第6話 生涯の伴侶と宝石の意味
<sideルーファス>
湖で彼に出会った瞬間、身体中の血が沸き立つような今までに感じたことのない感覚を味わった。
彼がもし、私の生涯の伴侶でなかったとしてももう絶対に手放したくないと思うほど、私は一瞬にして彼に惹かれた。
ほんの少しの時間でも誰かと離れていたくないと思ったのは生まれて初めてのことかもしれない。
小さな彼は目の前に立つ大きな私とレナルドを見ると、ひどく怯えていた。
怖がられたくない。
その思いで私はさっと彼の前に跪き、大きな身体を少しでも小さく見せようとした。
それは、私が彼の下僕となり、何も危害を加える気がないことを示したのだ。
早く安心させたくて、さっと手を差し出すと彼は小さな手を私の手にそっと乗せてくれた。
ああ、なんて可愛らしい手だろう。
その辺にいる女性よりも随分と小さなその手になら、私の指輪ももしかしたら入るかもしれない。
いや、もしかしたら、指輪の方が大きいのでは……そう思ってしまうほど彼の手は小さく、そして細い指をしていた。
緊張しながら、指輪を取り出し彼の左手の薬指に嵌めてみた。
指輪はスルスルと進み、何のつっかえもなくまるでそこが定位置だと言わんばかりに綺麗に嵌まった。
ああ、やはり彼こそが私の生涯の伴侶だったのだ。
見たところ、彼は10歳になるかならないかくらいだろうか。
成人まであと5年ほどか。
いや、ここまで15年も待ったのだ。
伴侶と共にいられるのなら5年待つくらい大した問題ではない。
その間に伴侶と楽しい時間を過ごせばいい。
目の前の彼は私の嵌めた指輪を抜こうとしたが、あれほどスルスルと入った指輪が定位置から離れようとしない。
やはり母上のつけていた指輪と同じだ。
母上の指輪もまたどれだけ抜こうとしてもびくともしなかった。
――この指輪はね、嵌めてもらったら一生抜けることはないの。それが生涯の伴侶の証なのだから……。
母上はそう言って嬉しそうに私に指輪を見せてくれた。
ピッタリと嵌まり抜けない指輪……それこそが彼が生涯の伴侶の証。
私は幸せでたまらなくて彼を抱きしめた。
レナルドに促され、彼とゆっくり話をするために湖の近くにある小屋へと向かった。
ここは私やレナルドがこの湖に来たときにのんびりと寛ぐための休憩小屋で誰も立ち入ることはないから、安心して話すことができる。
彼を抱きしめたまま立ち上がると、彼はあまりの高さに驚いたのか私の首にぎゅっとしがみついてきた。
羽のように軽く、そして、弱々しい力で私にしがみついてくる彼が愛おしくてたまらなくて、私はこの上ない幸せを感じていた。
ザカリーを呼び、念の為に彼に馬はどこだ? と尋ねたが、彼は馬を持っていないという。
ここに馬以外で来ることはできない上に、そもそもここは王家所有の森。
彼がどうしてこの場所にいたかは気になるところだ。
私は彼を抱きかかえたまま、さっとザカリーに飛び乗り、私にしがみついているようにというと、彼は素直に私にぎゅっと抱きついてきた。
ああ、なんと素直で可愛らしいのだろう。
ザカリーをゆっくりと歩かせ小屋へと向かう。
すぐ近くに小屋が見えてきたところで、彼にあそこに向かっていることを伝えると、
「すごっ、おっきぃ……」
とポツリと呟いた。
彼の言葉につい、よからぬ妄想が滾ってしまう。
今までこんなことなどなかったのに……。
これも生涯の伴侶ならではということか?
