第34話 第三の妹


 あの日から――ハヤちゃんとの出会いからひと月が過ぎた。


 あれから世の中は目まぐるしく変化した。首都東京の陥落、中国・四国地方の占領、もはや大勢は決し、どこにも逃げ場などない。


 当然のごとく実妹の恵理香えりかからの救援はなく、【万理一空ユビキタス】のFamily Listが灰色がかっている現在、その安否すらも不明である。


 そして、俺たちが住む葦原あしはら市には黄泉国よみのくにの軍勢……あのとき嫌というほど見た、黄泉戦よもついくさ黄泉醜女よもつしこめが闊歩していた。


 テレビやインターネット――意外にも水や電気、通信などのインフラは維持されていた――は神々による統治を賛美し、抵抗する人々に早期の投降を勧める内容で溢れている。


 もっとも、その対象はもっぱら仙台に遷都した臨時政府に向けられたもので、俺たちのいる近畿地方は黙殺されていると言っても過言ではない。


 多聞たぶんにプロパガンダを含むため、天津神による支配下地域の実態は分からないが、少なくとも鬼や亡者に怯えてはいないようだ。


 そもそもが天津神が住まう高天原たかまがはらと死者の住まう黄泉国とでは、まさしく天と地ほどの違いがあり、その統治体制も異なるのだろう。


 俺たちは自宅待機を余儀なくされ、時おり外から聞こえる破壊音や悲鳴、そして人々がどこかへ連れていかれる窓外の光景に身を震わせていた。


 今では近所の住民が訪ねてくるどころか、果たして住んでいるのかすらも定かではない。葦原市はさしずめ黄泉国へと変貌を遂げようとしていた。


 そんな状況下でなぜ、俺たちだけは無事でいられたのか。それはハヤちゃんが着ていた貫頭衣かんとういの帯に秘密がある。


 これはもともと比礼ひれ(古代のストールのようなもの)らしく、正式名称を十種神宝とくさのかんだからの一宝『品物之比礼くさぐさのもののひれ』というらしい。


 この宝物には清めの効果があり、我が家を害意のある者たちから隠してくれていた。ただし、あくまで認識を阻害する程度であり、実際に鉢合わせしたら見つかってしまうそうだ。


 こうして、俺たちはひと月もの間、自宅で息を潜めながら備蓄した物資で食いつないできた。とはいえ、決してこれまで外に出ることを考えなかった訳ではない。


 しかし、生玉いくたまをイザナミに奪われたハヤちゃんは未だ力が戻らず、見た目どおり小学校低学年の幼女のままだ。


 そして俺はと言えば、直接戦闘には無力な通信系スキルであり、鬼の一体とも満足に戦えそうもない。


 完全に詰んでいる。故に、現状維持という消極的な選択を取らざるを得なかった訳だが、とうとう時間切れの時が近付いて来ていた。そう、食糧が底を尽きそうなのである。


 俺はチラリと、居間のソファにちょこんと座るハヤちゃんを覗き見た。台所はハヤちゃんが管理しており、当然その事実に気付いている。心なしか、その表情もどこか物憂げだ。


 こんな幼い子にひもじい思いをさせるなんて、我ながら甲斐性のなさに呆れてしまう。やはり、今こそ決断すべきときなのだろう。


「なぁハヤちゃん、ちょっと外に出てくるから留守番をしていてくれ」


 突然の俺の言葉に、ハヤちゃんが目を大きく見開く。賢い子だから、その行動の意味が分からないはずもないだろう。


「危ないよ……ずっとここにいよぅ、お兄ちゃん」

「心配いらないって。近所に食料を分けて貰いに行くだけだから」


 それは本当だ、おそらく近所にはまだ食糧がある。なにせ、それを消費する前に連れ去られたはずだから。ただし『貰う』よりも『盗む』と言った方が正しいかも知れないが。


 しかし、ハヤちゃんはソファから立ち上がると、こちらに向けてとことこと歩いてきて、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。


「お兄ちゃん、言ったはずだよ。死ぬときは一緒だって」


 大げさだな、そう言おうとして口を噤む。見上げたその瞳は力強く、幾ばくかの怒気を含んでいるようにも思えたからだ。


 確かにそうかも知れない。俺にもしものことがあれば、遠からずハヤちゃんも探索に出て、きっと鬼たちに見つかってしまうことだろう。


 結局、大して違いはないのだ。それに一人よりも二人の方が、いざという時に対応しやすいかも知れない。


 俺は微かに頷くと、ハヤちゃんの手を取って玄関へと向かった。あの日、帰ってきて以来の場所で、俺たちは靴を履き、そして扉に手を伸ばす。


 この先に広がるのは、これまでの安穏とした生活ではない。魑魅魍魎が跋扈する魔境だ。俺たちは今一度顔を見合わせると、覚悟を決めてドアノブに力を込め――


ピンポーン ピンポーン

ドンドンドン ドンドンドン


「兄様っ! 貴方の愛する沙那さなが参りましたわ! 早くここを開けてくださいましっ!」


 偽妹ぎまい天道てんどう 沙那さな】の襲来を受けるのであった。

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