死後の聴覚

佐々井 サイジ

死後の聴覚

 さっきまで無数の針が体内の臓器や血管を刺し続けるような痛みが続いていたのに、すうっと引いてきた。ただ、腕や脚、指先すら動かすことができない。それどころか息を吸うこともできない。ピーという電子音がくぐもって聞こえる。


「聴覚はまだ残っていますから、何か言葉をおかけください」


 ずっと担当していた医者の声だった。そうか、もう俺は死んだのか。家族の顔を見たいが瞼を開けることもできない。一人になどなりたくない。


「お父さん」


 娘の声が耳元で聞こえた。幼いころの娘が頭に浮かぶ。体の機能が停止してもまだわずかに脳も動くのか。


「ありがとう。やっと死んでくれるんだね」


 ん? おかしい。こういうのは普通、感動的な言葉を言うのではないか。いやいや、ドラマではないにしても、感謝やあのときごめんなさいみたいなことを言うだろう。


「十三歳のときからずっとお父さんのことが嫌いだったんだ。お父さん、馬鹿みたいに口を開けて腕を枕にして寝てて、興味本位で携帯電話見たら女の人にアソコの写真送りつけてたよね。そこからもうお父さんのことが生理的に無理でずっと死んでほしかった。おまけに私が彼氏連れてきたとき、怒鳴り散らして帰らせたよね。あれがきっかけで婚約破棄されて、本当に殺そうかと毎日思ってた。やっと死んでくれてありがとう」


 心臓が動かないはずなのに痛みを感じた。悦子と不倫してたのがバレてたとは。それにしても娘は反抗期がない子だと思っていた。今思えば俺と距離を置いていたということか。いや待て、まだ聴覚は生きているのか。長くないか?


「あなた」


 妻の声がくぐもりながらも低く聞こえてきた。娘の言葉は妻に聞こえていないだろうか。


「あなた、しぶとかったわねえ」


 ん? まさか妻にも嫌われていたのか?


「私にバレていないと思っていたみたいだけど不倫した挙句に子供までできて。情けない。あなたが社長でお金持ってなかったらとっくに別れてたけど、まあ仕事ができる人間で良かったわね。あなたには早く死んでほしかったけど、稼いでもらう意味ではもうちょっと長生きしてほしかった。でもまああなたのお金で十分良い暮らしさせてもらったからいいわ」


 隠し子のことまでバレていたとは。どこで知ったんだろう。探偵でも雇ったのか。いやいやちょっと待て。まだ聴覚は残っているのか。そもそも罵倒されて悲しみに暮れる意識がまだあるのか。もう早く死にたい。死なせてくれ医者。


「Sさん」


 声の主は医者か。


「もし許されるのであれば私はあなたを麻酔なしで手術して胃の中に体内に漬物石を大量に詰め込みたかった。それほどあなたは身勝手で手間をかけていましたよ。患者に死んでほしいと思ったことはあなたが最初で最後です。あなたはまだ微かに息がありますが、ご家族にはもう亡くなったことにしています。電子音は私が捜査したものですから。この呼吸器を外せばあなたは死ねますのでご安心ください」


 俺はまだ死んでいなかったのか。こいつ、俺を殺す気なんだ。息ができない。苦しい。何も見えない。電子音の音がだんだん消えていく。

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