それにしても生涯の伴侶とはいえ、まだ年端も行かぬ子どもにそのような欲を覚えるとは何たることだ。
必死に雑念を振り払っていると、彼に心配されてしまった。
彼にこんな妄想などしていることが知られるのが嫌で、慌ててなんでもないと誤魔化した。
馬を降り、レナルドに扉を開けてもらって彼を抱きかかえながら中へ入ると、彼は広いリビングに目を丸くして驚いていた。
こんなふうに驚いている姿も実に可愛らしい。
何か飲み物をというと、
「あなたと同じもので……」
と言われてしまった。
あなた……あなた……あなた……。
ああ、もうまるで夫夫のようではないか。
そう思うだけで胸が高鳴る。
それにしても彼の言葉は子どもにしては妙に大人びているところがある。
もしかしたら身体の小ささはともかく、年齢はもうすこし上なのかもしれないな。
とりあえず、レナルドにジュースを彼と私の分を頼むと、レナルドは彼の前に飲み物を置いた。
嬉しそうにそれを手に取り、一気に飲み干した彼はよほど喉が渇いていたようだ。
やはりジュースにして正解だったなと思っていると、レナルドが彼に笑顔で話しかけ嬉しそうに会話をしている。
いくら従兄弟とはいえ、彼とそんなにも仲良く話すことなど許せない。
今までレナルドが誰と話していようがそんなこと思ったこともないのに、彼のことに関しては狭量だ。
彼にはいつでも私だけを見ていてほしい。
そう願ってしまうのだ。
彼をレナルドに奪われてしまうのではないかと心配になり、彼をぎゅっと抱きしめ素直に嫉妬したと告げると、彼は少し呆れた様子を見せながらもニコッと笑ってくれた。
そんな愚かな私でさえも、彼は嫌いにはならないと言ってくれた。
ああ、なんて幸せなんだ。
今の私はこの世の幸せを全て独り占めしているようだ。
彼の言葉が嬉しくて、ぎゅっと抱きしめて幸せを満喫しているとレナルドにいい加減彼の名前を聞けと言われてしまった。
それもそうだ。
私も彼の名を呼びたいし、彼に私の名を呼ばれたい。
まずは自分の名を知ってもらいたい。
私の名を告げ、この国の王だというと大きな目が零れ落ちるのではないかと思うほど驚いていた。
そして、何かを悟ったような表情で私を見つめていたが一体何を考えているのだろう?
ドキドキしながらずっと見つめていたが、彼は私の顔を見つめるばかり。
いや、見つめられている時間も幸せであるのだが、彼の名を知りたい。
意を決して尋ねれば、
ツキ、サカ、レン
だと教えてくれた。
その聞いたこともない発音に一瞬たじろぎながらも、決して間違えないようにと必死に繰り返すと、
「あの、レンです。レンと呼んでください」
と可愛らしい声でそう言ってくれた。
レンはなんと心優しいのだろう。
私が発音できないことを知って、すぐに呼びやすい名を教えてくれた。
あの場所にいて馬もいなかったこと。
そして、聞いたこともない名前……。
私はもしやという思いを持ちながら彼に尋ねてみた。
レンはどこからきたのだと。
すると、彼は信じてくれないかもしれないが……と前置きした上で、この世界とは違う世界から、連れてこられた。
湖で絵を描いてたら、青い湖が夕焼けで赤く染まった瞬間、とつぜん真っ白な眩しい光が湖を覆い尽くすように光りだして……気づいたらあの場所にいたのだと教えてくれたのだ。
やはりそうか……。
私たちがあの湖で体験したことと同じ現象がレンのいた場所でも起こっていたとすれば、これはきっと神のなさったことに違いない。
おそらく、違う世界にいた私の生涯の伴侶が偶然、私と同じタイミングで湖に現れたのをみてこちらへ連れてきたのだろう。
もしくはそもそもレンを湖にくるように誘導してくれたのかもしれない。
そう考えれば、私を今日湖に行くように仕向けたのも、もしかしたら神の思し召しだったのかもしれないな。
「あ、あの、国王さま……それで、この指輪なんですけど……」
レンの細く小さな指にピッタリと嵌まった指輪を私に見せるが、レンに国王さまと呼ばれるのは嫌だ。
レンの美しい声で私の名前で呼んでほしいのだ。
必死に頼むとレンは『ルーファスさん』と呼んでくれた。
『さん』など必要ないのだがな。
心の声が漏れたが、倍以上も年齢が離れているだろう国王の私においそれと呼び捨てにできないレンの気持ちはわからんでもないからな。
レナルドのいうとおり、これからゆっくりと呼び方は変えていけばいい。
指輪を失くしたら怖いから外してほしいと言い出したレンにもう指から離れない、そして、この指輪がこの世に二つとないものでレンのためにあるもので生涯の伴侶のみが付けることを許された指輪なのだと説明すると、自分は男だから無理だと言い出した。
おそらくレンのいた世界では男同士の結婚は認められていないのだろう。
だが、ここでは問題ない。
そもそも神がレンを私の伴侶にと指輪を授けてくださったのだから反対の起こりようがない。
だが、レンは元の世界に帰りたいと言って泣き出してしまった。
そんな……ようやく出会えた生涯の伴侶だというのに、また私は一人になってしまうというのか……。
嫌だ、絶対にこの手を離したくない!
けれど、家族を思い泣きじゃくるレンを見ていると胸が痛む。
なんと言ってもまだ子どもだ。
家族と離れるのは寂しい年頃だろう。
成人を疾うに過ぎた私でさえ、両親との突然の別れは寂しくてたまらなかった。
それが互いに生きているにも関わらず会えないとなれば、悲しみは私以上だろう。
生涯の伴侶にそれほどまでの悲しみを与えてまで、私は自分の欲を取るのか?
生涯の伴侶の幸せを本当に願うなら、レンが涙を流さないように全力を注いでやることが大事なのではないか?
