第49話 父の見た風景


 私の名は【登美長とみなが 澪見みおみ】、職業は神話学者である。


 幼稚園から大学までの一貫教育で有名なマンモス校、葦原あしはら学園大学部で教鞭をっていた。


 執っていた……と過去形にした理由は、既に世が教育をするいとまも許されぬ状態であること、また私自身もそれが叶わぬ身のためである。


 一般的には、私は成功者であったのだろう。ながらも学会ではそれなりの評価を得て、やがて神話学における権威と見做みなされるまでに至った。


 私生活ではな身の上であったが、別段淋しいと感じたこともない。むしろ研究に没頭できたことは望外ほうがいの喜びであったと言えた。


 しかし、そんな私の日常は唐突に破られる。天上より神々が降臨し、地上の支配を目論んだからであった。


 まさに国譲りの再現であり、僅かひと月ほどで天津神あまつかみの軍門に下ることとなる。所詮は人の造り出した兵器など神の力の前では無力であった。


 私は必死で逃げ延びた。天孫降臨てんそんこうりん葦原中津国平定あしはらなかつくにへいてい神武東征じんむとうせい東国あずまのくに征討と、神話をなぞるが如く東進する軍勢に背を追われるようにして……。


 その過程で一つの事実を知った。日本国民には神通力スキルと呼ばれる異能が宿っている。これが天津神より授けられたものなのか、それとも国津神くにつかみの子孫たる生存本能が成せるわざなのかは定かではないが、僅かながらも抵抗する術を得たのである。


 しかし、それは完全に遅きに失していた。その能力が明るみになった頃には、私たちは青森県は下北しもきた半島、津軽海峡を望める場所にまで追い詰められていた。


 長き旅路の終着点。白く深き霧に閉ざされた海。その風景はまるで世界の果てのようで、どこか神々しく、そして美しかった。


 ここに至るまで多くの人々と出会った。支配に抗おうとする者、嬉々として受け入れる者、スキルを過信して自滅する者、潔く諦めて教化される者、自由を求めて自ら命を絶つ者、そして私のように逃げ続ける者だ。


 それもようやく終わりを迎える時が来た。私は終末の光景を目の前にして、最後に自らのスキルを行使した。


 【胡蝶邯鄲ヴィニャーナ】、それが私のスキルだった。


 胡蝶こちょうの夢という説話がある。古代中国の道教の始祖『荘子そうじ』は、あるとき夢の中で蝶となって舞っていた。そして、目覚めた時、果たして自分は蝶の夢を見ていたのか、それとも自分とは蝶の見ている夢なのか、自問したという。


 また、邯鄲かんたんの夢という説話がある。春秋しゅんじゅう・戦国時代の中国はちょうの国の都・邯鄲かんたんにおいて、うだつの上がらない若者が道士どうしとの出会いを切っ掛けとして栄耀栄華えいようえいがを極めるが、人生の終わりに元の自分へと戻り、全てが夢であったと悟るのである。


 そして、ヴィニャーナとはサンスクリット語で『しき』を意味する。これはインド哲学において、地・水・火・風・くうに続いて六大ろくだいを成す要素である。


 夢とは何か、うつつとは何か。人の意識とはどこから来て、どこに帰るのだろうか。これは世界から生じたものか、それとも世界を生じさせるものなのか。


 しかし、一つだけ確かなことがあった。私の意識は時の流れを遡り、そして過去の自分にある警鐘メッセージを鳴らした。


記紀ききとは歴史書ではない――予言書である」

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