第20話 兄と妹


 九州は高千穂峰たかちほみね天津神あまつかみが降臨した。そして、俺の家にも天使が降臨していた。


「に、似合ってるよ……うん、すっごく」


 俺がしどろもどろに成りながら賛辞を呈すると、ハヤちゃんは嬉しそうにはにかんでくれた。なんだか良い香りが漂ってくる気がする。


『ちょっと兄さん、聞いてるの?』


 ハヤちゃんに夢中になっていると、今度は恵理香から念話が入る。会話と思考がごっちゃになって混乱してしまいそうだ。


『ああ、聞いてるさ。でも、やっぱり俺だけ東京に行くなんてことは出来ないよ』

『例の女の子……正体はニギハヤヒなんだっけ。本当に信用できるの?』


 どうやら恵理香はハヤちゃんを疑っているようだ。恵理香は俺の妹で、ハヤちゃんは義妹なわけだから、妹から見ても義妹のはずだ……そうだよね?


 しかし、恵理香の言うことにも一理ある。ニギハヤヒの父親はアメノオシホミミと伝えられているが、それは天孫降臨てんそんこうりんしたニニギも同じなのだ。つまり、ハヤちゃんとは兄妹の間柄ということになる。


 もっとも、そのニニギの曾孫のイワレビコとは神武東征じんむとうせいで相対している。同じ天孫てんそんでも別系統の神話とされる所以であり、天津神の陣営とは一線を画して……あれ?


「お兄ちゃん、難しい顔してどうかしたの?」


 いや、こんな可愛い義妹が敵なわけがない。可愛いは正義、つまりは味方だ。ハヤちゃんはこちらに近付いてくると、そのままソファにちょこんと腰かけた。


 黒いブラウスのヒラヒラを手でいじりながら、白いスカートから伸びる足をバタつかせている。そんな光景を微笑ましく思いながら、俺も隣に座ろうとして……ふと、自分の格好が気に掛かった。


 そういえば、俺も昨日から風呂に入っていない。それどころか、着替えもしていない。せっかくハヤちゃんがキレイにしてきたのに、俺がこんなままというのも何だか落ち着かない。


 俺はハヤちゃんに断りを入れると、一度自室に戻って着替えを用意した後、洗面室で脱衣してバスルームへと入った。


 少し熱めのシャワーを浴びる。こうしてリラックスしていると、忘れていた疲労が蘇ってくるようで俺はしばしの間、ぼーっと溢れゆく水を眺めていた。


 先ほどの思考が頭を過る。いや、最初から気付いてはいた。それでいて、敢えて考えないようにしていただけだ。


『兄さん、もう気付いてるんでしょ』


 俺の心中を察したかのように恵理香が語りかけてくる。それは一切皆空アーカーシャのスキル効果なのか、それとも実の兄妹ゆえの繋がりなのだろうか。


 神武東征はニギハヤヒの降伏により決着を迎える。そのとき、義兄であるトミビコ(ナガスネヒコ)は命を落として……いや、


 俺の姓は【登美長とみなが】、トミナガ、トミ、ナガ……トミビコ、ナガスネヒコ。これは、果たして偶然なのか。


『そして、私は【三炊みかしき】、ニギハヤヒの妻でトミビコの妹のミカシキヤヒメってわけね。あぁ、そっか、じゃあ天道てんどうのやつも……』


 俺たちもまた神話の再現に一役買っていたのだ。なぜか、ハヤちゃんの性別だけは逆になっているが。


『その子と一緒に居たら、いずれ兄さんも神話に組み込まれてしまうわ。だからお願い、私のところへ来て』


 そうなのかも知れない。いつか、俺はハヤちゃんに裏切られて命を落とす……それが運命なのかも知れない。


― ねぇ、また私のお兄ちゃんになってくれる?

  そして、今度こそ……死ぬときは一緒だよ ―


 でも、俺たちはあのとき約束した。今度こそ、最後まで一緒にいるのだと。だから俺はハヤちゃんを……妹のことを信じているのだ。


『まったく、兄さんはいつも妹に甘いんだから』

『まあな。でも、お前だってそれブーメランだぞ』


 珍しくぐうの音も出ない様子の恵理香を置いてけぼりにして、俺は熱気の残るシャワールームを後にした。

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