第19話 二人の妹


 ……おや!? 恵理香のようすが……!


『兄さん、ひょっとして誰かそこにいるの? もしや、あの女狐っ……!』


 恵理香が怜悧な言葉のナイフを飛ばしてくる。俺はそれを交わす素振りをしながら誤解を解こうと抗弁する。


『違う、天道てんどうは関係ない。俺はハヤちゃんと一緒にいるんだ』

『だから誰よ、ハヤちゃんって!!』


 しかし、恵理香の叫び声はさらにエスカレートした。万理一空ユビキタスによる念話は直接頭に響くため、大音声を上げられると敵わない。


 そんなことを考えていたら、少しだけ音声が弱まった。どうやらそういう調整も利くようだ。


『いいから落ち着けって。昨日、哮ケ峯いかるがみね公園で出会った女の子だよ。うちに連れてきて今シャワーを浴びてるんだって』

『な、なんでよっ! なんでそんなことするのよ……兄さんのバカぁ! 変態ぃ! 浮気者ぉ!』


 最後はもう罵詈雑言だ。バカと変態はともかく、浮気者呼ばわりは解せない。恵理香とはきっちり話し合いを……って、そんな場合じゃないか。


 いつの間にか、シャワーの水音は止んでいた。じきにハヤちゃんが身体を拭いて出てくるだろう。その前に着替えを用意せねばならない。


『とにかく、後でちゃんと説明する。まずはお前の部屋にある服を借りるぞ!』


 恵理香から返事はなかったが、それを肯定と解釈して俺は二階の階段を上がると、妹の部屋の扉を開けた。


 この部屋に入るのも久しぶりだ。恵理香が家を出てからほとんどそのままにしてある。たまに掃除することもあるが、周期としては月単位だから今年に入ってからは初めてかも知れない。


 俺はクローゼットを開けると、上着にスカート、そして下着数点を素早く取り出し、すぐに部屋を後にする。そして、階段を下りて洗面室の前に立つと、意を決してノックをした。


「あれ、お兄ちゃん? どうかしたの?」

「ああ、替えの服を持って来たんだ。良かったらこれを使ってくれ」


 俺は中を見ないように少しだけドアを開けると、隙間から先ほどの衣服を差し出す。ほんの一時の間の後、ハヤちゃんがそれを受け取るのを確認してそっと閉めた。


 ソファに移動した俺は、再び万理一空ユビキタスに意識を向ける。先ほどは急いでいて気付かなかったが、どうやら文字枠のオンオフも可能らしい。


『すまない、お前の服を借りたよ。でも、神に誓って俺はやましいことなどしていない』

『兄さん、私も取り乱してごめんなさい。ちゃんと聞くから最初から話して……でも』

『でも?』

『神には誓わないで、絶対』


 それはまるで、恐れのようで、怒りのようで、並々ならぬ決意が込められているようであった。そして、俺は恵理香に黄泉国よみのくにでの経緯を話した。


……


『そう、そんなことがあったの……んっ、いまアクセスできたわ。なるほど、それが全国から寄せられた地震の正体なのね』


 俺の話を聞いて、恵理香は何やら察したようだ。アクセスとは恵理香のスキルだという一切皆空アーカーシャの効果だろうか。


黄泉平坂よもつひらさかにある千引岩ちびきのいわが動いたのよ。まさか黄泉国まで侵攻してくるなんて、頭が痛いわね』


 地震計に反応はなかったが、隔絶された世界に繫がりが生じたことで第六感が刺激されたのだという。つまり、あれは実体としての揺れではなく、空間の結合の余波を精神が感知して……なるほど、分からん。


『ますます、そこにいては危険ね。兄さん、いま三炊みかしき家に掛け合って救援部隊の派遣を計画しているわ。お願いだから、家の中でじっとしていて』


 恵理香は俺に東京に避難してほしいという。日本がこんな状況になってしまった以上、俺も本当は妹の傍にいてやりたい。しかし、今の俺には一つだけ気がかりがあった。


 やがて、洗面室のドアが開く音がして、居間にハヤちゃんが姿を見せた。しかし、遠慮気味に入口のあたりに立ったまま、なかなか入ってこようとしない。


「さっきはごめんね。サイズの方はどう?」

「……うん、ぴったりだよ。それでね、お兄ちゃん」


 なぜか、ハヤちゃんの様子が余所余所しい。どうかしたのかと、俺がソファから立ち上がると、少し恥ずかしそうに胸の前で手を組んでいた。


「ど、どうかな……似合って、る?」


 そこには、黒いブラウスに白のフレアスカートを履いた天使が降臨していた。

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