第50話 重なる記憶


 過去ではない、未来である。神話ではない、予言である。


 私が過去の自分に送った警鐘メッセージを契機として、歴史の奔流ほんりゅうは異なる方向へと動いていった。


 保守的な主流派から奇想天外な異端派へ、天涯孤独な学者から妻と二人の子を持つ父親へと、周囲を取り巻く環境も目まぐるしく変化していく。


 しかし、とうの私自身はずっとここにいた。あのとき、世界が終りを迎えた日から変わらず、この真白ましろの空間に囚われている。


 どうやらこの場所は、本当の意味での常世とこよであるらしい。常世とはつねの世、すなわち変わらない世界ということだ。


 変わらないということは、変わるものがないということ。それを実際に表現しようとしたら、このように初めから何も無くなってしまうのかも知れない。


 私はここで、自身と世界の歴史が変わっていくのを眺めていた。いや、より正確に言うのであれば、異なる記憶が生じていくことを感じていた。


 それはあたかも、意識という源泉から湧き出る清水しみずのように、従来の私を洗い流して変質させていく。


 孤独を恐れず、いや感じもしなかった私に、いつしか愛することの素晴らしさを教えてくれた妻。


 お前は一つ誤解をしているかも知れない。私は決して妻を、玖来那くらなを恨んでなどいない。彼女もまた、逃れえぬ血の運命さだめに捕われ続けているのだ。


 最初から得られないことと、得たものを失うこと。果たして、どちらがより不幸であるのか……その見解は個人によって異なるものであろう。


 しかし、少なくとも私は彼女と、そして生まれてきてくれたお前たちに感謝している。私自身はそれを体験できずとも、この幸福な記憶がどれほどの慰めになったか計り知れない。


 ……話を戻そう。

 

 未来よりもたらされた私の仮説は、関東を地盤とする三炊みかしき家に多大な影響を与えた。彼女たちは日本屈指の女系の一族であり、古くは神職に連なる家系であった。


 三炊みかしき家は極秘裏に政府内の古神道こしんとうを信奉する一派と協同し、天津神あまつかみの降臨に備えることにした。


 もっとも、当の一派はむしろ神を迎え入れ、甘んじて支配を請う思想であったため、早々に見切りを付けて主流派へと鞍替えをしたようだがな。


 私の辿った歴史と比べ、曲がりなりにもまだ東北で臨時政府が機能しているのはそのおかげだ。もはや三炊みかしき家はかつてのていを成してはいないが、護国の功績は称えられるべきものだろう。


 そして、もう一つ大きな変化があった。三炊家との縁が切れた後、私にコンタクトを取ってきた者がいた。


 その時点ではまだ正体は分からなかったが、私の唱えた仮説に賛同し……いや、明確な証明をしてくれた。


 本来は、天津神の一員として天孫降臨てんそんこうりんを果たすはずであったの神は、私に協力を求めてきた。


 そう、だ。果たして、記紀きき神話の記述と如何に整合するかは定かではないが、どうやら人間側に付くことを決めたようだ。


 そして、私は哮ケ峯いかるがみね公園での神を迎え入れるようお前に指示した。そのとき既に、自分でも先が長くないことを悟っていたのだろうな。


 確かに私は過去を変えたが、自身の結末までは変えられなかったようだ。先ほどちょうど、記憶の中の自分との合流を果たしたところだよ。


 その後のことはお前も知ってのとおりだ。なぜ、ニギハヤヒが少女の姿をしているのか、誤って神話が伝わったのか、それとも歴史が改変された影響なのか、それは私にも分からない。


 しかし、確かなことは彼女こそが我々の希望だということだ。ニギハヤヒはただの神ではない、天孫てんそんという血統を持った日本の統治者たり得る存在なのだ。


 いいか、十種神宝とくさのかんだからを集めろ。これらは本来、ニギハヤヒに授けられたものだが、高天原たかまがはらに反逆したことで全てを持ち出すことが出来なかったようだ。


 これら全てが揃ったとき、三種の神器を備えたニニギと同等の神格となるはずだ。さすれば、日本の支配権を奪い返すことも可能だろう。


 さて、そろそろ時間のようだ。お前に内包された気、さしづめ神気しんきに対して人気じんきといったところか、それが間もなく回復して意識が戻る。


 向こうで三人がお前を待っているぞ。全く、果報者だな。随分と心配を掛けているから、戻ったら覚悟しておくことだな。


 ああそれと、お前の前にここに来たという女子高生だがな、あれはかなりの上玉だぞ。いや、そういう意味ではない。確かに可愛い子であったが、あの力は神をも葬りかねないほどのものだ。機会があったら話してみると良い。


 では、さらばだ。玖来那くらな恵理香えりかを頼んだぞ。

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