柳枝垂れて五月雨

Ottack

第1話


 初夏の終わり、次第に西から梅雨入りの知らせが届くこの季節になると、私は毎年必ずあの時の事を思い出す。

 傘に打ち付けて流れる雨にもピカピカのランドセルを濡らすまいとし、傾けていた傘も二月で垂直に――登校する小学生の集団が最も賑やかで、雨の絶え間に光明の差しこむが如く暖かい季節。

 特別それに当てられたという事も無く平常で落ち着きに欠けていた当時小学四年生の私は、その日も姉と家を出て近所の子供達と学校へ登校した筈だった。


 次に気が付いた時、私は自室のベッドでお気に入りのぬいぐるみを傍らに寝ていた。家に居る際は片時も離さず持ち歩いていた赤ちゃん程の大きさのぬいぐるみ――友達と呼べるような仲間が居なかった私にとって、マッキーは恐らく幼少期に一番話したであろう、幼い頃からの親友である。共にベッドへ入り熟睡しない日があったとしたら、それは知らぬ間に親によって洗濯されていた日だけ。

 いつものように朝を迎えたつもりで、私はマッキーに「おはよう」と簡素な挨拶をした。普段から私にしか聞こえていなかったらしいマッキーの声も、この時だけはやたらとはっきり耳で聞き取れた気がして、これなら信じてもらえるかもしれないと思った。

 その感動を正確に言葉にするだけの力は当時の私には無かったけれど、少しでも早く教えたい一心で興奮に身を委ね部屋を飛び出した。怖くて片足からしか踏み出せなかった下りの階段も仕舞いには不恰好ながら克服して、私はドタバタと廊下を駆け抜けてリビングの扉を開いた。


 「やっぱり喋ったよ!」――マッキーと一緒に扉を開けるルーティンもすっぽかしてしまう程、興奮していたのは事実だ。でもそれだけではない。いつもなら母親に起こしてもらうところを自発的に起きて、都市部の焦燥や小鳥の高笑いなど朝は何かしら聞こえる廊下が静寂である事に気付かず、挙句リビングに両親や姉が居ない事を気にも留めなかった。

 この時の私はどうかしていた。普通そこに居る筈の家族が居ないとなれば十歳程度の子供なら探して回るだろうに。有ろう事か私はテーブルの上に並んだ料理に気を取られ定位置の席に座ってしまった。

 料理はどれも出来立てらしく、食欲を唆る芳しい香りが混濁した羨望の食卓に私は包まれていた。「美味しそう……いいなぁ」とつい我慢出来なくなって、隣りの姉の席とどちらの為に用意されたか区別がつかないスプーンを手に取り、好物から食べようとした時だった。

 インターホンが鳴って来客を直感した私は料理へ伸ばした手を止めて、母親を呼んだ。常に苛立ちを孕んでいるかのような語気で繰り出される、やや高圧的な言葉遣いの返事――その代わりとばかりに狭い間隔で鳴らされていたインターホンから思うに、客人は何か事を急いていたのだろう。

 事情を直接聞けはしなかった。料理が冷めてしまうと愚痴を吐きながら私が玄関を開けると、そこには誰も居なかったから。


 何処に行ったのか、何の用件だったのか――誰も居ないと分かった私の頭から、料理の存在諸共それらは瞬く間に消え去っていた。

 新たに私が興味を引かれたのは自宅前の光景。向かい側は住宅が立ち並び自宅との間を路地が一本通っていて、街路に面する方はまるで塗り潰されたように真っ白だった。

 現実には有り得ない光景に私は家を出て塀の陰からそちらを覗き、引き返した――首を傾げただけで大した疑問も持たないままに。

 そのくせ私は自分の家が跡形も無く消えたのを見て先程まではそこに家があった事を覚えていたものだから、何故家が無くなったのかと辺りを見回した。

 いつまでもキョロキョロとしている内にいつの間にか自宅前の光景まで綺麗さっぱり無くなっていたけど、これはその時には全く気付かなかったからこの際どうでもいい。


 やがて私は虚無の空間を彷徨った。あまりにも変化しない景色に前進しているのかさえ分からなくなったが、幸いな事に私には唯一の親友がついていた。マッキーとの会話は本当に他愛無いものだったけれど、こちらからの言葉全てにマッキーがはっきりと返事をくれたのは後にも先にもこの夢でだけ。

