「思いやり」という気持ち

よっしーよっ君

「思いやり」という気持ち

 私たちは、時折「この人はかわいそうだな」って思ったりする場面がある。そもそも、「かわいそう」とはどういうものだろうか。私たちが「かわいそう」と思う瞬間は、主に弱者へ自分たちの優しさを分配する時に思う感情だろう。では、私たちはどのように「かわいそう」という感情に向き合うべきだろうか。


 まず、大人の男性と少女が道の端に座っているとする。私たちがその光景を見かけた時、少女に対しては「かわいそう」とは思うが、男性に関しては何も思わないことが多いだろう。中には「働け!」と思う人もいるかもしれない。何故、私たちは少女だけに「かわいそう」という感情を抱くのか。もしかしたら、幼い頃男性の方は学習環境が整っていない環境で育ち、今仕事がないのかもしれない。それなのに、私たちは男性に感情移入することができない。私たちは、「かわいそう」と無意識的に弱者を対象に抱いているのではないだろうか。感情は無意識的に抱くものだからしょうがないとは思うが、私は「かわいそう」という感情を差別的に抱くのはあまり良くないと思う。だから、私が思うにはかわいそうとは思えなくても、少しだけでもその人のこと気にかけてあげるべきだと考える。自分が逆の立場になったことを考えて、その人のことを思うことによって色々と変わってくると思う。例えば、新たな人間関係が生まれたり、もしかしたらあなたがその人の救世主になるかもしれない。簡単に言えば、人を思いやる気持ちが大事だと思う。「思いやり」を持つことによって、例え「かわいそう」とは思えなくても、その人を少しだけでも手助けすることができる。加えて、思いやりは「共鳴の感覚」を覚える。互いに思い合うからこそ共鳴し、弱者でもない人を助けられるような気持ちを持つことができるのではないだろうか。


 最後に、私たちは「かわいそう」という感情に向き合っていくために、「思いやり」という感情を持って「かわいそう」と思えない人でも助けられるような存在にならなければならなないと私は思う。加えて互いに共鳴し、信頼関係を深めていくのも大事である。

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「思いやり」という気持ち よっしーよっ君 @yoshi904

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