第4話 妖精の少女ウェリアン

 火山の国『イフェスティオ』。その首都に古くから存在する『炎の神殿』を訪れると、存外にも人影が多くみられた。20人ほどはいるだろうか。各々自由に神殿の中を歩き回っている。深々と参拝している者や壁画を眺めているものから、神殿内を駆け回って遊んでいる者までさまざまだった。


 巨大な柱がいくつも立ち、中の様子はその柱の隙間から全て丸見えだった。扉など仕切るものはなく、石造りでありながら開放的なその神殿は、まるで火を炊く際に空気の通り道をあえて作るような、そのような意図を感じられるデザインだった。


「“炎の神”・・・」


 神殿内部の説明には、確かに“炎の神”としか書かれていなかった。火と炎は確かに違うものだが、厳密には大きさや激しさ以外に違いはない。もし“炎の神”が本当に存在するのだとしたら、限りなく“火の神”に近い、絶大な力を持っていることだろう。


「そこの。少し聞きたいんだが・・・」


「・・・後にして。今お祈り捧げている最中だから」


 近くにいた婦人に話しかけると、見事に突っぱねられてしまった。どうやら地元ではかなり信仰の厚い神らしい。マルタシルムなら何か知っていそうなものだが、今この瞬間に訊く手立てもない。


 しかし半神と名乗ると過剰に怯えられ、半神であることを隠すと過剰に距離を詰められるか邪険に扱われるかのどちらかである。なんとも人間とは難儀な生き物だ、とゼヴァルディアは溜息をついた。




 そんな時だった。

 先ほどから視界の端でチラチラと変な動きをしていた人影が、不意にこちらへ寄って来た。




「・・・?」


 近寄るなりゼヴァルディアの顔を覗き込むように見上げてきたのは、随分と若い少女だった。晴れた空のように澄んだ青い髪はところどころ編んだり結んだりしており、一切の歪曲もない綺麗なストレート。彼を見上げる双眸はルビーのように紅く輝きを放ち、シュッと通った鼻筋と小さな口も相まって、まるで絵画のようにバランスの整った美しい容貌をしていた。


 しかしそんな美貌も束の間、彼女は無反応を決め込む彼に対し、突然自分の顔を両手でぐにっと歪ませ、勿体無いくらいの変顔をしだしたのだ。


「・・・何をしてるんだ?」




「ッッッッッ!!!???」




 ゼヴァルディアがそう思わず尋ねた瞬間。少女は信じられないと言った表情で、心底驚いたのか一気に神殿の壁に背中がつくほどまで飛びのいた。


「・・・?」


 怪訝な顔で少女を見つめる彼に、彼女は再度恐る恐る近づいてきた。


「え・・・、あなた、見えてるの・・・?」


「まあ・・・、もちろん・・・?」


 恐る恐る問われた質問に、当然のように返答すると、少女はまたしても心底驚いた顔をしながら両手で両頬を挟んでのけぞった。


「えええぇぇぇ!!??

 ウソウソウソ、やっっっと見える人に会えた!!!」


 そう言って彼女は、彼の手を取ろうとパッと彼の右手に両手を伸ばした。




 しかしその両手は彼の手をホログラムのように通り抜けてしまった。




「えっ?」


「あ・・・、触るのはやっぱだめかぁ・・・」


 驚くゼヴァルディアをよそに、少女は慣れているのか残念そうにしながらも、先ほどよりは小さいリアクションで肩を落とした。


「君は一体?」


「答えるのは答えるけど、ちょっと場所を変えない?

 ここだと多分私のこと見えてるのあなただけだし、変な人と思われちゃうよ」


 そう言うと、少女は引けない彼の手を持つかのように自らの手を伸ばし、神殿の外へと誘導した。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「改めて、あなたお名前はなんていうの?」


「ゼヴァルディア。君は?」


「わお、一の質問には一でしか返さないタイプか〜」


 一人芝居のようにテンションがコロコロ変わる少女に、ゼヴァルディアは賑やかな子だと内心で思った。


「私は《ウェリアン》。見ての通り、エルフだよ!」


 そう言って、彼女は自らの横髪をサッとかき上げた。するとその下からは、人間のそれよりもよほど長く細く伸びた耳が姿を現した。


「エルフ・・・」


 以前、マルタシルムに聞いたことがある。世界は三つあり、一つは自分たちも住んでいる人間界。一つは悪魔やモンスターが蔓延る魔界。そしてもう一つが、エルフや巨人といった人間でも悪魔でもない存在が住んでいる世界。


「妖精なのかい?」


 彼女はそれを、妖精界と呼んでいた。


「あったりぃ! うん、あなたって頭いいでしょ!