 凄く楽しかった。同年代くらいの子供が仲良く話しながら歩いているだけでも羨ましがっていたから、私にも本当の友達が出来たみたいで嬉しかった。

 全ての会話を覚えてはいない。ただマッキーが、あっちに楽しい場所があるって教えてくれて、言われた通りに進んだのは覚えている。進んだ先にあったのが頻繁に姉と遊んだ近所の公園だったから、尚更記憶していたんだと思う。


 その公園は住宅地の一角によくある小ぢんまりとした空間で、間隔を空け一組ずつ設置された雨曝しの遊具は錆び、廃れた雰囲気を醸していた。

 活気が遠のいていくばかりの公園に拍車を掛けたのは一本の枝垂柳。鬱蒼と茂る大樹は根元一杯に影を落としそこへ潜ろうとしているようで、子供心に恐怖し、折角その下で陽が遮られていたベンチも座った事は無かった。


 現実で見たまんまの公園がそこにはあって、楽しそうに遊ぶ一組の親子を私は食い入るように見つめていた。公園の不気味な木が枝垂柳という名前だって事は、この親子の会話を聞いて初めて知ったと思う。もしかしたらそれまでに両親から教えてもらっていたかもしれないけれど、どうやら当時の私にはこの親子の会話がとても印象深かったらしい。

 子供は質問していた――何故この木の葉っぱは下に垂れているのかと。私も初めて見た時は祭り事に使われる飾り付けみたいだと感じた。

 その母親曰く、枝垂柳は疲れてしまったそう。他の木のように吹きつける強い雨風に負けじと強靭な葉を茂らせるくらいなら、雨を受け流し風に靡いて生きていこうと決めたのだと、母親は子に話していた。

 小学四年の私には真意を察し難く、その時は葉っぱを長持ちさせる為なのだろうと解釈していた。子供は母親が目の前の木は疲れているなどと言ったものだから、すたすたと近づいていって幹を撫でていたのを覚えている。

 子供ならではのそういった行動が私にもあったのだろうか。思い返せば貴女はこんな事をしていたと親に聞かせてもらった事は無かった気がする。公園で親と遊んだ記憶さえ、それが事実なのか将又私の想像なのか判然としない。


 間違いないのは姉がよく私を公園に連れ出してくれたということ。そして二人で遊んでいた時間はあっという間に過ぎ去っていたこと。

 姉には今でも感謝している。もし私の人生に二人の時間が無かったら今日の私は居なかった――そう断言出来る程に彼女の存在は私の中で大きな支えとなっている。

 白けた背景に少しずつ溶けていった公園。そのまま場面が飛んで、かと思えば私は家からずっと一緒だったマッキーを何処かに失くしたまま歩いていた。


 その時の私はマッキーを失くしたのではなく元から持ち歩いていなかったという認識だった。ここまでマッキーを連れなくても歩いてこれたのだからと謎の自信を持っていた私は、話し相手が居ない状況でも一人言を呟きながら(思った事をそのまま口に出している感覚)道無き道を進んだ。

 その後再び場面が飛んで私は大雨の中を傘もささずに歩いた。見慣れた看板の並びは色のみで再現され、街路樹は空間ごと捩れたかのように歪な形状をし、行き交う車という車が引っ切り無しにクラクションを鳴らす――そんな異様な光景を私は通学路だと認識していたのだから恐ろしい。


