第39話 二人の新世界


「いや、近いって。ちょっ、まっ、おちつ……」


 慌てる俺の唇を天道てんどうが自分のもので塞ぐ。それは一見して玄関での行為と同じだが、なぜか数段官能的な空気を醸し出していた。


 口腔内をまるで侵略者のように柔肉が蹂躙する。その怒涛の攻めを前にして、まな板の上の鯉ならぬソファの上の兄様と化していた。いや、そのりくつはおかしい。


「抵抗しても無駄ですわよ。ここは私の【傾城傾国ニューワールド】の範囲内でありますれば」


 一度、顔を離した天道がにんまりと微笑みながら囁く。やはり、彼女のスキルはただの隠密系ではなかったのか。


「手が届く僅か半径50cm圏内ではありますが、この空間内で私に逆らえるものはございません。たとえ兄様であってもです」


 そして、天道はご丁寧にも自分のスキルを開示する。それによると、傾城傾国ニューワールドとは空間改変能力であり、まさに彼女だけの新世界を生み出すことが出来るようだ。


「ずっとこの時を待っておりました。さぁ、沙那さなを抱いてください。それだけを私は願ってきたのですから」


 再び見つめ合う俺たち。天道の言葉どおり、俺の身体の自由は利かない。そして、彼女が望めば俺は抱いてしまうのだろう。


 少しだけ、考える。


 果たして、それはそんなにも拒むことなのか。俺も男だ。女の子に興味がないと言えば嘘になる。


 それにこんな時代だ、いつまで生き延びられるのか。たとえ支配を受け入れて生き長らえたとしても、自由恋愛のようなものは望めないかも知れない。


 俺は天道のことを本当はどう思っているのだろう。妹を偽りながら一人の男として慕ってくれる彼女に、俺はきちんと向き合ってこれただろうか。


「では兄様、沙那をもらってくださいませ」


 そして、天道は俺の左手を取ると、それを自分の胸部にあてがった。トレーナー越しに彼女の温もりと柔らかさが伝わってくる。


「あぁ、兄様ぁ。このときを、どんなに待ち焦がれたことか……」


 恐らくではあるが、俺は天道を、沙那のことを好ましく思う気持ちはあるのだろう。こんな形になってしまったことを残念に思う反面、それでも期待してしまう自分も存在していた。


 弧を描くように彼女の胸を揉む。喘ぎ声を発しながら乱れる表情に、俺の芯の部分が疼くのを感じる。


「なぁ天道、お前は本当にこれで良いのか? こんな状態の俺に抱かれて本当に嬉しいと言え……」

「嬉しいに決まってるじゃないですか」


 清々しいまでの即答だった。その輝くような瞳からは、強がりなどという疑いは微塵も感じ取れない。


 まいったな。ここまで覚悟を決められたら、据え膳食わねば男の恥だろう。


『分かったよ、抱くよ……いや、抱かせてください』

『はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします』


 俺たちは言外で意思を交わすと、再び唇を重ねる。互いに貪り合うように舌を絡め合い、クチュクチュと音を立てながら頬を上気させる。


 沙那は、言動は肉食系の痴女だが、そのくせ案外と攻められることに弱い。そんな彼女のことを今はとても愛おしく感じる。


 もっと、沙那のことが知りたい。彼女の身体の隅々から心の機微まで、あまねく暴いて自分のものにしたい。


 そして、俺は沙那のトレーナーの下部へと手を掛ける。そのまま上へとめくろうとして……視界の隅で何かが動くのが見えた。


 それは、小さな影。あの日から共に生き、そして死ぬことを誓った少女であった。その瞬間、思わず俺の身体が動いていた。


「はっ、ハヤちゃんが見てるぅー!」


 押されるようにして、俺の上に跨っていた沙那がきれいにソファをぐるぐると転がっていく。まるで体操選手みたいだ。


「ま、またしてもチビっ子に邪魔を! いえ、でも妙ですわね。兄様が私を拒めるはずがないのですが……」


 一瞬、憤怒の表情を浮かべた沙那であったが、すぐに訝しむものへと変わる。それは自身のスキルへの絶対の自信からくるものだろう。


 どうやら俺は沙那に、身体だけでなく精神も操作されていたようだ。とはいえ、そこに全く本心がないと言ったら嘘になり、何か欲望を掻き立てるような作用があったのかも知れない。


 しかし、それは解けてしまった。或いは解いてしまったというべきか。いったいその原因は何なのだろうか。


 沈黙と気まずさが場を支配する。何から手を付けて良いのか分からない。ハヤちゃんもただ呆然と俺たちを見つめるだけだ。


 そして、事態はさらなる混迷を迎える。突然、俺の耳に謎の機械じみた音声が響いた。


【システムコール、パーティメンバーのスキルを確認】

傾城傾国ニューワールド

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