第25話 絶望の中で


『ちょっと、そこは稲佐いなさの浜じゃないわよ!』


 天津神あまつかみ急襲の報告を受け、私はインターホンに向けて毒づく。その理不尽な物言いに通話相手も言葉を失っているようだ。


 稲佐いなさの浜とは、国譲り(葦原中津国平定あしはらなかつくにへいてい)において武神と名高きタケミカヅチが降り立った場所である。


 古事記では天鳥船あめのとりふね、日本書紀ではフツヌシが共に降り、その圧倒的な武力でオオクニヌシ率いる国津神くにつかみを服従させた。


 しかし、その場所は現在の出雲市大社町たいしゃまちと伝えられており、湘南海岸とは本州の正反対の位置にあると言っても良い。


 まさか陸路ではなく、空路で海上を東進してくるとは想定外であった。今にして思えば、九州北部の戦いが地上戦であったのはこのためだろう。


 いったいなぜ、ここにきて神話と異なる動きを見せたのか。今さら考えても仕方がないことだが、それがこちらにとっての唯一のアドバンテージでもあったため、なかなか切り替えることが出来ない。


 もしや、タケミカヅチが出雲に降り立ったのは、そこが当時の現地政権の中心地であったからでは……?


 そうであるとするならば、今の日本の首都は東京だ。天津神が九州の次に攻め込む地点として理に適っている。なるほど、現代における稲佐いなさの浜とは湘南海岸であったわけだ。


 あはは、なんだか笑えてくる。私たちは東京を安全な場所、少なくともまだ時間的余裕が十分にあると考えていた。


 自衛隊・在日米軍の現代兵器、官僚・警察組織の人的ネットワーク、そして解析したスキルと民間人協力者による多重複合的防衛網により、天津神の攻勢にさえも耐え得ると楽観視していた。


 しかし、現実はこの様だ。まだ何ひとつ十分には出来ていない。いま攻撃を仕掛けられたら間違いなく首都は落ちる。


『……玖来那くらな様からのご命令です。恵理香様はただちにヘリに乗り、仙台まで退避してください』


 それは兄さんを救出するためのものであったはずだ。もっとも、こうなってしまっては救援が遅れたことは不幸中の幸いかも知れない。


『おかあさ……当主様は何と?』

『責任を取られるとのことです。首相は既に東京を離れています。さきほど、陛下も宮内庁の説得により出御しゅつぎょあそばされたそうです』


 上層部は東京を見捨てたか。しかし、勝てもしない戦で頭を失ってしまっては、もはや勝機などありはしまい。合理的かつ迅速な判断には恐れ入る。


『都民の避難はどうなっているの?』

『都知事が陣頭指揮を執っておりますが、大変な混乱状態にあります。恵理香様も早くお逃げください』

『……了解したわ。あなたたちはどうするの?』

『何人かはサポートとして同乗させていただきます。生きていれば、仙台でまたお会いしましょう』


 そして、室内に要人警護の部隊が入ってくる。私は準備も早々に彼らに連れられて屋上のヘリポートを目指した。


 道中で聞いた話では、統合幕僚監部は徹底抗戦の構えのようだ。都民だけでも1,400万人を超えている。そこに関東周辺や西・中日本からの避難者も合わせれば、その膨大な人数を逃がすには時間が足りなすぎる。


 いま戦わなければ誰も救えない、そう判断したのだろう。


 準備不足であるとはいえ、戦力の大半がここに集結している。先日、八岐大蛇やまたのおろちを討ち取った天羽々斬あめのはばきりチームも参戦するようだ。


 だが、それでもきっと勝てないだろう。神と人では規格そのものが違う。象とアリの方がまだ同じ生き物なだけマシと言える。


 私は絶望的な表情を浮かべて屋上の扉をくぐる。私だけはこうして逃げ道をお膳立てしてもらえる。


 私が三炊みかしき家の次期当主であるから……いや、ハイ、ユニークを超えたアルティメイト、大織だいしきの位を持つ一切皆空アーカーシャのスキル保有者だからであろう。


 不意に見上げた空。それは涙を隠すためだったのか。


 母を失い、父は知れず、兄と別れ、私は一人ぼっちだ。あの日から変わらず、白く分厚い雲に阻まれて、希望のも星も見えやしない。


 ――しかし、とざされた天を切り裂くように荒々しく。まるで絶望に抗うかのようにくも光り輝き。


 第一宇宙速度で射出された巨大なタングステン合金弾が、天鳥船あめのとりふねのバリアを貫通して装甲に深々と突き刺さった。


 大庭美佳おおばみか、後に天津神から天津甕星あまつみかぼしの再来と恐れられることになる星河一天マスドライバー星辰せいしんである。

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