 何ら疑問を持たずに歩いていた私。不意に二人の子供が先行しているのに気付くと、次第に聞き取れるようになった彼等の会話へ耳を傾けた。

 私の耳元で会話しているのではと思える程大雨とクラクションの中でもはっきり聞き取れた彼等の会話は、それはそれは仲睦まじい姉妹のものだった。

 矛盾しているようではあるけれどその内容は意味を成さない言葉の羅列で、感情のみの構造となっている二人の会話を私は理解しながら聞いていた――今となってはどんな感情だったか、何を話していたのかも覚えていない。


 姉妹は赤とピンク、色違いのランドセルを背負い姉の傘に身を寄せ合ったまま路地へと入っていった。それを見ていた私は彼女等が向かっているのが学校ではなく自宅だと確信していた。

 理由は傘一つを共有している様子から。自分の傘があるなら朝からザーザーと降っている日の登下校用に持っていかない理由は無いだろう。

 後になって考えれば妹は雨が好きだったという線も有り得た。びしょ濡れになって帰宅する子供が居れば地域の人から怪訝そうな視線を向けられ、それは家族にまで及ぶ。親がそれを許す筈も無く、姉に御守おもりを任せたといったところだと思う。


 当時を考察しているとこうして余計な肉付けをしてしまう事がある。あの時の私の感触を正確に掘り起こして認識を解剖したいが為の考察に、妄想染みた憶測は逆効果でしかない。

 こうなってきたら休憩を挟む事を心掛けている。夕食を食べてお風呂に入ればそれだけで充分な休息だ。


 毎日自炊している人に憧れて始めた、炊飯と簡単な料理を作る日。前は週に一回だったその日も作れる料理と共に増えて、今ではインスタント食品を買う方が珍しくなった。

 料理の腕は好物ばかり上達した私が最近ハマっているのは俗に言うズボラ飯で、まな板を汚さないのは当たり前になってきている。自分の中での一時の流行りだからと自らを納得させて料理を始めた理由に背を向けているけれど、この流行りが来てかれこれ一年近く経ったのはきっと気のせい。

 丼ものだと野菜が不足しがちだから白米の上に申し訳程度の大葉と白髪葱を敷く。そしてその上からサーモンの柵どりをドンっと乗っけたら後は調味料を掛けて完成。大丈夫、視覚的に足りていれば野菜は足りてる。

 偶の贅沢で自分を労うのが私の唯一と言ってもいい楽しみだ。小物だけでもブランド品で着飾ったり何処かへ旅行に行ったり、そういった庶民の贅沢もいつかはしてみたい。

 マッキーのも含めて五席あるテーブルの、子供の頃から変わらない定位置に私は座って、今日も孤独へと浸かりながら一日三食を食べた。


 当たり前の事だけどどんな記憶も時間が経てば忘却の優先度は高まっていく。嫌な記憶ほど残り易いと聞くけれど私は鈍感というか抜けているところがあった。強く感情を揺さぶられでもしていない限り幼少期の記憶は要らない過去として処理されてしまうだろう。考察に欠かせない、物心がついてからの数年の記憶は唯でさえぼやけているというのに。

 だから私は自分からこのような環境に身を置いている。幼少期の記憶が仕舞われた引き出しを毎日開け閉めしていた甲斐もあってか最初の頃は少し思い出そうとしただけでもストレスだったあの夢について、今では一日数時間考えるのはざらになった。

 何故そのような事をしているのかと聞かれた時、私は決まってこう答える――姉に安心してほしいから、と。幾ら成人したとはいえズボラ飯にハマり内向的な生活を送って、挙げ句恋人の一人も作った事が無いようでは面倒見の良かった姉が認めてくれると思えないのだ。


 あの夢の考察はそれらに手を付ける前にどうしてもやっておきたかった。唯の夢として忘れ去ってしまうのは誰にでも出来る、最も楽な選択である事に間違いは無い。私は自分から向き合い、考え、結論へ至る事に意義があると思った。

