このぬいぐるみの匂いだったんだ。
ぬいぐるみにしては硬いけれど、途轍もなく僕の身体にフィットするそのぬいぐるみにペタペタと触れてみると、その感触に覚えがあった。
やっぱり僕、こんなぬいぐるみ持ってたんだ……
と納得しかけた瞬間、
「くっくっ……」
と必死に笑いを堪えたような声が頭上から聞こえてきた。
ハッとして顔を上げると、
「あっ――! ルー、ファスさん……」
優しげな笑顔で僕を見つめるルーファスさんの姿があった。
その顔で一瞬にして昨日の出来事を全て思い出した。
「悪い、レンが可愛くて……我慢できなかった」
「かわい――って、そんな……」
「いや、本当だよ。可愛くて仕方がなかった。少し寝相の悪いところも、私に擦り寄ってきてくれるところも、私の匂いを嗅いで幸せそうな笑顔を見せてくれるところも……何もかもが可愛すぎて、一生このままでいられたらいいって思っていた」
僕……そんなことしてたんだ。
自分の無意識な行動に恥ずかしくなる。
「顔が赤くなったな。恥ずかしかったか?」
僕が小さく頷くと、ルーファスさんはぎゅっと僕を抱きしめながら、
「私は幸せなのだよ。レンが無意識でも私を必要としてくれたことが。だから恥ずかしがらないでくれ」
と優しい声をかけてくれる。
その蕩けるような甘い声に胸の奥がきゅんと締め付けられるような感覚がした。
なんだろう……今の。
「目を覚ましたなら、そろそろ起きるか? まだ早いからもう一度寝てもいいぞ」
まだ眠いけれど、ルーファスさんの腕の中でぎゅっと抱きしめられたまま寝れそうにはない。
それに、早く書庫にも連れていってほしいし。
「あの、起きます……」
「わかった。では、起きて身支度を整えよう」
そういうと、ルーファスさんは一度ぎゅっと僕を抱きしめてから身体から離した。
途端に、今まであった温もりが消えてしまう。
少し離れただけなのに、ルーファスさんと離れることがこんなにも寂しく感じるなんて……。
僕、本当にどうしちゃったんだろうな……。
さっきから自分の気持ちがわからないことばかりだ。
「レンの着替えだが、これならどうだろう? 試着してみてくれないか?」
ルーファスさんに手渡されたのは、どうみても王子さまにしか見えない格好なのだけど、これってもしかして……?
「あの、これって……?」
「私がその……成人前に来ていた服だが、今よりはかなり身長も低かったからレンにちょうどいいと思う。どうだろう?」
やっぱりルーファスさんの服だ!
そんな凄そうな服を僕が着ていいのか気になるところだけど、流石にパジャマで部屋の外に出るわけにはいかないし、昨日着てきた服は湖で汚れちゃってたからとっくに洗いに出されただろうしな。
「はい。お借りします。あの、着方は難しいですか?」
「んっ? ああ……そうだな。慣れないと少し難しいかもしれんな。だが、大丈夫だ。私が手伝うから心配しなくていい」
日本人だってちゃんとした着物を着る時は手伝ってもらうものだし、こんな王子さまのすごい服装なんて見たこともきたこともないし手伝ってもらうのは仕方ないよね?
そう自分に言い聞かせて、ルーファスさんにお願いすることにした。
「さぁ、できた。これで完璧だっ!」
どうやって着せられたのかあまりよくわからなかったけれど、今、鏡に映っている僕はどこからどう見ても王子さまそのものだ。
まぁ、外側だけだけど……。
やっぱり国王さまや王子さまの威厳のようなものは、ルーファスさんみたいに内面から滲み出てくるものなんだろうな……。
とはいえ、見た目だけでも自分が王子さまになれるのは楽しいものだ。
鏡の前でポーズを決めながら、
「ルーファスさん、どうですか? おかしくないですか?」
と尋ねると、ルーファスさんはなぜかその場に膝から崩れ落ちた。
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