それが私がレンにしてあげられることだろう。
たとえ、これから先の人生を一人で暮らすことになったとしても、辛い運命が待ち構えていたとしても、レンが笑顔になってくれることが私の幸せなのだ。
きっとこれまでのリスティア王国の長い歴史の中では、今の私と同じような決断に迫られた国王もいたはずだ。
何かを調べればきっとレンが元の世界に戻る方法も見つかるかもしれない。
その時はもう二度とレンには会えない覚悟をしなくてはいけないがな。
とりあえず戻る方法が見つかるまでは私のそばにいてくれるという言葉ももらった。
それまでのほんのひとときでもレンと同じ時を過ごせることを幸せに思うとしよう。
今はそれだけでいい。
そうと決まればここにいつまでもいるわけにはいかない。
レンをザカリーに乗せ城へと向かった。
レンは馬に乗りながら私をじっと見つめてくる。
そのなんの曇りもない綺麗な瞳で見られるとドキドキしてしまう。
理由を尋ねれば、レンのイメージでは国王とは威張って怖そうに見えるのだとか。
まぁ間違いではないだろう、現に私も周りからはそのように思われているのかもしれない。
だが、レンは私を心から優しい人だと言ってくれた。
生涯の伴侶に優しいと言われて嬉しくないわけがない。
私は天にも昇るような心地でレンを抱きしめ続けた。
城の裏口から回り、レナルドにザカリーを任せレンを横抱きにしたまま城内へと入ると、すぐに私の姿を見かけてクリフがやってきた。
挨拶をした途端、私の腕の中にいるレンの姿を見て、驚愕の表情を浮かべていた。
どうやらまだレンの指に光る指輪には気づいていないようだが、私が誰かを抱きかかえているという事実だけで驚いているようだ。
まぁクリフが驚くのも無理はない。
生まれてからほとんどの時間をクリフと過ごしているが私が他の者に興味を示したり、ましてや宝物のように大事に抱きかかえるなんてことは一度もなかったのだからな。
とりあえず、レンが生涯の伴侶だと知らせればあっという間に城内に、いや国内に知れ渡ってしまう。
まだレンが元の世界に戻る可能性もあるのだから、今はまだ知らせるべきでない。
そう考え、私はクリフにレンのことを大事な客人だから大切にもてなすようにとだけ伝えておいた。
それだけでレンがどれほど重要な人物かはわかってくれるはずだ。
驚きのあまり茫然と立ち尽くすクリフをその場に残し、私は急いでレンを自室へと連れて行った。
ようやく二人っきりの時がきた。
今までは少しでも離れていたくなくてずっと抱きかかえていたが二人だけの空間ならば心に余裕ができるというものだ。
私はレンをソファーに座らせ、レンが好みそうな紅茶と焼き菓子を用意して戻った。
私の淹れた紅茶をレンが飲んで美味しいと言ってくれた時……
――自分の生涯の伴侶には飲み物でさえ、手ずから淹れてあげたいと思うものだ。
美味しい紅茶は淹れられるようになっていた方がいい。
そう父に言われて、紅茶の淹れ方を学んでおいたことを心から感謝した。
父上、本当でした。
生涯の伴侶に美味しいと言われるのはこんなにも嬉しいものなのですね。
レンが紅茶を飲んで少し落ち着いたところで、元の世界に戻りたいのかと再度確認すると、レンは申し訳なさそうにしながらもはいと答えた。
レンを手放すのは辛い。
だが、家族と別れて悲しむレンを見るのはもっと辛い。
仕方のないことだ。
とりあえず、一度戻ったとしても歳を重ねればまた戻ってきたいと思うかもしれない。
そんな期待も込めて、レンの年を尋ねてみた。
「僕、21歳です」
はっ?
に、じゅう……いち?
いやいや、まさか……。
きっと11と聞き間違えたのだろう。
そう思ってもう一度聞き直したが、やはり21という。
ああ、きっと数の数え方が違うのだと一緒に数えてみたが、数の認識は同じであった。
…………と、いうことは…………
レンは本当に21ということか?
いやいや、成人など疾うに過ぎているではないか!!
てっきり倍以上歳が離れていると思っていたが、9つしか変わらないじゃないか。
レンの世界でも成人を過ぎているというから、仕事は何をしていたのかと尋ねると絵の修行をしていたようだ。
こんなに可愛らしいレンが描く絵はきっと美しいだろうな。
一度見てみたいものだ。
レンはあの湖の絵を描きに行ってこの世界に来てしまったのだと教えてくれた。
確かあの時は、青い湖が夕焼けで赤く染まったら、突然白い光に包まれたと話していたな。
あの時、思ったのだ。
私が持っていた、今はレンの指に嵌まっている指輪の宝石と同じ色を表していると。
宝石には力が宿るという。
あの宝石がこんなにも複雑な色をしていたのは、遥か彼方からここに呼び寄せるために力が必要だったからではないだろうか。
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