 常日頃から考える癖がついた私は、私にしか与えられなかった試練を放棄する事の愚かさに気付いた。テレビを見れば偏向報道しか行っていないメディアによる、コメンテーター不要のニュース。それを介して等しく国民へと与えられる試練は――人によってはチャンスとも受け取られるが――それだけで思惟の差が出て、体験しなくとも特別な経験に出来るという人も居るはず。

 ならば実際に体験した人にとってはそれ以上の経験となる事必至の、望んでも手に入らない試練でありチャンスでもある。

 あの出来事を体験したのは家族を除けば私だけという、千辛万苦の試練――千載一遇のチャンスを自らゴミ箱へ投げ捨てるような、そんな愚か者では私はありたくない。


 恋愛についても同じ。髪、肌、姿勢、プロポーション、笑顔。後は……うん、思いつかないという事はきっと大切ではないという事だから、放っておこう。

 考察を終える前からお手付きかもしれないけれど仕事に着いた以上見た目も大事にしたかった。

 他人と会った時真っ先に見られるのは外見であり、どうしても内面は次点となる。第一印象で損をしないように取り繕うのが一社会人としての常識であると教わってからは、部屋の置き物にまで気を配り始めた。


 私はあの夢の考察が終わったら断捨離をする予定でいる。想い出の品だけを残して他の不用となった物はその機会に全て家から排除し、私は新たなスタートを切る――考察中以外は扉付きの戸棚へ仕舞う事にしているぬいぐるみのマッキーとも、いよいよ別れの日が近づいているのだ。

 久しくクリーニングへ出していない間に虫食いが出来てしまったマッキー。夢に於ける登場場面は公園以降無かったとはいえ、側に置けば速やかな考察の再開を後押ししてくれる。


 姉妹を見送った私はその後、短い間何か楽しい思いで話しながら歩いていた。私と並んで歩いた誰かの正体は下半身も膝下くらいしか見られず、それでも気を許している相手だという認識は持っていた。

 あと二年でどうとか私の分がどうとか言っていた記憶から、私の考えでは丁度姉の修学旅行が間近に迫っていた頃を忠実に再現した夢ではないだろうかと思っている。その時の私はお土産を強請ったり頻りに羨ましがって姉を困らせていた筈だから。

 証拠という訳ではないけれど気を許している誰かと話していた私は楽しい思いだった。同時に相手の声を聞くと大なり小なり揺れる負の感情ばかりが流れ込んできて、不審がってもいた。

 例によって言葉としては聞き取れなかったものの、私はこの時の会話の相手を姉と断定している。他にあんな気分で並んで歩いた人物が浮かばないのともう一つ――この後姉と行動を共にしたというのが理由だ。


 そこで私は姉と話した。それまでとは違って私ははっきりと言葉を聞き取っていたけれど、若干噛み合っていない感じがあった為に会話と呼べるのかについては今でも疑問符が残っている。

 温厚な姉からは想像もつかない程薄情な言葉の数々に、実は姉ではなかった可能性を何度も探った。姉の特徴だった困った時に見せる引き攣った笑いがその時には見られず、困り果てたように暗い顔をしていた事からもその可能性は捨て切れなかった。

 あの夢の中ならば姉に化けて悪魔が出てきても可笑しくはない。いっそ手を引きに来た賽の河原の子供であってくれた方が清々しかった――そう思った事さえある。


 私は自然と口数を減らしていた。「居なくなってしまえばいい」――姉の本音とも取れる言葉は正直今思い出しても辛い。だからあれは本物の姉ではなかったのだと現実逃避したくなる。