 よく言われない??」


 妖精は時折人間界にやってきて、イタズラをすることがあると聴く。しかし、先ほどの印象ではこの少女は困っていたように見えた。


「人間界に遊びにきて、妖精界に帰れなくなったのかい?」


「んんん、まあやっぱりそう思うよね・・・」


 てっきり確信を持って尋ねたが、どうやら彼女の反応を見るに違うらしい。




「実は私、記憶喪失なの」




 不意に放たれた言葉に、ゼヴァルディアは思わず言葉を詰まらせた。あまりに賑やかで能天気な少女が、唐突に物憂げな表情で影を帯びたのである。それはとても見た目の年齢とは相反する、かなり壮絶な人生を経たのちに身につくような深みを感じさせた。


「正直、どうして他の人には一切私の姿が見えないのかもわかんないし、どうして私がここにいるのかもわかんないの」


 確かに、先ほど『炎の神殿』で縦横無尽に暴れていたのは彼女だけであった。他の参詣者は皆、その荘厳な雰囲気に合った立ち振る舞いをしており、どう見ても彼女だけが浮いていた。それにも関わらず、誰一人として彼女に注意を向ける者はいなかったのである。


「声も届かないのかい?」


「だめだったね〜。物にも触れられないから、背中叩いてもすり抜けちゃうし、さっきも手握れなかったでしょ?」


 どうやらゼヴァルディアには唯一、姿と声だけが届いているらしい。


「ただね、ただね! 間接的には干渉できるっぽいの!」


 考え込む隙を与えないかの如く、エルフの少女ウェリアンは話を続けた。


「直接は触れられないけど、たとえばこうやって手を仰ぐと風は送れるらしいの!」


 そういって彼女がゼヴァルディアの顔の前で手をパタパタと仰ぐと、ほのかに生ぬるい風が彼の前髪をゆらゆらと揺らした。


「・・・で、君はどうしたいの?」


 彼女の話を聴きつつも、彼は核心をついた。勘ではあるが、このまま全部聞いていては日が暮れてしまいそうな気がしたのだ。


「まだ話の途中なのに・・・。

 ま、いいや。私の望みはね・・・」


 しかし存外に彼女は物分かりのいい性格らしい。すぐにゼヴァルディアの意図を汲み、途中だった話を切ってまで問いに向き合った。




「私の望みは、記憶を取り戻すこと。そのためには、私一人では無理だと思うの。

 だから、唯一私の存在をちゃんと認知してくれるあなたに協力してほしいの」




 至極真っ当な話である。記憶喪失で、かつ自身の存在も誰一人認識できない。そんな孤独に苛まれる中、ようやく自身の存在を認識してくれる者に出会えたのだ。この機会を逃す手はないだろう。


 しかし、そんな話はゼヴァルディアには知ったことではなかった。


「僕は僕のやるべきことがある。悪いが、他を当たってくれないか」


 彼女に連れ出されてしまったが、彼は元々『炎の神殿』で“火の神”の手がかりを探している最中だったのだ。こんな見ず知らずの少女を助けている場合ではない。


「はっは〜ん、でも私気づいちゃった!

 あなた、今調べごとしてるでしょ?」


 それなりにキッパリと突っぱねたつもりだったが、彼女はどうも都合のいい頭をしているらしい。自分に不利益なことは聞こえないのだろうか。


「君には関係のないことだ。まして、記憶喪失なんじゃ話にもならないだろう」


「調べごと、あなただけじゃ聞いて回ることしかできないけれど。



 私はプライベートなことでも簡単に盗み聞きできるよ?」




 ニンマリと悪い笑顔を浮かべ提案してくる彼女に、不覚にもゼヴァルディアはなるほど、と納得してしまった。存在を認識されず、かつ物体をすり抜けられる彼女であれば、内緒の話であっても容易に盗むことができる。


「どう? 悪い話じゃなくない?」


「・・・秘密は漏らさないと約束できるかい?」


「あなた以外に声も届かない、文字も書けないのにどうやって?」


「・・・わかった。ただし、この国での用事が終わったらそこでお別れだ。

 その代わり、この国にいる間は君に関する手がかりも一緒に探すことにする。


 それでどうだい?」


 そう答えるや否や、ウェリアンは大喜びしてゼヴァルディアに抱きつこうとし、そのまますり抜けて神殿の壁にめり込んでしまった。


「・・・・まあ、束の間のバディだけどよろしくね!」




 これが、全ての始まりとなる出逢いであった。

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