第16話 アーカーシャ


『お前は何を言っているんだ?』


 首都防衛、九州制圧、天孫降臨てんそんこうりん天津神あまつかみ、西日本崩壊―― 


 恵理香から繰り出される信じがたい言葉に、俺は往年の格闘家の名台詞で返す。それが功を奏したのか、恵理香も少し冷静さを取り戻したようだ。


『ごめんなさい、兄さんと話せるのが嬉しくて……。万理一空ユビキタスかぁ、こんな便利なスキルがあったなんてね』


 そして、なぜか俺のスキル名を口走る。まだ恵理香には教えていないはずだが、一体どういうことなのだろう。


 不思議に思った俺は傍らにいるハヤちゃんに視線を向ける。しかし、いつの間にか姿を消していた。トイレにでも行ったのだろうか。


『あぁ、まずは私のスキルの紹介からね。本当は三炊みかしき家以外には秘密なんだけど、兄さんにならいいか……【一切皆空アーカーシャ】、それが私のスキル名よ』


 一切皆空いっさいかいくうとは仏教用語で、この世の全ての現象や存在には実体がなく、くうであるという意味である。あまり聞きなれない用語だが、悩んでいても仕方がないと気持ちを切り替えるときに使うと良いだろうか。


 一方、アーカーシャとはサンスクリット語で『くう』を意味する。インド哲学における四大『地水火風』に対して、それらが存在する虚空を意味し、合わせて五大を形成している。


『スキル効果は……そうね、アカシックレコードの閲覧といったところかしら』


 アカシックレコードとは宇宙誕生から現在まで、ありとあらゆる情報が蓄えられている精神世界の記録層のことだ。そこには文字どおり、全ての真実が存在すると言われている。


 ……いや、凄まじいな。そんなの反則だろう。兄妹なのに、俺の通信スキルと格差があり過ぎない?


『でも、実際はそこまで容易ではないわ。あまりにも情報過多だし、閲覧と理解には大きな隔たりがある。例えるならば、琵琶湖ほどの大きさの図書館で数学の専門書を読むみたいなものね』


【次のステートメントを証明、もしくは反例を挙げよ】

 3次元空間と(1次元の)時間の中で、初期速度を与えると、ナビエ-ストークス方程式の解となる速度ベクトル場と圧力のスカラー場が存在して、双方とも滑らかで大域的に定義されるか。


 これはかの有名な数学のミレニアム懸賞問題の一つ『ナビエ-ストークス方程式の解の存在と滑らかさ』であるが、日本語で書いてあっても問題文すら理解できない。


『何か特定のキーワードがあれば、それに関連付けて検索することも出来るのだけどね。さっきはこの通信を利用して兄さんのスキルを解析したってわけ』


 恵理香の理解力に俺は舌を巻いた。さすがは三炊みかしき家の後継者として英才教育を受けているだけのことはある。スキルも頭の使い様というわけか。


『スキル自体にも熟練度があって、使う毎に洗練されていくみたいね。だから私の場合も閲覧制限のようなものがあるわ。どのみち知識がなければ読み解けないから、専門のサポートチームを付けてもらっているけれど』


 どうやら恵理香は……いや三炊みかしき家は、スキルについてかなり深いところまで理解しているようだ。一切皆空アーカーシャの効果もあるだろうが、それにしたってあまりにも情報が早すぎないだろうか。


『そうね、ここからが本題よ。私たちは以前からこの事態を予見していたの。大八洲おおやしま神代かみよへの回帰、天孫降臨てんそんこうりんによる天津神あまつかみの侵略、そして国津神くにつかみたる私たちに宿る神通力スキルの目覚め……全て、お父さんの仮説どおりよ』

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