 その時の私も俯いたまま遂には話さなくなって、そして次の瞬間には新たな場面に転換していた。

 誰かと手を繋ぎ俯きながら歩く私。しかしながらその気分は打って変わって晴れやかだった。


 理由はすぐに視界に映った。散ったピンクの花弁が足下を絨毯宛らに埋め尽くして尚、降り積もらんとして舞い散ってくる――形こそ不明瞭だったがあれは桜の花弁で間違いなかった。

 何故言い切れるのかと言われたら、その場所が旅行で訪れた想い出の地だから。何より私が手を繋いでいた人物に――母親に「この桜」がどうして下を向いているのかと聞いたから。

 母親は答えてくれた。だけど難しい言葉が点々と挟まるものだからどういう意味なのかと私は感じていた。


私『ねえお母さん、この木は桜なのにどうして下を向いてるの?』


母親『(思い出せない部分は以降空白)――他の桜よりほんの少しだけ弱かったのよ、きっと。姿を変えても美しさは捨てられなかったのね』


私『……じゃあ公園にある木も同じ形だから弱いのかな?』


母親『(空白)確かに形は似ているけどあの木は弱かったんじゃないわ。(空白)』


 私にとってあの土地の枝垂桜だけは特別だ。外出先で母親と過ごした数少ない記憶――この枝垂桜はその中に唯一あって生彩をもたらす存在となっている。

 樹齢を重ねた一本の木に対して母親は何を思ったのだろう。「姿を変えても美しさは捨てられなかった」とは何を喩えた言葉なのだろう。


 母親は体裁をとても気にする人だった。それは自らの外見に始まり家の噂の調査や二重人格の発現、私達姉妹が独断で行動していた内容の簡易的な報告にまで及んだ。

 これは考察を始めてから知った事だけど、私と父親の血が繋がっていないのも母親の独善的な態度に関係していたと私は睨んでいる。

 近所にある枝垂柳と遠方の枝垂桜に、自分の弱さを押し殺せていないと自己投影していたのかもしれない――そう考えれば辻褄が合う気がして、他人の分析にとどまってしまう自分が情けなくて。


 あれは他でもない私が見た夢なのだから、私の記憶や心理が色濃く反映されていたはず。なのに私ときたら。

 あの時の事を振り返れるようになり色々と考察するようになって、次にしなければならない事は当時の自分の心理を分析する事にある。

 夢で見た物事を解剖した先に導き出されるべき解は憶測などではなく、それを主観的に考察し私がその人や物をどう思っていたかにある。

 そうして逆算していく事で隠された姉の本当の言葉に辿り着けると信じて、私は今日まで考察を続けてきた。


 その姉と共に丁度帰宅したところから次の場面は始まった。ただいまを言って靴を脱ぎ捨てる私。二足分を揃えて上がる姉。

 姉はこの時も何かを呟いていた。「ただいま」とか「今日の夕飯は?」なんて在り来りな言葉ではないくらいに長く、感情的な呟き。

 例えるならそれは動物が啼く声のような、はっきりとした意思の疎通とまではいかなくとも確実に何かを訴える周波数。

 しかし私はその「何か」が何だったのかを理解出来ていない。当然夢の中の私も姉の声にならない声を聞き流していた。

 靴を揃えなかった件やその類いについて、親から怒られた事はあっても姉からは注意すらされなかった。だから私は姉に甘えていたんだと思う。


 質素な夕食は私一人だけの白霧の中で。食べ終われば一息つく暇も設けず一番風呂に駆けていく。

 入浴前には体を自分で洗い、後から入ってきた姉に洗髪を頼むのが常だった。逆上せるまで浴槽で戯れあったのも懐かしい思い出。

 宿題を夜までやらずにいると同級生の家庭では親から指摘されていたそうだけど、私はそんな事なかった。姉と一緒になってやった方が捗ったから、親も黙認していたのだろう。

 分からないところは少しずつ姉にヒントを貰い、それでも解けない時は奥の手として答えを教えてもらう――姉のおかげで記述式の宿題以外はいつも満点だった。

 姉は優しかった。当時はその優しさも姉だから当たり前なのだろうと、弟妹に対する一般的な兄姉の姿なのだろうと思い込んで、碌に感謝の言葉を伝えなかった。


 もしもタイムマシンが使えたなら――数え切れない程の後悔を将来に活かすのではなくその元凶から断ち切れる日が来たなら、そんな夢物語に涙を滲ませて、気が付けば私は机に突っ伏していた。

 幸い原稿用紙は濡れていなかったものの、腕を枕にしていたせいで手に若干の痺れが走る。


 深夜に煌々と照る公園の街灯の明かりと、それに照らされ一層深い影を落とす枝垂柳。

 遮光カーテンを引いてベッドにつけば一日の考察も終わる――何事も無かったなら後は就寝するばかりだった。


 なるべく音を立てないようにして階段を降りようとするのは子供の頃の癖だ。音を出したら悪霊が寄って来そうだったのと、何より親に気付かれないため。

 今もリビングまでの道中こそ明かりをつけてはいるけれど、そこから目的を果たすまではずっと暗いままでいる。

 暗がりに合わせ瞳孔が開いたところに光りが差し込んでくるのを防ぐ為、冷蔵庫を開ける時は必ず目を閉じながら。そうじゃないと目の奥が痛くなって仕方ない。


 作り置きしておいた具を薄目で取り出し、一握り分の冷やご飯で握ったら完成――姉直伝の夜食おにぎり。具は有り余りで作り、ご飯は温めないで握るのが姉のやり方だった。因みに今日の具は夕飯で白髪葱を作った際に残った部分を葱味噌にしてみた。

 上手く寝付けそうにない日は必ずこの夜食を食べてから眠る。作り立てをキッチンで蹲って、ひっそりと。

 目に見えて太るような事が無かったのも相俟って、子供の頃に覚えてしまった背徳の味はこれからも止められそうにない。

 唯のおにぎりではなく、食卓を差し置いて床に蹲り食す一握りのおにぎり。これを姉と二人で食べるのが至福だった。

 パキッ――夜食の最中家鳴りに不意を突かれては、つい廊下との扉を確認する癖が私にはある。もう誰も居ないと分かっている筈なのに親に気付かれたのではないかと思ってしまい、その方を覗き見ないと落ち着かないのだ。

 案の定異変は起きていないリビング。もしかしたら私に見えていないだけで悪霊達が宴を開いていたなんて事もあるかもしれない。仲間に加わりたいとは思わないけれど。


 美味しかったおにぎりも最後の一粒まですっかり胃に収まって、雨を味方につけた私は足音忍ばせる事無く自室へと戻った。

 机の上から不動の眼差しで私を迎えるマッキー――原稿用紙は今週も全て中途半端な状態で提出する事になりそう。

 時刻は二十四時を過ぎて翌日になった頃、湿気をたんまりと吸った布団に入って私はこういう一日を終えている。


 お腹が鳴るのを感じて、羊を数え始めて、何度も寝返りを打って――眠れない私を他所に雨足は刻一刻と強まり、とうとう空は稲光し始めた。

 そのまま横になっていれば知らぬ間に眠っていただろうに、心臓を打たんとする雷鳴に急き立てられた格好で私は惰眠を貪ってきた布団を跳ね除けた。

 部屋の明かりを点け、机に向かった私を親友は無言で見てくる。その冷ややかなプラスチック製の瞳に私は、さぞ矮小に映っている事だろう。

 時折カーテンの影を薄める閃光はまるで何かを囁いているかのよう。私に伝わらないもどかしさで空はゴロゴロと怒り、ザーザーと五月雨の涙を流している。


 姉と家に帰ってきた場面より先を、私は考察した事が無い。いつも同じくらいまで進んだところで眠気に勝てず布団に入り、翌朝になると一からあの夢を振り返る――そうして私は何週間も同じような内容の原稿を提出し続けてきた。

 分かっている、本当は――考察の時間が足りなかったのではなく、これ以上先を考察しないように時間を意識してしまっていたと。

 このままあの夢を中途半端で似通った文章に起こしているだけでは、いつまで経っても変われない。そしてこれは見守ってもらえはしても指摘してなどもらえない。


 私から踏み出さなければ。でも態々夜中にやらなくてもいいのではないか。眠いなら寝て明日頑張ろう――やる気はあるが実質無期限の課題。何日も繰り返している内に私は長期休暇時の宿題と似た感覚で嫌な課題を後回しにしていた。

 唐突に休暇の終わりを突き付けられて後悔するくらいなら、いつ終わってもいいように毎日少しずつでもその課題をやっていくべきだと、初めてそう考えた日から早一カ月。今漸く、私は止まったままだった時間を動かした。


 『いい加減(空白)なさい!』――子供の頃の朝は、自分の部屋へ足音が近づいてくると通り過ぎてくれないかと、別用であってくれないかと寝たふりをしながら祈っていた。

 母親にそんなのが通じる筈もなく、小学生の私の朝は大抵最悪から始まった。

 夢の中でさえもそう。真っ直ぐ部屋まで来られ観念した私は、ベッドから出ようと布団を押し退けた。

 『休んじゃいなよ』――腕を掴まれた感覚がして振り返った私を、マッキーは首を回して凝視していた。

 甘言蜜語で誘惑するマッキー。親が通わなければいけないと言ったから通うのは傀儡のようで滑稽だなどと、まさかぬいぐるみから言われる日がくるなんて思ってもいなかった。


 実際その通りである。当時の私は義務教育の義務とは何かをまるで理解していなかったし、何なら今でもそれは普通だったと思っている。

 子供が学校へ通い勉強する事の重要性を理解しないまま通学しているのは、偏に親の責任だ。子供の理解力を軽んじて、子供の意見を都合の良いように解釈して、真面に話し合わない親の責任。

 それが本当に大切であると理解してもらう為の努力を怠って、自分達の都合や思い込みしか話さない親と、その言いなりになっている子供――この国で痴漢が沢山逮捕されるのも無理はない。


 そして私は痴漢に遭った訳ではない。自分が幼い頃の境遇からこの国の子供達、延いてはこの国の未来を悲観しているだけ。

 傀儡なんて言葉を当時の私が知る由もなく、肝心なところが分からなかった私はマッキーの言葉を「休んでも良いと言われている」と捉えて、それを聞き流した。

 部屋を出るとそこに続いていたのは全ての寸法を狂わせ大凡我が家とは言えない空間と、果てしない木目の一本道。

 今思えば奇怪以外の何物でも無いそこを、私は「早くしなければ」という強迫観念から走り出していた。踵で板の間を踏み鳴らす足音、扉をノック無しに開ける音、苛立ち以外が滅多に篭らない声、規則的な行動を促す学校のチャイム――私を焦らせる全てから逃げた、一心不乱に。


 一体どれ程走ったのか。やがて呼吸が苦しくなり足も上がらなくなった私は、後方から迫る暗黒を恐れて尽き掛けの力を振り絞り足掻いてやった。この時ほんの少しだけでも遠くに走ってやろうとしなかったら、私はあの闇に呑まれていただろう。

 最後まで諦めなくて本当に良かった。進めど進めど終わりの見えなかった孤独な夢に、ふと光が見えた気がして、その光が見間違いではなかったと知った時何故だか私の心は救われた。

 私の体力は底を突いた筈だったけれど、次の瞬間にはそれが嘘であったかのように私は光へと駆け出していた。光の方からも私を包み込むように広がってくるのが分かって、私が安堵した時には既に辺り一面真っ白だった。


 そこで私はマッキーに「押し飛ばされた」――綿の塊がぶつかっただけで蹌踉めいてしまうというのも夢ならではの展開で、実際に押し飛ばされた瞬間を目撃していなくとも夢の中では謎にその状況を確信している事がある。

 光が爛々と視界を満たしていく中、マッキーが脇腹辺りから徐々に解けていく様子に私は終始放心していた。そして直後、私は病室で目を覚ましたのだ。

 医者が言ってた――回復したのは奇跡だって。私の心拍は大分弱まっていたらしいし、意識が戻らない可能性も十分にあったそう。

 母親は泣いてた――たった一人に起きたから奇跡だなんて都合が良すぎるって。それじゃあ奇跡が起こらなかった人達は死んでも仕方なかったのかって。

 姉に奇跡が起こらなかったのは姉のせいだと言いたいのかって、当たり散らす母親を見て私は姉の状態を悟った。


 姉が居なくなってからの日々は振り返ればあっという間だった。一つの形見にもなっているあの夢は、仮に考察が終わったとしても絶対に忘れない。ううん、忘れてはいけないんだ。

 ベッドまで移る気力が残っておらず机で伏せて寝た私の少し浮腫んだ顔を、両手を添わせるかの如く照らす陽光――十年近く掛かった私の再起の一歩目を姉に見守られているような、そんな暖かい日差しがカーテンの隙間から差し込んで目が覚めた。

 一頻り降って雷鳴が止んだ空の、薄灰色淀む雨雲から分かたれた何方付かずな霧雨に、窓から手を伸ばした私。寝起きの火照った体に塵程の雨粒はとても心地良くて、人目なんか気にせず雨を浴びた。

 寝不足で頭が回らなくて、原稿用紙は窓を閉めた時には涎の染み以外にも若干ふやけてしまっていた。

 濡れてしまった原稿用紙を乾かさぬまま茶封筒に入れて、一晩付き合ってくれたマッキーも倒れないようきちんと戸棚の中へと座らせる。

 「ありがとね」――私は自然と感謝の気持ちを口にしていた。当然マッキーから返事がくる事は無かったけれど、その笑顔の暖かさが何処か懐かしく感じて、久しぶりにマッキーへ話し掛けた。


 階段を手摺りにしがみ付いて滑り下りたり、朝からカロリー全開の朝食を作ってみたり、いつもと少しずつ違う事をして家を出る時はいつも通りギリギリの時間。

 家族が居なくなったところで結局慌ただしい生活は変わらず終い。でも今の慌ただしさは充実からくるものであって、昔の半隷属的なそれとはまるで別物だった。

 靴の踵を半ば踏んづけながら家を出た私に小さなサプライズ――虹だ。子供の頃からのお気に入りであるビニール傘は、雨を避けながら空がよく見えるからずっと使っている。

 もしも虹を見て幸でなく不吉を感じたならそれは特筆されるべきかもしれない。私には日光の下で雨音一つ立てずに降る霧雨が、一人耐え忍んだ末の前進に同情してくれているようだった。


 予約の時間が迫っている事も忘れ玄関先で自然の慈悲に浸った私は、遠回りになる事を承知の上で寄り道する事にした。

 この辺りは晴れの日でさえ外で遊ぶ子供が減ってきているというのに、小雨でも降ろうものなら路地を駆ける子供は居なくなる。

 そんな調子だからこの公園も今ではすっかり錆び付いて、遊具を新しくしようという話すら持ち上がらない。

 枝垂柳も……倒木や景観――適当な理由をつけていつの日か切り倒されるかもしれない。

 それでいいんだ、きっと。思い出が形に残らなかったとしても、二人で遊び暮らしたあの青春はいつまでも私の記憶に刻まれているから。


 初夏の終わり、残春の季節。そこはかとなく蘇る一家の幸せは虹のように儚いもの。夢のように幻影染みた理想。

 辛気臭い住宅地に桜が如く満開の笑顔を咲かせた姉妹は淡い追憶の中に。











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